カッパドギアの地底都市だなと思わされた。
カッパドキアはトルコの中央アナトリアの歴史的地域、あるいはアンカラの南東にあるアナトリア高原の火山によってできた大地をいう。
世界遺産にも登録されており、気球に乗ってその火山の大地を見るのが有名だ。
ところが、そこにもっと面白いと思う観光場所があるのに、カッパドギア観光で検索しても全面にはでてこないのだよな。
その一度は行ってみたいと思っている観光地がカッパドギアの地底都市だ。
それが発見されたのは1963年の事だった。
トルコのネヴシェヒル県に住む男性が自宅のリフォームを行っていたときのこと。
彼は壁の一部を切り崩した。
大した考えもなくやったことなのだろうが、崩れた壁の先には巨大な空間が広がっていた。
そこは、古代の地下都市「デリンクユ」へ通じる隠し通路だったのだ。
「デリンクユ」はカッパドキアの地下に広がる岩盤を掘って作った都市で、最も深い部分は地下85mに達する。
8階層のこの空間には居住区、教会、食料庫、ワイン醸造所、さらには学校まであった。
およそ2万人の人口と家畜が住めるように設計されており、地表までの通風孔と、男性が発見したような目立たない入口がいくつか用意されている。
入念に作り上げられた地下都市は階段と通路で結ばれ、数km離れた別の地下都市とトンネルを介してつながっていることもあった。
建設が始まったのは7~8世紀と考えられており、12世紀を通してよく利用されたとされている。
しかしこれほど巨大な都市を誰が作ったのかも分かっておらず、忘れ去られた理由も分かっていない。
この入り口を最初に発見してしまったこの男性のような心持にさせられた事があった。
本題に行く前にさらに寄り道をしてしまうのだけれども、似たような話は複数ある。
海外で自宅で遊んでいたはずの4人組の子供達が急に行方不明になった。
大人たちが見ると、子供達が遊んでいた部屋の壁が壊れており、その先に地下トンネルが広がっているのが見つかった。
大人たちが地下の捜索を続けるも広すぎて見つからない。
一週間たっても子供たちの発見はされなかった。
ところが、同じころ数キロも離れた全然別の家の床からノック音が聞こえ、そこに住んでいた住人が不審に思い、床板をはがすと行方不明になった子供のうち一人が発見されたという話。
この子供達と同じ状態なのかもしれない。
ある日突然、自宅から地底都市への入り口が見つかった。
その存在を知ってしまったら、その先がどうなっているか確かめたくならないだろうか。
好奇心を止められない。
人に知らせる?
いや、待った方がいい。
それこそ、シュリーマンが神話に基づいてトロイ遺跡を発掘した際の話と同じだ。
シュリーマンがトロイ遺跡の発掘現場にて早朝に太陽光を浴びてキラリと光る物の存在を認めた時のこと。
古代の財宝発掘の予感を感じたシュリーマンは工事していた作業員達による盗掘を恐れ、たった今思い出したけれども、今日は自分の誕生日だったと告げ、一日分の給与を割り増しで支払い休日にするから酒でも飲んで自分の誕生日を祝ってくれと作業員たちを帰らせる。
そしてその間に財宝を掘り起こし、手にしたのだ。
それと同じ事が起こりうるかもしれない。
けれども、誰にも知られないという事はリスクでもある。
何かあった時に助けは来ない。
けれども、自分だけが知るその先の空間に存在する貴重な物をしがらみなく手にすることができるかもしれない。
そんな誘惑の入り口が目の前に開いている。
好奇心を抑えられない。
そんな未知の空間の扉が開いてしまったのだ。
何の話か?
そう、何気にワインの話なのだ。
うちのお店のお客さんで俺に「つかさ鮨」の存在を教えてくれたグルメなお客さんがいる。
その方が、最近今まで全く興味のなかったワインに目覚めてしまったそうなのだ。
そして、良いワインをグラスで原価で飲める吉野町駅の近くにある「君嶋屋」という角打ちに2度ほど俺を一緒につれていってくれている。
そこのワインを飲んで思ったのが、ワインは枠が細かいなと感じたのだ。
ウィスキーとかもそうだとは思うんだけれども、ワインの方がわずかな違いの階層が多いというか。
ボクシングで言えば階級があると思うのだけれども、その階級の間がkg単位じゃなくてg単位と言うか。
スポンジケーキの層ではなく、ミルフィーユの層と言った方がしっくりくるかもしれない。
階段で言えば、段差が小さすぎるとでも言おうか。
細かすぎて、知ろうと思えば思うほど、どれだけ試さなければならないのだろうと思わされる、ずっと奥まで続いている未知の空間の深さ。
でもその地底都市の隠し扉のようなワインの世界への扉を、グルメなお客さんに開けられてしまっている。
もし、仮にワインにハマってしまったらいくら必要なんだろうか。
そして、知りたいという欲求はその内エスカレートしていき、きっと原価でワインだけを飲んでいるのでは満足できなくなる。
より知るために、料理と合わせたいとか思うようになって、きっと「マリアージュが」とか言い出し始めてしまうのだ。
フレンチでワインを頼んだら、一般的には飲食店で出てくるお酒は原価の3倍と言われているし、当然グラスではなく1本単位で頼むことになる
角打ちでグラスで飲んでいるワインと同じものを料理に合わせようとすると、フレンチのコースとワイン1本で1食で5万円コースを覚悟しなければならなくなる。
いけない
駄目、絶対
脳が必死で警鐘を鳴らすけれども、一度好奇心がもたげてきたら引き返せるだろうか。
尾崎紅葉が書いた明治時代の代表的な小説『金色夜叉』で主人公がすがりつくお宮を蹴り飛ばす有名なシーンがあり、その銅像が熱海にある。
その主人公の服に縋りつくお宮が「駄目、絶対」と言っているのに、好奇心を止める事などできるかと台詞を変えて主人公がお宮を蹴り飛ばすシーンが脳内に流れる
段々とこのグルメなお客さんが、蛇に知恵の実を勧められ食べてしまったイヴのように思えてきた。
イヴは自分だけが知恵をつけた事を恐れ、アダムにも知恵の実を食べる事を勧め、仲間を作りだし、エデンの園を一緒に追放される。
まさに「知恵」=「知ってしまう事」だ。
もう、知らなかった世界(エデンの園)に戻ることはできない。
あな、恐ろしや
まさに知らぬが仏
ゾンビがゾンビを量産するように、先に知ってしまった人が知ってしまった人を量産していくのだろう。
そして、まんまと俺もその入り口の前に立たされてしまったわけだ。
まさに古代の地下都市デリンクユへ通じる隠し通路を最初に発見してしまった男性の心持と同じだ。
行くべきか、退くべきか。
行くと財布に修羅の道、引き返せばやらなかった後悔の亡霊に悩まされることになるかもしれない。
教えられてしまったがゆえに、今まで気づかないでいることのできた秘密の扉がぽっかりと口を開けているのを眺めている状態。
そしてその扉の先に入ったが最後、偶然発見してしまった地下通路で行方不明になってしまった子供のようにワインの世界の地下通路で迷子になってしまう可能性が否定できない
まあ、それでも知らないよりは知った方がいい。
ワイン美味しいしね、酔っぱらうけど
チェイサーあっても後に大分効くし
そして赤より白の方が違いの細かいカテゴリ数が多い気がする
角打ちを超えないと決める事、覚悟を持つ事が必要なのかもしれない。
でも、普通に今まで飲んできたワインとまるで別物だからな、これ。
ホストにハマる若い娘にも似ているかもしれない。
駄目だと思いながらズルズルと深みにハマっていく
自分は大丈夫と思いながら、気が付けばタガが外れて、思いっきりディープな世界へと傾倒していく。
ワインも同じなんだろうな、きっと
そんなことを思わされた
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