目撃してしまった虚舟(うつろぶね)

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虚舟(うつろぶね)とは、日本各地の民俗伝承に登場する架空の舟とされている

虚舟の伝説の中でも最も広く知られているのは、享和3年(1803年)に常陸国に漂着したとされる伝説である。

江戸の文人や好事家の集まり「兎園会」で語られた奇談・怪談を、会員の一人滝沢馬琴(南総里見八犬伝を書いた人物)が『兎園小説』に「虚舟の蛮女」との題で図版とともに収録したものが、今に知られている

江戸時代のUFOとされているが、未知を恐れた村人に「うつろ舟」は海に帰されたとされており、実態は分からない。

だが、1803年の時点にしては絵が今で言われているお椀型のUFOに類似していて、あながちただの創作とも思えない。

実際に各地に残る洪水伝説と一致するノアの箱舟伝説や、シュリーマンによって発掘されたトロイ遺跡のトロイの木馬伝説といった神話や伝説が史実であったのではないかと言えることも多い。

なので、虚舟も完全なフィクションという事もないのではないかと思えてしまう。

そんな虚舟を俺は本日、目撃してしまった。

いや、初めてではなく2度目かな。

本日は県会議員の先生のお手伝いで仕事前の早朝から駅前で政治活動のビラを撒いていた。

前日はお店の営業だったため、軽めの酒にしたとはいえ、やはり6時起きは眠い

睡眠時間は4時間半ほどだろうか

元々はデンタルショーで歩行者の歯科医師に会社のチラシを押し付けるのは慣れている。

そして、つい先日、自分で自分の店のポケットティッシュを配ったときも、大きめな声の挨拶と、パーソナル空間に踏み込んで、絶対に渡すのだという強い意思を見せれば結構受け取ってくれる物。

ただティッシュと違うし、その空間に興味のある歩行者じゃないからちょっと厳しいかもなと思っていた。

が、俺は20年以上もそれで口に糊している営業のプロの端くれ

真のプロの技をお見せしよう

と少年漫画で秘密の必殺技を出すような気になっていた。

そしてビラを配布し始めたのだけれども、ポケットティッシュを配布しているときも思ったけれども、日本はやばいんじゃないだろうか。

おそらく通勤に向かうご妙齢の女性歩行者達

眉間に皺が寄っており、般若の様相の人だらけ

「一歩でも近づいてごらんなさい、殺すわよ」

と漫画雑誌の見開き1ページ丸々使うような大きな「吹き出し」を頭から出している

今にもその頭上に出した「吹き出し」の尖った先を凶器にして、「くノ一」の手裏剣である「くない」のように俺に投げつけてきそうだ

そして目が虚ろ

光も魂も感じず、がらんどうの人形の目をしたようなクリーチャーが歩いている

うつろだ、虚舟だ

こんなところに虚舟伝説があったんだとか思わされる

下手なホラー映画よりも、日常を生きている一般人の表情の方がずっと怖い。

多分、ポケットティッシュとかビラ配っているときの普通の歩行者の顔を撮影したほうが本当のホラー映画を撮れるんじゃないかと思うのだ。

だが、俺はここに仕事をしに来ている。

なので、吹き出しから飛び出している殺意など何するものぞ

断じて行えば鬼神も之を避く

そして配り始めたところ、県会議員の先生本人よりも早いペースで配布し終わった

「お代わり」のビラをもらいに行き、それも配り終えると時間がもったいないので、近くで配布している人からも「お代わり」をもらい、時間内に2回お代わりと残り1枚まで配り終えた。

すると、先生に「俺より早く25枚配り終えたのすごいね、ありがとう」とお褒めいただいたが、「あの道そんなに歩行者通ったんだね」と言われた。

「1人1人の通行者だったので配りやすかったです」

なんて答えたけど・・・

違うよ

俺はもう、雑兵であることも一兵卒であることも辞めたんだよ

俺がそこに自分の意思で行ったからには結果を出すつもりで行っている

体裁を整えるためや、ただのバイトと違い、行って体面をお化粧するだけでは意味がないことも理解しているし、そんな形だけの奴なんて士気が下がるからいなくてもいいだろ。

結果を出してこそ意味があると、当事者意識でやっているから「般若」達に受け取らせることができたんだよ。

誰が好き好んで直接的に自分事ではない事に「近寄るな」とか「こんな狭い道で」とか罵倒されることを望むというのだ。

意思を結果で表してるのだ。

どうせやるつもりで行ったからには他の人と同じじゃ意味がないし、嫌々お付き合いで行っていても意味がないし、それじゃ「粋」じゃないというか、そんなの見ても「快くない」でしょ。

だから、行くからには誰よりも多く配ると決めていたし、実際に俺が一番多く配っていたと思う。

変な話、織田信長が徳川家康をまだ人質にしていたころ、敵に捕らわれた実兄の織田信広と家康の人質交換を断れと言ったのと同じ心境だ。

家康は人質にも関わらず「自分は大将」だと言ったとされる

そんな人物と、簡単に敵に降伏して生け捕りにされるような人物のどちらに価値があるのかと

俺も雑兵でも一兵卒でもないんだから、やるからには結果に無責任だったり、無関心であることはない

まあ、まだ先生との付き合いの日も浅いし、理解されるのは確かに難しいとは思うが、ちょっと心外な事言われたなと思ってしまった。

ただ、また一つ学びがあったことも事実で、やれば学習がある。

今度ポケットティッシュを配る時は必ず店名を言った方がいいなと。

先生の名前を必ず言うように言われていたんだが、確かに僅かでも記憶に残れば可能性が生まれるしな。

自分のためにもなったので、やはり何でもやるべきだよなと再認識させられる。

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