果たされなかった約束

営業マン飯2023年
ご挨拶

こんにちわ、地下鉄吉野町駅最寄りのカラオケBARキャビーヌの中島です。

 

著書

私の営業に関する本をkindleで出版しました!!

よろしければ応援お願いいたします。

https://www.amazon.co.jp/dp/B0CFXPL6V4?ref_=k4w_oembed_I8rlSjq2AhddWe&tag=kpembed-20&linkCode=kpd
キャビーヌLINE

キャビーヌのLINE作りました
友達登録していただくと店舗にてプレゼントあります

♪余計なものどなにもないよね♪

と言えば俺ら世代では超有名な曲チャゲアスの「SAY YES」だけれども。

実際に意味のない物など存在しないなと思わされる。

結果的に存在しているという事は意味があるということなのだ。

寺社仏閣にしろ、天皇家にしろ何千年と存在し続けたという結果を叩き出している物に意味がないはずがないと俺は考えてしまう。

決して開けてはいけないという「パンドラの箱」も、浦島太郎の「玉手箱」にも開けてはいけない理由が存在した。

ツタンカーメンの王墓の呪いの碑文「偉大なるファラオの墓にふれた者に、死はその素早き翼をもって飛びかかるであろう。」は呪いは実際に存在すると噂されるような事件が起きた。

存在する開かずの間では開けてはいけない理由があるし、映画「禁じられた遊び」でも禁じられる理由が存在する。

学歴フィルターにも当然、そのフィルターが存在する理由があるのだ。

そして履歴書にも・・・

人様の話で、その可能性がそれなりに存在する事は薄々知ってはいたが、やはり人間、自分で体験しないとちゃんとは分らない物だよな。

某よく行くカウンターBARの店長さんも、10数連敗したと聞いていたが他人事なので面白がっていた。

けれども、自分事だと覚悟していてもやはり「グッと」くるものがある。

何の話か?

そう、面接だ。

チラシ配布業者さんに依頼する前の事。

自分でポスティングスタッフを雇ってポスティングをしてもらおうとエンゲージでモンスター営業が作ってくれたページで公開しているんだが、ようやく面接に来るという人材が見つかった。

そして、11月の時点でこの日の夜に面接する予定だったのだけれども・・・

来ない

待てど、暮らせど

やはり、来ない。

そしてくる気配も、連絡すらない。

「そうか、多分クリスマスが近いからかな」

ぼそっと呟く

脳内で急に山下達郎の「クリスマス・イブ」のBGMが流れる

♪きっと君は来ない♪

その直後にシャ乱Q の「ズルイ女」に曲が変わる

♪何故、こない、こない、こない、こない、こない、アンタは~♪

母音に濁点がつくような叫び声をあげたくなる

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」

脳内で絶叫した後、これの「10何連敗」を頂戴するって某カウンターBARの「N澤さん」を思うと涙無しには語れない。

まあ、面接スルーはよくあると聞いていたし、半分予想通りではあったのだけれども。

モンスター営業が募集しているページでは1日80人から100人の応募があるらしい。

そこで、モンスター営業は履歴書を書いていない人を即落としするのだ。

やる気がないから会っても無駄という事らしいんだけれども、そもそも応募すらない場合は条件に見合ったら先に進めさせざるを得ない

何しろ、今は人手不足だし。

なので初面接だからと、面接で聞く項目を用意し、チラシの配布先の地図も用意し、飲み物も用意し、仕事内容の説明と注意点の記載した紙も用意し、すぐに渡せるようにわざわざちょっと重かったチラシも持っては来たけれども。

やっぱ来ないね。

まあ、若さってのは武器でもあり、無知でもあるから仕方がないんだけれども。

履歴書を書かないで応募してくる人ってのはこういう可能性が高いってことなんだよな。

だからモンスター営業がバシバシ落とすのも、理に適っているのだ。

でもそれは自由に選択できる側の話であって、応募がない側はそのわずかな薄い可能性すら拾わなければならないわけで、フィルターかけたくてもかけられない諸事情があるということ

だとしたら、フィルターをかける事ができるように応募が多くなるような見せ方をするしかないんだよね。

けれどもと思う。

やはり、いくら採用できなくても履歴書すらまともに書かない人はフィルターで弾いた方がいいと思うんだよな。

面接何度もスルーされたらどれだけ時間を失う事か。

そして、人間にとっては時間が唯一平等で価値がある物だ。

だから時間の価値をしっかり認識している人ほど何かで成功を収めていると俺は思っている。

俺は「暇つぶし」という言葉が嫌いで、この言葉を使う人とあまり関わりたくないと思う。

「潰す暇なんかねーよ」と思うのと同時に、時間というのは人間が与えられた命を細分化したものだ。

1秒という時間の累積が人生であるわけであって、言い換えると1秒は自分の命の細切れ。

その自分の細切れにした命を「暇つぶし」という名で潰すような人は、そもそも自分の生命を軽んじている。

どんだけ自分に価値がないと思っているんだよと思うのと同時に、自分で価値のない人間だと主張している人間に、俺の時間を奪われていると思ったら、無駄に命の残数を奪われたなと感じてしまうのだ。

ある意味、通り魔に軽く刺されるのとたいして変わらない。

だから反転して考えると、その人が他者の時間をどう考えているかが個人的には重要だ。

相手の命の一部であるという認識を持っていれば、無駄に人の時間を浪費させたりはしないはずだ。

ということはだ、平気で人を待たせてアポを無断キャンセルとかする人は「自分の時間の価値認識」も低い。

言い換えると、自分で自分を価値のない人間ですと言っているようなものだ。

何しろ、人様の時間を軽んじるって事は、自分の時間の価値認識でそれでいいと思ってやるからだ。

そんな奴と基本的に関わっちゃならない。

若さゆえ、時間の真の価値を知らないという可能性も否定できなくはないが、それでも、それだけ自分の時間を安く見積もっているから人の時間も大事にしませんよという風にみえるのだ。

そう考えると、履歴書すら書かない人には最初から期待できないから会わない方が良いという発想の存在も頷けるんだよな。

結局、会社が社員を雇うのも、自分でやったら割に合わないから雇うという発想もあるが、多くは経営者の代わりを作って、経営者の時間を確保するためだ。

それだけ、社会の層の上に行けば行くほど時間の価値認識が高い。

俺が知る限りは時間の価値認識と社会的なステイタスは間違いなく比例する

そんなことを思わされたが、本日

この日のお昼は世田谷区の上町というところで仕事

三軒茶屋経由で行くのだが、三軒茶屋でランチにしようと思っていた。

なかなかの高級店が多い地域でそそる店を検索しても出てこなかった。

なので、ふらっと歩いてサバを食える店を探そうと思ったのだ。

すると、三軒茶屋の駅を出てすぐの「すずらん通」というところに「サバの塩焼き」の文字を見つけた。

結構、お店によってサバの味と脂は違うので迷わず入店

大衆割烹「味とめ」という店で、今日は「きりたんぽの日」らしく皆で仕込みをやっている中、俺はサバの塩焼きライス抜き

そうしたらライス抜く代わりにサラダつけてくれた。

シジミの味噌汁も家庭的で美味しい。

ナスの前菜もいいお味だし、鯖もちゃんとオイリーでジューシー

何故かバームクーヘンみたいのがついていたが、これは食べなかった。

値段の割にはボリュームが多く、かなりリーズナブル

よくこんな地価の高いところでこの値段でやれているなと思ったが、おそらく持ち物件なんだろうね。

メニューも豊富で昼飲みもできるようなので、いつか再訪して珍しい料理を頼みたいなとか思ってしまった。

本日も多分糖質30gもいっていないと思う。

コメント

タイトルとURLをコピーしました