確かに仕事はガルシアへの手紙なのかもしれない

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こんにちわ。

地下鉄吉野町駅近くのカラオケスナック「ミュージックパブキャビーヌ」の店長中島です。

超有名なエピソードに表題のガルシアへの手紙という物がある。

これは仕事の心得の基本中の基本とされているものだけれども、会社や世の中で働いているとこれができていない人に遭遇することが多くて、日テレの朝の番組スッキりの占いに出てくるスッキリスならぬゲッソリスになってしまう。

でこのガルシアへの手紙の話なんだけれども、

米西戦争の翌年、米国のある雑誌に「ガルシアへの手紙」(”A Message To Garcia”)という記事が載ったそうだ。

その雑誌はたちまち評判となり、増刷に次ぐ増刷を重ねることになる。

米海軍の全兵士、全米のすべてのボーイスカウトがその冊子を手にしたと言われていた。

やがてその記事はロシア語に翻訳され、鉄道労働者や兵士たちに読まれることになった。

丁度先日記事にした日露戦争の際、ロシア兵の捕虜がみんなこの冊子を持っているというので、日本語にも訳された。

明治天皇は、これを読むと、すべての帝国軍人と政府役人にこの冊子を配布するよう命じたそうだ。

この記事を書いたのは、エルバート・ハバートという人

概要を引用させてもらおう。

米西戦争のさなか、米国大統領マッキンレーは、早急にキューバの反乱軍のリーダーであるガルシアと連絡を取らなければならなくなった。

その男ガルシアは、キューバの山奥のどこかにいるとのことだったが、誰もその所在を知るものはいなかった。

郵便も電報も、ガルシアの元へは届かない。

だが大統領はなんとしてもガルシアの協力を取り付けなければならなかった。

そんな時、誰かが大統領に進言した。

ローワンという男なら必ずや大統領のためにガルシアを見つけてくれるでしょう。

ローワンは、命令を受けると、手紙を持ってボートでキューバに渡り、スペイン兵のいるジャングルに消え、3週間後に再び姿を現した。

手紙は無事ガルシアに届けられたのだという。

話としてはたったこれだけなんだけれども、現代日本に置き換えてみよう。

例えば、北海道のどこかにいるらしいが誰もその居場所も顔も連絡先も知らない秘密結社のリーダー「柴田権六」という男の連絡先を手に入れるか手紙を届けてくれという仕事を依頼されたとしよう。

自分だったらまずどうする?

ちょっと考えてみてもらいたい。

でもって、このガルシアの手紙が伝えたいことは下記の通りだそうだ。

アメリカはそのどこにいるかもわからないリーダーに、大統領からの手紙を届ける必要があり、その困難な要求に見事に応えたのがローワンという将校である。

大統領はローワンにガルシアへの手紙を手渡したが、そのときローワンは、その手紙を黙って受け取り、「ガルシアはどこにいるのですか」と聞かなかったということである。

このような無理難題をもし部下に頼んだら、多くの部下はいい顔をせず、「どうやって」「何の為に」「なぜ私が」「急ぐことですか」などと質問し、さらには「“ガルシア”というような男はいません」というような報告するであろう。

こうした自主的行動力のない、道徳心のかけらもない、意志力の失せている、そして自ら進んで気持ちよく頼まれごとを引き受けない、などの生き方をほとんどの人がするために、いつまでたっても、本当の意味での「理想の福祉社会」が実現できないのだ。

自分自身のためにだってろくに行動しない人たちが、果たしてみんなのためになることをするものだろうか。

私が心をひきつけられる人とは、上司がいようと、上司がいまいと、自分の仕事をきちんとする人である。

そして、文明とはそんな人を求めて探し続ける道程なのである。

「ガルシアに手紙を届けられる」人間の願いは、何であろうと聞き入れられる。

このエピソードの真意は上記ということなのだが、これって俺の身の回りでもよく起きていて、その度にため息が出る。

いやいや、仕事は金をもらう権利じゃなくて自分が提供した価値に対しての対価だろうって俺は思うのだ。

だから、例えば俺ら営業のアシスタントをする部署の人間が、こちらが出先から必要となって、聞いている問いに「知りません」とか、「分かりません」で躱そうとするのを見ると、大人でそれはないよなと思ってしまうのだ。

結果として営業をサポートする仕事なんだから、何故知らないなら教えてくださいとか、ここにいる他の人に聞いてみますとか、知ろうとしないんだろうか。

分かりませんとか知りませんで完結したら、今後もずっと結果的にサポートできないまま放置していきますって宣言に等しい。

そんな存在会社に必要か?ってなると思うんだよな。

若い人にそれをするのが多いイメージがあるがアラサーになったらさすがにその回答はおかしい。

分からないなら、調べろよと思うし、自分の仕事じゃないと思っているなら誰の仕事か明確にし、そちらの部署なので依頼しておきますくらいすればいいし、それすらも調べない。

いや、そもそも自分の仕事じゃないって発想も結果を出そうとしていないんだよな。

だから、仕事でそんなの聞いていないとかいう言葉も聞くと、かなりげっそりさせられる。

それは想像力がないだけで、やる気がありませんと言っているようなものだろうと。

やる気がないなら辞めればいいのに、なぜ辞めないんだろうか。

分からない事があるなら現代にはスマホがあるんだから、分かるまで調べろよと思うのだ。

うちの飲食店でも、以前に聞いていないから、伝票の書き方が分からない。

できなくて当然のことをさせようとするなんて、とんでもない理不尽な要求をする的なこと言われたことあったっけな

一瞬で背筋が凍った。

大人でこんなこと言う人絶対に仕事できないし、かかわってはいけない人。

そもそも伝票の書き方すら一目見て分からないっていう理解力の無さが俺には理解できないし、それ職務遂行能力の欠如の解雇条件満たせるレベルなんじゃないとも思うけど、なんで伝票書き方で調べないんだろうね。

学校じゃないんだから、ガルシアに手紙届けろとは言わないが、自分にやらざるを得ない状況があって、分からなければ正解を自ら主体的に調べて学べよと思うんだよな。

それすらできない人など社会は求めていない。

それこそ労働をするならそこにおける労働はどういう物かをネットで事前に調べて概要くらい皆当然学ぶと思うのだ。

俺が会社で営業として中途で入社して、初日に「どこにいって、どうやって、誰に、どのように売ればいいですか?」とか会社で聞いたら試用期間中の初日に間違いなく解雇だよ。

そんなこと聞く人間会社には必要ないし。

知らないとか、分からないとか、聞いていないとか、自分は関係ないとか、人が言うたびに、ガルシアへの手紙の話を思い出す。

そして、上記の言葉を使う人が年齢を重ねたら次の仕事そりゃないよねと思うもんな。

1度でもこんなセリフを対象から聞いたら、人から頼まれた時も含めて、求人しているときに声かけようとか紹介しようとは絶対に思わないものな。

仕事できないですって宣言しているのと同様だし、紹介したら自分の顔を潰すことになる。

だから、常日頃からちゃんと仕事しなきゃならないと思う。

今の連続性の先に未来があるんだから、今の仕事がちゃんとできていなければ未来の仕事もきっとできない。

そして、人もそれを理解するから、その人からはどんどん仕事が逃げていく。

本当に日々毎日、その瞬間その瞬間が重要だよね。

毎日楽しむのも含めてだけど、仕事も毎日結果に対してちゃんとしていないと、年齢と共に雇用を求めることがどんどん難しくなる。

俺の年齢くらいになって転職のハードルが上がる現実を見るとますますそう思うよな。

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