「りゅうおう」が正体を現した
といえば超人気RPGドラゴンクエスト1のラスボスの第2形態になる時に出るメッセージだ。
基本的にRPGゲームは1度ボスを倒すと真の姿を現す。
同じドラゴンクエストだけれども、「ラーの鏡」というアイテムがあり、この鏡を通して姿を見ると本性と言うか真実の姿を映すとされている。
ドラゴンクエスト2では呪いによって犬にされてしまった3番目の味方の王女をこの鏡を通して見ることで仲間にでき、ドラゴンクエスト3では王様に化けたモンスターのボストロールの姿を映し出す。
まるで、「ラスボス」か「ラーの鏡」だなと思った事があった。
つい先日の事
明るい新年を表す福福しいはずの文字列が急に呪いをかけられたかのように禍々しさを放ちだす瞬間を目撃してしまった。
まるでみずみずしかった果物が時間の経過とともに萎びて腐臭を放つかのように
その本来なら祝福が込められているシールには「迎春」と書かれていた。
迎春と言えば、一般的には1月1日から1月7日までの期間になる。
けれども、なんとなくの俺の記憶ではスーパーの総菜などに貼ってある「迎春」シールはせいぜい1月3日までだろうと思うのだ。
おそらく、1月3日くらいまでは祝福を与えられていたに違いない。
けれども、時の経過と共にその輝きは失われ、今では朽ちた呪詛の塊のようになってしまったのだ。
そうその時、時刻は1月10日の22時を指していた。
その迎春と記載されたそのシールはお惣菜のパックに貼られていた。
そして、乱暴に破り取られた跡の残る、賞味期限シールが貼られていたであろう痕跡
意図的に剝がされた、隠された消費期限は果たしていつだったのだろうか。
そんな闇に葬られた事実を想像しながら、この最低でも製造されてから3日は過ぎているお惣菜の送り主の意図に疑問を感じてしまう。
一般的にスーパーのお惣菜の消費期限は1日とされている。
食中毒対策等で厳しめに設定されているので、製造後気温と物にもよるが、ぎりぎり冷蔵保存して製造後2日以内なら大丈夫かもしれない。
ところが、迎春シールが貼ってあるそれは1月10日の22時の時点でどう良心的に考えても製造後3日以上は経過していた。
22時の時点でスーパーはお惣菜がフードロスになる可能性が高いと判断するはずで、19時過ぎたらもう作らないのではないだろうか。
ということはだ、この迎春シールが物語る最大の性善説で言えば、製造後3日と少々
もっとも悪い方向で考えれば元旦に製造されているので9日以上経過
このようなほぼ確実に食当たりを起こしそうな物を、消費期限を意図的に分からないようにして飲食店に持参し、こちらに食べろと言いながら自分は手を付けない店の客を見て、ついに正体を現したかというか「ラーの鏡」を通して真実を見たというかそんな気がした。
どう考えても悪意しかないよな。
自分じゃなきゃいいという発想もそうだが、自分が手を付けないようなものを人に食えと何度も言ってくるとはどういう神経をしているんだろうか。
一事が万事と言うが、まさにそのとおりで、この一つの行動がその人のすべてを物語っているなと思わされた。
急速に脳内に非常事態を告げる警報が鳴り響き、俺自身の時間を使ってもいい対象のリストからその名前が消えていく。
そしてその悪意だなと思ったことで思い出したが、いつも読んでいる記事で「おっさんは2度死ぬ」という記事のことだ
このライターさんの記事は20年ほど前のテキストサイトブームのときによく読んでいたのだけれども、読み返してみるとこれだけ文章を書いていると以前より遥かに洗練されており、俺自身も20年近く文字を打っているが、この方の文章には到底敵わんなといつも思うのだ。
そこで思い出した記事のリンクを貼っておく。
個人的にはかなりツボったネタでお勧めだ。
そして、本日
俺は飯田橋で仕事だった。
ところが、そこは・・・
雪山だった。
トンネルを抜けたら雪国なのは有名な話だが、駅を降りても東京都の新宿区が特殊な雪山だったのだ。
東京では去年からまだ初雪も降っていないというのに。
年末から数えて早2週間
年末年始は特別だと言わんばかりに俺は「おせち」や「寿司」など炭水化物を好きなだけ取るチートデイを続けていた。
そして、その楽園のような日々は確実に数字という結果を俺に突き付けてきて、69kg後半の体重になってしまった。
しかし、その楽園から抜けられない。
沼だな、快楽の底なし沼
炭水化物は麻薬だ。
そんなことを思わされる。
もし今日から炭水化物カットをリスタートだとすれば、これからどれくらいまた炭水化物を我慢しなければならないのだろう。
いつかは始めなければならない。
だけれども、今ではなくてもいいのではないか?
始めてしまったら、もう後戻りしてはすべてが水泡となる。
だから、リスタートする決意ができるまではこの炭水化物の甘い海に優しく飼いならされていたい。
その時に思ったのが、これはまるで雪山だなということ。
以前に前の会社の仕事で冬の季節に北海道へ出張に行ったことがある。
そして北海道の網走刑務所の近くか摩周湖の近くだったと思うが、女満別空港という空港が存在している。
この空港近くの山に養老牛温泉という温泉があった。
当時いきなり毎日23時開始から朝6時くらいまでかかる重い北海道の仕事を4日連続で押し付けられた20代後半だった俺は、こんだけ無茶ぶりで働いたんだから役得がないとやってられないと、即日帰って来いよと言う会社の上司の指示を無視して一日北海道で有給を取ってやったのだ。
そして仕事の最終日翌日に網走刑務所跡を観光し、女満別空港から東京に帰る前に養老牛温泉に宿を取った。
養老牛温泉は雪山の中にある温泉で露天風呂が山の中の川沿いにあり、吹雪の中、川のせせらぎを聞きながら、温めの源泉かけ流しの露天風呂に浸かることができるのだ。
今でも思い出すのが、山の中なのにここで食べたカニの美味さと、朝出発前に渡されたつきたての大福餅の美味さだ。
美化されているだけかもしれないが、アレは本当に美味かったな。
そんな吹雪の雪山の中にある温めの露天風呂
今の俺はそこに浸かっているようなものだなと。
厳寒の外気温から身を守るぬるま湯
その居心地の良さに温泉から出るに出れない。
この優しく身を包むぬるま湯から立ち上がった瞬間に猛然と襲い掛かる冷気と吹雪
確実に旅館の屋内に行く前までに湯冷めしてしまう。
外に出しておいた手ぬぐいも既にパリパリに凍っている。
森永の「チョコモナカジャンボ」のアイスの中の板チョコのようだ。
でも屋内に帰らないと布団には決してたどり着けない。
けれども、出た瞬間の寒さを想像するだけでその心がくじかれる。
もう少し、この心地よいぬるま湯に浸かっていよう。
けれどもいつかは出なければならない。
でも今じゃないよな。
そんな葛藤
それがまさに飯田橋で仕事をした後、ランチを選択する俺だった。
養老牛温泉の雪山の中の温い露天風呂を思い出す。
炭水化物をカットしなければならない。
けれども、カットし始めたらもう後戻りは許されない。
ただしたら、スタートを先送りにしたほうがいいんじゃないか。
湯上りを裸で雪中を屋内に向かう事への躊躇と似たものを感じてしまう。
やり始めたら完遂せねばならない。
だから始めたくない。
ぬるま湯も立ち上がって岩盤の浴槽に足をかけたら、後戻りした時点で一瞬苦しんだ寒さが無駄になる。
だから、立ったら最後、寒さに耐えて旅館の屋内まで戻り切る覚悟が必要なのだ。
俺は・・・・
ぬるま湯に継続して浸かる事を選んだ。
そんなわけでランチを検索すると、日本橋の「つじ半」が神楽坂にもできていた。
これはいかねばなるまい。
たどり着いてみると、超人気のトンカツ屋さん「あげづき」さんと同じビル。
どんなグルメビルだよと一瞬心で突っ込むが、行列がすごい。
ただ「つじ半」の方が並びが薄く、日本橋とは違ってラッキーだなと思わされる。
そしていつもは「梅」の海鮮丼を頼むのだが、今日は「竹」にしてみた。
楽しみなのは海鮮丼の後の鯛茶漬けなんだよね。
で食してみると・・・
うん、美味いは美味いんだけど・・・・
なんとなくだけど日本橋の方の「つじ半」の方が美味い気がする。
これって暖簾分けか何かで味が変わってしまっているのか、物価高騰の煽りを受けて材料が劣化しているのか、はたまた俺の勘違いなのか。
もう一度、日本橋の方の「つじ半」に行かねばならないなと感じた。
そうして俺はまた、ぬるま湯に浸かりづつけなければならない理由を一つ見つける。
自分の選択を正当化するために、仕方がなかった理由を一つ一つ積み増していくのだ。
賽の河原にある積まれた石のように。
そして、いつか鬼(体重計の数字)がその石を突き崩すのだ。
痩せなきゃな・・・
月曜から夜更かしのフェフ姉さんみたいになっている。
キックボクシングはやらないけれども。
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