こんにちわ。
地下鉄吉野町駅近くのカラオケスナック「ミュージックパブキャビーヌ」の中島です。
完全に個人の偏見だけれども、暇つぶしとか時間を潰すという言葉が実は嫌いで仕方がない。
なのでこの言葉を多用する人を見ると、ちょっとお近づきになりたくないなと思ってしまう。
というのも、俺が思うに唯一平等で価値があるものと言ったら時間しかないからだ。
海外のどんな身分の人でも、どんな富豪も、俺自身も老人も子供も同じスピードで流れている時間だけは平等だ。
よく、世の中はみな平等という言葉があるが、あれは嘘だなと思うものな。
生まれながらにして平等でなんかあるはずがない。
それこそ、容姿、知性、親の経済力、教育、むしろ平等なんてものの方が少ない。
それでも生まれながらにして与えられた手札で生きていくしかないから、試行錯誤しその手札の中で工夫し、できることをせざるを得ないんだけれども。
そう考えると、万人に平等で万人に価値を与えているのが唯一時間だと思うのだ。
だから、時間を潰すとか言う言葉はその唯一価値のある平等な物を捨てていると同じだと思うんだよな。
さらに言ってしまえば、人の生涯は1秒1秒の積み重ねで1秒の集積したものだ。
人間の人生を80年で計算すると、一日は24時間。
1時間は60分
1分は60秒。
1日は24×60×60=86400秒
昔の書籍に1日86400円現金が振り込まれる口座があったとして、使いきれなければなくなってしまうけれども、翌日また86400円振り込まれるとしたら、毎日86,400円使い切りますかと聞かれた本がある。
皆、一様に使い切りますと答える。
でも実際は使い切らない。
その毎日振り込まれる86400円が1日の秒数ですよって話があったなと思いだした。
毎日有効に使い切っていますか?と。
で1年は365日なので、80年は365×80+1×20(うるう年)=29220日
すると80年生きると、86400×29220=2,524,608,000秒になる
約25億2500万秒
秒数ってのは人間の命を細分化し、細切れにしたものなんだよな。
てことは、時間を大事にしないという事は自分の命そのものを大事にしないとの同義になる。
よく命は大切にしなさいと教えられると思うが、塊の「命」という概念ではそれを理解しても、細切れにすると同じものだと思えないというか。
大根と大根おろしを同じものと捉えるか、別と捉えるか。
そんな違いだと思うんだけれども、恐ろしいことに時間を潰すという言葉を多用する人って、自分の時間に対してもたいして価値を感じていないから人の時間も無価値なように扱うんだよな。
いや、それ人間の命の細切れだからね?ハートの欠片だよ?と俺は思うんだけれども、時間通りに来ずに平気で待たせたりしてくる人は要注意だなと思うものな。
だから、暇つぶしとか時間を潰すって言葉が嫌いだ。
潰していい時間なんてねえよって思うものな。
ただ、こちらも凡人中の凡人のため、すべての行動に意味づけしたいと思うものの、そこまではストイックにはなれていない。
結構、歴史の偉人の伝記なんか読むと、目的があり、すべての行動がその目的のために意味づけされていたりするものな。
もちろん、そうじゃない時間の使い方もそれなりにあっただろうけれども、伝記とかは時間を凝縮しているからかもしれないが、伝記の主人公は意味のない時間の使い方があまりないのだよな。
中島敦の代表作『山月記』の中で、主人公が自分の挫折を自嘲していう言葉に下記の言葉がある。
人生は何事をもなさぬにはあまりに長いが、何事かをなすにはあまりに短い
何かをなそうとすればあまりに時間が足りないが、なにもしなければ長すぎるって話なんだけれども。
だから、時間の価値認識って重要だなと思っていて、俺が今まで社会生活を送ってきた中で、時間の価値認識とその人の優秀さって比例する気がしている。
完全に俺の主観なんだけれども、経験上時間を大事にする人ほど社会的にもうまくいっている凄い人が多いと思うんだよな。
多分、時間が有限で唯一価値のある平等の物であることをきっちり認識しているからだと思うのだ。
例えばの話、徒歩で30分のところに徒歩2分で売っているところより半額で売っている物があったとして、どのくらいの価格の物なら徒歩で30分先のところに向かう価値があるだろうか?
これが1000円の物が500円で売っていますというのであれば、健康管理のために歩くんだという意思じゃない場合は個人的にはその時間を使ってはならないと思う。
神奈川県の最低賃金の時給1040円ベースよりも、往復して1時間で500円のお得では割に合わないし、そもそもバイトの最低時給は時間の価値に対して割にあってはいない。
人は人を何故雇うのかという問いに、自分でやると割に合わないから人を雇うと記載してあった書籍の言葉に衝撃をうけたもんな。
だから自分の時間に適正な値付けをするって大事だと思うのだ。
未だに会社員やっている身なので大層なことは言えないが、それでも俺はプライベートな自分の時間に10分1000円の値付けをしている。
これは10分時間を使うときに歩きかタクシーかというときに考える。
10分節約できるなら1000円払ってもいいと。
現実は、自分の時間を会社にバーゲンセールで販売しているが、それでもなるべく高価に扱った方がいいと思うのだ。
時間の価値認識を上げる事、これがより前に進むためにはやったほうがいいんじゃないかと思っている。
だから、結構会社の給料を我慢料とか思っているだろうなって人を見ると、かかわりたくないなと思ってしまうんだよな。
我慢する時間に何も生産性はない。
我慢して金をもらうくらいなら違う方法で稼ぐ方法を考えて行動したほうがよっぽど建設的だと思うんだよな。
支給する側もそんな給料を我慢料だと思っている奴に金払いたくないよな。
我慢なんか求めておらず結果を求めているんだから。
求めてない我慢を勝手にされて、双方ストレスならそんな関係は解消したほうがよっぽどお互いのためには良いと思うし。
じゃなければ、せめて我慢ではなく、自分の中でゲームという感覚で生産性を上げたり、達成を目標とする何かを作るか。
件数でもクオリティでもありがとうの数集めでもいい。
どうすれば時間が有効になるか、それを考えたほうがいいと思うんだよな。
世の中には何もしたくない人も多いかもしれないが、何もしないことはゆっくりと削られている鉛筆削りの中にいる鉛筆と変わらない。
いつかなくなってしまうが、ただのおが屑になることを受け入れるのか、文字を残したおが屑になるのか。
結果は一律で何も変わらないかもしれない。
それでも、後は意思なんだろうね、どうしたいかという。
俺の感覚でいくとそれでも何かはしたほうがいいよねと思う、そちらの方が面白い可能性があるしと。
時間を購入することができるのなら、多分相当な価格がつくと思うんだよな、本来なら。
皆、その適正価格を知らないだけで。
でも現実、どんな富豪でも残余時間を買うことはできない。
高齢になった富豪は歯がゆいだろうなと思うのだ。
富豪からすれば、価値を分かっていない人が自分が渇望する時間を無駄に使っているのだから。
麻雀漫画で採血麻雀で命のやりとりをするアカギという漫画を思い出す。
採血麻雀の冒頭でそんな時間の概念についてかかれていたっけなと。
まあ、そんなわけで自分の時間の価値認識は高めたほうがいいよと俺は思っているというネタ。
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