集客戦略ともう一歩

経営
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こんにちわ、地下鉄吉野町駅最寄りのカラオケBARキャビーヌの中島です。

 

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こんにちわ、地下鉄吉野町駅最寄りのカラオケスナックキャビーヌの中島です。

さて、コロナによる規制がなくなってもうそろそろ1年になる。

父から引き継いだ飲食店だけれども、年齢層が違うのもあり、かつてのお客さんと入れ替わりを感じる。

所在地は正直良いとは言えないけれども、場所は変える事ができない以上与えられた条件で改善するしかない。

ただ、最近思うのだけれども、前提条件が誤解させられている事は多い。

こないだ思わされたのだ。

その日、閃いた。

そうか、そうだったんだよ。

分かった、分かったぞ、こんにゃろめ

まるでフェルマーの最終定理のようだと思わされた。

フェルマーの最終定理と言えば、17世紀だから1600年代

丁度日本の江戸時代が始まったころだ

裁判官であり、数学者だったフェルマーは古代ギリシャ数学者のディオファントスの著作「算術」を読み、気づきがあるとその余白に書き込みをする習慣があった

その際にとあるページに「驚くべき数学的証明を発見したが、それを記載するには余白が小さすぎる」と書かれていて、その証明が不明なままフェルマーは他界してしまった。

それから何百年と数学者が挑戦したが、その数学的証明は誰にもできなかった。

そこで、大富豪がその証明をした者に当時の価値で2億円(インフレの影響により受賞時は500万円程度)という賞金を懸けることになったのだ

でその答えは1994年の約350年後にワイルズという人物によって正解が導き出されたのだけれども、その人が最初に答えを見つけた時、こんな感じだったんだろうなと思ったのだ。

分かったぞ、この野郎(フェルマー)みたいな。

それと同時に「マスターキー」だなとも思ったのだ

マスターキーと言えば、巨大な屋敷でもホテルでもマンションでもその鍵が1本あればすべての扉が開くカギだ。

鍵穴の中のシリンダーがマスターキーを受ける構造になっていないと駄目なんだが、オールマイティーな鍵

RPGのドラゴンクエストで言えば、すべての鍵を開錠することのできる鍵「さいごの鍵」の事だ。

そう、巨大な屋敷、例えるならゲームのバイオハザードの屋敷の中でいきなりすべての扉を開ける鍵を見つけた。

もしくは、なんとなくだけれども、巨大なリゾートホテルが無人だったとして、無数にある部屋すべてを開けられる鍵が手元にある。

何故無人か?

なぜそこに自分が居るか?

それが分からない状況で、あるのはすべての部屋を開けられるマスターキー一本

何かが起こりそうなミステリーの気配を感じてわくわくするシチュエーション

そんな心境にさせられた。

何の話か?

気づいてしまった「考え方」の話なんだが

過去にも記載しているように、我々は物事を自分で考えて判断していると皆思っている。

でも、正確にはそれは誤りで、そう考えるような教育をされていて、自分を教育した者によってそう考えるように操られているというか仕向けられているというのが正しいと俺は思う。

だからこそ、これが正解だろと脊髄が反射するように瞬間的に思う事でも、そうだろうと思って行動した結果、どういう結果だったかを検証する事を俺は重視している。

俺の考え方の根幹でもある「結果を起点に考える」という奴だ。

で、最近自分の思考の過ちに気づかされたことがあった。

それが、「上手くいくと想定できる事の行動をする」という考え方だ。

学校のテストや会社の兵隊としては必要な考え方かもしれないが、何かをやろうと思って行動する人間の考え方としては間違っている。

上手くいくことが前提の事しかやらないということは、そもそも「上手くいく事前提の物」が実際に存在していない事を知らない状態だ。

何が分からないのか分からないというもっとも致命的な状況

だから、石橋を叩いて渡らないのか、渡れないのかになってしまう。

そう、前提が間違っていたんだよ。

最初から上手くいくことなんて実は存在していないのに、その宝くじに当たる確率より薄い物を当たり前に存在すると思い込んで求めてぐるぐると同じところを回っていた。

金持ちになると言って生涯ジャンボ宝くじをただただ買い続ける人と一緒だ。

だから、先に進めず閉塞感に焦れる。

けれども、違う。

前提を何事も最初から「上手くいく」から「最初から改善し続けなければ何もうまくいかない」という発想に切り替えたらどうだろうか。

そもそも上手くいくと思って行動して、結果が伴わないとメンタルが折れるわけで、最初から、回数は分からないが改善しないと上手くいかないという事を理解していれば、自ずと受け止め方も行動も変わると気づいたのだ。

そう、こうしようと目的をもって行動した事でも、ほとんど思い通りに行く事なんてない。

理由は簡単で、思い通りに行くと思っている前提の認識が甘すぎて、気づかないだけで知らない事が多すぎるのだ。

これまた自分に起きる問題は自分の不知がもたらせるわけで、物事を知ればほぼすべて解決する。

学校のテストでは事前に勉強をするので、上手くいく事前提でテストを受ける。

この教育が多くの間違った思考を学生に植え付ける。

上手くいくことが前提なんじゃない、始めた事は基本的には上手くいくまで改善し続けないと上手くいかないのだ。

それを気づかされる事があった。

先日エンゲージでポスティングスタッフを募集する事で手にできる副産物が多い事に気づいた。

なので、是が非でもやるべきだと記載して、実際にポスティングスタッフの募集をやってみた。

ページを作ってくれたのは、モンスター営業と俺が呼んでいる独立して社長になった優秀な営業

俺が彼の仕事を手伝っているので、特別にさくっと作ってくれたのだ。

で、そのモンスター営業のエンゲージページは毎日応募が80人から100人ある。

ところが、同じ人物が作ったページで内容も問題ないはずなのに、俺のページではどう見てもやる気のない応募が3日で2件しか来なかった。

ポスティング用のチラシはもうラクスルで15000部印刷してしまっている。

なかなか、想定とずれていて考えさせられる結果なのだが、そこで気づいたのだ。

そうかと。

それこそ、何度も記載している便所のねずみと米蔵のねずみと話は一緒だなと。

便所のねずみと言えば・・・

楚の人、李斯は、便所にいるネズミが人の汚物を食らい、人や犬におびえて暮らす一方、米倉のネズミはたらふく米を食べ人や犬にも怯えなかったのを見て、便所にいるネズミも米倉にいるネズミも同じネズミなのに、いる場所によってこうも違うと人生の奥義を悟り、「人の価値はその居場所で決まる」として己れのあるべき居場所を探し求め、ついに始皇帝の治める大秦帝国の宰相にまでのぼりつめた

こういうエピソードだ。

この歴史の話って現在の俺とか他の人にもまんま言えて、自分がどのフィールドにいるかというのは物凄く重要だ。

今回のエンゲージの募集の話でも、同じ人が同じ内容でやっているのに結果が全然違うのだ。

何かが違うから、能力が同じ人間がやっているのに結果にそれだけ大きな差が出る。

違うとしたら、作っている内容と人は一緒なんだから、場所か募集主だ。

そこで気づいたのだ。

やはり夜の飲食店として募集しているのがいけないのだろうなと。

その募集をみて、受け止める方が支払いが大丈夫とかナイトワークに偏見や抵抗がある可能性が高い。

実際にやる事はポスティングなんだから、昼間の安全でクリーンと思われるような会社とやる事は変わらない。

にもかかわらず、結果にこれだけの差が出るのだ。

ということは店の名前でポスティングを出すのではなく、俺の個人事業主の屋号で出せばいいのだ。

やる事はポスティングと変わらないのだから別に騙すわけでもない。

募集主を変えるだけだ。

きっかけや副産物を狙ってはいるが、毎日応募を拒否するのが大変と言っている人間が作ったページで結果にこれだけ差が出るという事は学ばされたことが多い。

やっていることに結果ほどの大きな差は多分ないのだ。

ちょっとずつの改善が結果の差を産むのであって、俺とモンスター営業に大きな差があるわけじゃないと気づけたのだ。

逆に言えばモンスター営業と思っていた人間がノウハウを駆使して最初にやった結果が、俺が何も考えずにやる結果とたいして変わらなかった。

ここに物凄い意味というか学習を感じたところだ。

どれだけノウハウがあって、行動が早く、優秀な人間だろうが、改善なしには結果が出ないという事が証明されたようなものだ。

ということは畏怖の対象になるくらい凄い奴だと思っていた人でも、そのノウハウを駆使しても、物事は最初からは上手くいかない。

これを知っているか知らないかってそれこそ、巨大な屋敷で鍵を無くした人とマスターキーを手にした人くらいの差が生まれるのではないかと思うのだ。

今回の事で違いは何かを考えるきっかけが与えられたことが大きい。

やはり何でもやってみるもんだな。

DOは学習と気づきの宝庫だ。

刺激的な人間に会う事もそうだけど。

以前は能力のある人間がやれば、何でも上手くいくもんだと思っていた。

だから実際やっても望む結果ではなかった場合、想定と違うとか話が違う、もしくは時代が変わったとか思ってそれ以上何故かを考えずに他の手法を探すようにしていた。

でも違うんだよ。

最初からいきなりは何も上手くいかない。

これまた思い込みで新品は最初から壊れないと思っているかもしれないが、始めるという事は故障品を直すことから始まるのだ。

これに気づかされたのが大きい。

何を改善すれば結果が変わるかもしれないか。

それを試行錯誤し続けなきゃ誰も何も上手くいかないのだ。

まずは、1回それを学習するために上手くいくまで改善をやってみよう。

それがポスティングスタッフ募集だ。

この改善を体得すれば、きっと他で何でも応用が利く。

やはり、なるべく刺激的な人に会って、なるべくなんでもやってみるもんだな。

再びそう思わされた。

でもって、募集をしていたがチラシを配布したいときに採用が間に合わなかった。

そのため、ポスティング業者に依頼した。

カバー率がなかなか高くすることは難しく、25000部配布して、今のところ来客一組、クレーム一つ

チラシも効果が結構後になって出る事が多いので、我慢の展開だけれども。

やれる事を全部やろう。

集客状態が苦しくとも、それも改善し続けないと結果は出ないと学んだのだ。

ただ、これだけじゃ足りないので次は道路使用許可をとって駅前で自分でポケットティッシュ配りをしようと思うのだ。

何もしないで結果が変わる事を望むのは狂気の沙汰だ。

僅かでも可能性がある事、前に進める事、改善できる事は全部やろう。

広告費も捻出するのがきついが、ジリ貧では結果は変わらない。

少なくとも多少でも効果があるのであれば、先にやった方がいい。

追い詰められてからの行動では遅い。

ひとまず12月の結果は見るけれども、1月に別のチラシ配布と全軒配布の依頼をしようかと思っている。

結果を受けて、他にできる事はないか?

再度検証したい。

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