を手に入れたと思ったときがある。
こんにちわ。
地下鉄吉野町駅近くのカラオケスナック「ミュージックパブキャビーヌ」の店長中島です。
以前にうちの店で違うBARからスタッフが移ってきたときの話だ。
結構な美人で客受けもいいスタッフだった。
ただ、多分結構気が強いというか芯が強いというか、コントロールしたい欲求が強いんだろうな、違うバイト先でちょっと揉めたと言っていたが、そんな匂いはしていたんだよな。
けれども、うちの店くらいのアットホームな店ならそのくらいで丁度いいかもしれないなとかも思ったけれども。
この娘はうちのようなスナックにいるとは思えない美人だったため、お客さんが結構皆デレデレするんだよな
それを見て、視点について新たな気づきがあった。
というのも、俺はこの世の中は美人がちやほやされて勘違いをし続けていると思っていたんだが、美人は男性の誰からもそんなような扱いを受けるため、美人の視点で見れば逆に男性は全部同じに見えてしまうと思ったのだよな。
そして実際にみんな同じだなとお客さんの美人へのモーションの仕方をカウンターの内側で見て思ったのだ。
ということは美人からすれば皆同じ事しかしないから、人間性を見るための違いが相手に見えないという事なんだよな。
これって最初はイージーモードだけれどもノーヒントなんじゃないかと思ったのだ。
勘違いをしているのではなくて、勘違いをさせられるような体験しかできていない。
俺の場合は他者が全員俺にに対してのアクションが違う。
全部が全部最初から好意的なんてことはまるでなく、人生ハードモードだけれどもヒントは常にたくさん与えられている。
俺は見せ方が器用ではないため、頭のよろしくない方にはよく馬鹿にされる。
そういう人には分からないんだよな、俺が何を言っているかが。
見せ方ばかりをすべてだと思っているようで視野が狭く、視点も自分だけで足元しか見ていない。
俺の言葉や意味が宇宙語に聞こえるみたいで、最初は頭のおかしい人として接してくるが、仕事の結果等で黙らせるようになると今度は理解できない恐怖の対象となって腫物のように接してくる。
逆に言うと美人と異なり、他者が俺に対する接し方が常に違うので、情報の蓄積が一瞬で俺に相手をどういう人間かを判別させることができるのだよな。
でも、美人の場合は違う。
皆が皆、同じような接し方を常にしてくるため、情報の蓄積がなく、より深い情報を得てからではないと分からないのだよな。
他者がどういう人間かの判別がつかない。
これって果たして本当に人生イージーモードだろうかとふと疑問に思ったのだ。
自分で判断ができない分、運に頼って人を見定めなければならなくなる。
となると、今度俺が美人の視点に気づいたように、人の判別ができる他者の視点を借りてどういう人間かを判別しなければならないんだろうな。
だからレストランとかで店員さんに横柄な態度を取る人を止めておけって話が出るんじゃないだろうか。
自分の視点では判断つかない事が多いので。
でもそもそも人が人に対して、まるで態度が違う事自体を理解できていないので、その視点を持つ事も難しいのだけれども。
美人には美人なりの試練が与えられているんだなと改めて気づかされた。
繰り返しになるけれども、美人に対しては男性は同じ事しかしないので、美人から見たら男性が全員同じに見えるだろうなと感じた。
翻って考えれば、美人は男性が皆自分に同じことをするので結構ノーヒントで社会を生きており、その美人という優位性が時間の経過と共に損なわれることによってある日突然、自分の顔が変わるのと同様に世界が顔を変えて、ルールを変えてくる。
ずっと間違っていたことを正しいと思ってやっているけれども、それは美人の持つ優位性が社会に許させていただけ。
だからそれが損なわれて、世界が本来の姿を取り戻しただけなのに、世界のルールが変わったと感じるって恐ろしい事だなと思ったのだ。
で、この時点で俺ははもう一歩先にもっと早く気づかなければならなかったんだよな。
それが、世界がルールを変えるのは何も美人に対してだけではないなと
人間、自分の事には気づきにくいもので、別に美人の持つ優位性を持っていないからと言って、自分が何も持っていないから世界がルールを変えないと思っている事が間違いなのだよな。
そう、実は何も持っていないようで、皆結構持っている。
当たり前で、許されていただけなのに、それに気づかず世界が自分に対して急に牙をむくというか、ルールを変えてくる日が来ることがあるはずなのに、俺は自分に対してはその対象外だろうと棚上げしていた。
経済力があれば、ある程度は望む結果を手にできると思っていたけれども、それは美人がその優位性で社会に許容されているのと一緒で、俺が許容されている内のルールでしかないんだよな。
というのも、一見俺は自分で優位性を何も手にしていない気でいるが、まだ健康なんだよな。
そして、酒も飲んで楽しく酔える状態で、まだ時間的残余の余裕が致命的な状態ではない。
例えばなんだけれども、一発何かをぶち当てて、金に困らなくなったとして酒が飲めなくなったらどうなるか?
まだそのくらいであれば、飲み屋に行ってスタッフに飲め飲めで自分は飲まずでまだ楽しめるかもしれない。
では、金が有り余って動けなくなったとして、どうやって楽しむというか満たされる生活を送れるか?
話し相手になるスタッフを雇ってもいいんだけれども、それって相手は仕事なので、もう表面的な見え透いた話しかできずに、つまらない、満たされないと思うと思うんだよな。
では家族がいればそうじゃないかと言えば、それもそうではなくて、学生時代や30代、40代で親父とかおじいちゃんに会いに行って何時間も一緒に話していられる人どれだけいるだろうか?
俺は親父と一切会話しなくても会わなくても何も困らなかった。
てことは自分の家族も同じなんだよな。
多分、家族だろうが見動きとれなくなっても、自分と居て相手が面白くなければ、金でも解決できない事になる。
メンタル的な部分だから当然だろう。
そう考えると、健康で酒が飲めるという優位性があるから金で解決できるのであって、その当たり前であること、けれども実は優位性とも言い換えられる健康であること。
これが損なわれると、時間の経過でその優位性を損なわれた美人の優位性と同じで世界がルールを変えてくる。
ある日突然ルールが変わって、その準備をしていないと賽の河原の石積のような満たされない日々の連続性が急に続いていくわけだ。
これも結構恐ろしい話だよな
なので、一つ気づいたことがある。
そうかと私の年上の友人が私のような年下の友人を作ろうとするのは何故か?
その優位性の喪失を見越してのことなんじゃないかと思えてきたのだ。
先に友人が皆死んで、酒も飲めなくなって、金を使っても皆、マネキンのように仕事感あふれる表面的な当り障りのない対応
無償で自分のために時間を使ってくれる人の存在がなくなるって、これまた結構恐ろしい話
なので俺も今のうちに10個くらい年下の友達作んなきゃなとか思えてきた。
自分より先に友人全員に死なれるリスクも考慮し、先に逝かれるリスクの低い年下の友人の確保か
逆にアフター行ってくれる女の子を引っ張れる爺になっておかないと結構なリスクだなと
皆家庭もあるし、俺は友人は多い方だと思うが、それでも今日いきなり飲みに行こうと言って飲みに行ける人ってなかなかいなくなってきている。
まだ、知っている人全員に声かければ誰かしらは捕まるとは思うが、それでも、毎日突然誘って誰かと飲みに行くということを実践したら何日連続までいけるだろうか。
35歳超えて一週間続けれたら結構凄い人なんじゃないかと思うのだ。
勿論、会社の人は別だ。
時間を共有している人の延長線上の飲みはそれほど難易度は高くない。
けれどもあくまで時間を共有していない友人に連絡しまくって今日一緒に飲める人を探すってなかなか続けるのは難しいと思うのだ。
と、ここで結局父が店を赤字のままでも無理矢理続けた理由も分かったのだ。
合理的に考えれば赤字の店を継続するとか意味不明で、全くの無駄だ。
けれども、視点を変えれば少なくとも店のオーナーとして存在している間は、無償で時間を共有できる人間が存在するんだよな。
親父はコミュ障だったこともあり、早々に分かっていたのかもしれないな。
赤字でも店を継続していうちは、最も満たされない状態を回避できると。
でここまでつながった時に、世界一の投資家バフェット氏の言葉がよみがえった。
それが、「100万ドルで愛が買えるなら安いものだ。しかし、現実には誰かに愛されたいと思ったら、あなた自身が愛される人物になるしかない。見返りを求めてしまうのは人間の性だが、あなたが何かを与えなければおそらく、あなたには何も与えられないだろう。」
そう、この話がよみがえってきて、現実に自分の持つ優位性の何かが損なわれ、世界がルールを変えてきた時、健康が損なわれて、金があった場合となかった場合。
どちらにしても、人に、自分のために時間を無償で割いてもらおうと思ったら、人が自分のために時間を割きたいと思うような人間に自分がなるしかないんだよな。
人格を磨き上げ、新しい事に挑戦し、話していて面白いというか、もう終わりを待つだけの人にならないようにし続けなければならない。
これも結構キツイことだなと思うけれども。
そもそも健康でも人がこの人と話していたいと思うようなコミュニケーション能力の高い人間は少ないのだ。
老人でもバフェット氏に会いたい人はたくさんいる。
でも、寝たきりの見ず知らずのおじいちゃんに会って話をしたい人がどれだけいるだろうか。
どれだけのトーク力があればと思うけれども、これも以前にも記載したが、どんな人間関係であっても必ず対価交換が行われている。
対価交換が行われない人間関係は必ず破綻する。
楽しい、学べる、興味深い、感動する
目に見えない何かしらの対価交換が人間の間には発生しているんだよな。
つまり、金を使っても得られる人間関係の対価交換が、優位性が損なわれ、ルールが変わった後だと望む物ではないレベルの質の低いものしか得られなくなるんだろうな。
まあ、そんなわけで
リスクを考えると挑戦というか可能性を感じさせる面白い爺になりつつ、経済力も得なければ、「満たされない天国」が待っているということを理解し、準備しないと駄目なんだよな。
生きるってのは求められている事もかなり多い。
まあまだ40代前半で気づけたのはラッキーしか起きない証左かもしれないけど。
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