噛みちぎられ続けるバナナの皮

営業マン飯2023年
ご挨拶

こんにちわ、地下鉄吉野町駅最寄りのカラオケBARキャビーヌの中島です。

 

著書

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バナナの皮だなと思わされた。

バナナの皮と言うと、不特定の誰かに踏ませて滑らせて転ばせるという古来より伝わる非常に危険な伝統的トラップだ。

路上のテロリスト達の常套手段でもある

けれども、記載したい事はそうじゃない

もうどこで何の記事を書いたか覚えていないのだけれども、以前にも記載した記憶がある。

漫画「今日から俺は」のキャラクターの番長「今井」ではないけれども、皆はバナナの皮を食べた事はあるだろうか?

当然、俺はバナナの皮を食べたことはない。

可食部と呼ばれるバナナの皮をむいた中身は食べるけれども、廃棄部と呼ばれるバナナの皮は普通は食べない。

卵も一緒だ。

卵の殻は廃棄部だけれども、中身は可食部だ。

ところがだ、人は食品においては廃棄部を捨て、可食部しか食べないのに、マインドは真逆だ。

可食部を捨てて、廃棄部を口にする

物事の事象の受け止め方は自分で自由に選択できるのに、何故か悪い方に受け取る選択をする人が多いように思うのだ。

過去の記憶においても、テレビなどの編集と同じで、良かった記憶部分だけを切り取って、悪かったと思う部分を捨てて思い出にしてしまえば、精神衛生上にも良い

起きた事象を自分に都合よく解釈をする事というのは、食品で言えば廃棄部を捨てて可食部を食する事と同じだと思うのだ。

けれども何故か人は食品のバナナの皮は捨てるのに、記憶ではバナナの中身を捨てて皮だけ食べがちだ。

わざわざ記憶のバナナの皮だけを齧るような真似はやめて、記憶のバナナの中身だけを食べた方がずっと良いと俺は思うのだ。

そんな事を思わされることがあったのと、ちょっと前に東洋経済オンラインで面白いと思う記事を見つけた。

そのタイトルが下記のようなものだった。

「幸福な人」 「不幸せな人」 付き合っている人の違い 実は双方のグループが決して交わらないという事実

「幸福学」の第一人者ともいえるのが、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科の前野隆司教授だそうだ。

前野氏によれば、幸福も不幸も人間関係を通じて「感染」するため、愚痴が多い「不幸」な友人と時間を過ごせば過ごすほど、自分もそちら側へ引っ張られるとのこと

エール大学の教授による研究結果においても、幸せも「うつる」ことがわかったそうだ。

具体的には、友人関係をネットワークとして図に表し、人間関係を線で結んでいき、自分を幸福だと思う人と自分を不幸だと思う人を色分けしていく。

すると、5年、10年と時間が経過するにしたがって、幸福な人の色と不幸な人の色がほとんど交じり合わず、色分けされながら互いに増殖することがわかったとのこと。

幸福は、人間環境の産物なのだそうだ。

ということはだ、幸福な選択をしている人間はより幸福になっていき、不幸を選択している人間はより不幸になっていくという事

考え方や受け止め方や、自分にはラッキーしかおきないことを決めることでその幸福側の恩恵に預かれるという事になる。

なのでラッキーしか起きないことを決めた俺からは不幸が青ざめた顔で裸足で逃げて行っているという事なのだ。

俺にはラッキーしか起きないため、俺は不幸に恐れおののかれて忌避されている。

不幸が逃げていくのだよな。

それもラッキーしか起きないと決めた事が原因なのだ。

一見現実的に考えるとなんの因果関係もないように思えるかもしれないが、自分に都合よく受け止めるというか、ラッキーである理由探しをしていると自然と結果がよくなる行動や考え方の発信になっていく。

会社員と経営者の立場を両方当事者になったからこそ分かったこともあるけれども、自分にラッキーしか起きないと決めることは結果的には物事に感謝できるようになり、その感謝が自らの情報発信となる。

人間は「慣れ」で、いくら良い状態が与えられていても、それが続くと段々とそれが当たり前になっていき、感謝が損なわれていく。

そして、自分にはラッキーしか起きないと決めていないと、現状の不幸探しを始めてしまうのだ。

何かが足りない、何かが不満。

そう気が付けば、剥いて食べようとしていたバナナの中身を捨てて、捨てようと思っていた皮を齧り始めているのだ。

健康も家族もそうだが、基本的には失わないとその価値に気づかないことが多い。

でもそれは、普段からラッキーである理由探しをしていなく、不幸である理由探しをしているからなのだよな。

「バナナの皮齧りマニアの人」は幸福である理由探しができていないため、その不満をついつい恒常的に発信してしまうのだよな

ところが、基本的に人間はびっくりするくらい他人に関心がない。

もはや「バナナの皮マン」と呼んでも個人的にはいいかもしれないと思っているが、興味のない対象が負の情報をまき散らしていたら、絶対に関わりたくない。

けれども「バナナの皮ラー」達の関心のベクトルは自分にしか向いていないため、他人がどうという発想がなく、他人が自分に興味がないという事実すら気づかない。

そんな「妖怪バナナの皮齧り」となって負の情報を発信している人に良くしてあげようと思うような人は存在していないと思うのだよな。

となると、結果的に人から好意的な何かを受けられず、悪意を受け取ることになるので自ら負のスパイラルに陥っていくわけで、やはりラッキーしか起きないと決めてラッキーな理由を探していれば、いつもの当たり前の日常がラッキーだなと思えて、いつも通りに感謝できる。

そうなってくると自分と関わる層も同じ人種になっていくし、感謝が伝われば応援しようという気になる人もいるとは思うのだ。

最近俺の店舗でも客層が変わってきて、うちのお客さんに今不幸そうな人がいないなと気づかされたのだ。

木曜日に来てくれるお酒を自粛しているお客さんがいるのだが、今までのルートは俺と違ってきたのだけれども、答えが俺とまるで同じだと思わされて物凄くしっくりくる男性客がいる。

この方、数年前に医療ミスで6年間ほど寝たきりになったそうだ。

最近の持論だけれども、人間はとことん当事者にならない限りは当事者の事を理解はできないものだと思っている。

医療ミスで6年間寝たきりでリハビリしたというのは想像を絶するレベルの辛さだと思うし、当事者になっていない以上どうやっても理解できないレベルの辛さなのだけれども、この方は今その医療ミスによる寝たきりになったおかげで、大好きだと思える彼女と出会えたから良かったと思っていると言ったのだ。

人生のうちの6年間も無駄にしたと医者を憎むこともできるし、保険料の支払いを免れるため裁判にして、裁判費のコストを個人が払い続けることはできないだろうから、正規の保険料じゃなく、減額した保険料で妥協して、降りてくるだろうと足元見てくる保険会社の不誠実性に怒りをぶつけることもできるだろう。

けれども、そうじゃなくて廃棄部を捨て、良かったところだけを切り取っているのだ。

物凄く良いマインドだと思えて、そのお客さんが常連になってくれているのも俺はラッキーだと思える。

でもって、先日の事なんだが、やはり小さい店舗でも経営する側の当事者になると、経営者の事が分かるようになる。

うちの会社の社長がたまにえげつない人事とかするのだけれども、その気持ちも分かるようになったのだよな

結局、「バナナの皮好き」が多いので、良い部分は当たり前で、結果も出さずに不満をすぐに要求してくる社員が多いように社長には見えると思うのだ。

俺から見てもこいつ酷いなと思う社員が結構いる

世の中の大部分は誤解と勘違いで成り立っているので、本来当たり前の事ではないのに、慣れで良いのが当たり前になり、もっと自分の欲望を満たそうと「よこせ、よこせ」とバナナの皮を被ったバナナの皮星人が奪いにやって来る。

義務を果たした上なら分かるが、自分の都合でしか物が見えていないから自分の責務は棚上げして権利ばかりの主張となる。

これも多分、ラッキー探しをしていないからそうなるのであって、ラッキーである理由が見つかっていればラッキーであることに感謝できて要求もしないし、不満の言葉も出てこなくなるのだよな。

結果的にその行動や行為が自分にとってメリットのある発信になるというか

まあ、でもうちの会社は「毎日かあさん」ならぬ「毎日コボちゃん」なので笑える事件が毎日起こるけれども。

こないだも10年以上勤めた地方の一人営業所の社員がいきなり退職代行使って失踪したしな。

他でも会社で試用期間中にスーツの内ポケにストロング0を忍ばせて寝てしまい、オフィスフロアにストロング0ぶちまけた社員もいたしな。

うちの会社で毎日起きる事件を4コマ漫画にしたら面白いんじゃないかとか思うものな。

とまた脱線してしまったのだが、本来のネタに戻ると、最近も俺はラッキーしか起きないと決めてからやはりラッキーしか起きていない。

つい先日の事、世の中には結果を決めている人がいると友人のインド人の仕事で気づかされて以来、俺も結果を変えることにできる人に結果を変えてもらおうと思っていた。

社長面談があったのだけれども、俺の会社における結果を決めるのは社長だ。

なので、面談の時に不満や何かあるか聞かれたがラッキーしか起きていないので何もないと答えた。

ただ、毎年受注件数を前年比上回っているのに、物価が上がって年収が横ばいなのはちょっと辛いと伝えたところ、年収をあげてやると一応は言ってくれた。

口約束だし、まあ上がると言ってもこんなもんかってところだろうと思っていた。

ところが、先日給与改定の紙見たときびっくりした。

漫画みたいに目が飛び出て、給与改定の紙を飛び出た目玉で突き破るかと思ってしまった。

たった一言、結果を変える事にできる人に結果を変えてくれと言うだけでこんなにも変わるものなのかと。

今までの俺は一体何をしてきたんだ?

まあ、それでもそれに今気づいたこともラッキーだし、結果を大きく変えてもらえたのもラッキーだ。

多分、考え方や選択なんだよな、すべては。

みんなバナナの中身を喰おうぜって思うもんな。

でもってランチ画像は今日受注が決まったのだけれども、千葉県の銚子の方に行ったときのご飯。

「江戸の仇を長崎で討つ」ではないが、「江戸の偉大さを銚子で知る」だった。

最初の商談に向かっていた時の事、俺の腕時計の針は商談まで残り40分を指していた。

目的地までは残り3km

慌ただしいが、目的地近くでランチを摂ろうと思っていた。

すると、大通り沿いにカレー蕎麦の人気店と言う大きな看板をみつけた。

「カレー蕎麦ね、悪くはないな」

でも決定打に欠けるなと感じていた。

すると、目の前の車2台が連続してその蕎麦屋の駐車場へとウィンカーを出した。

「なんだってぇ!!」

それに気づいた俺も慌ててウィンカーを出すとドリフト気味にカレー蕎麦の店の駐車場に車を乗り入れた。

地元の住人の車が立て続けに吸い込まれていくカレー蕎麦屋

こいつはひょっとすると、とんでもない隠れ家の名店を見つけてしまったかもしれない。

いそいそと店内にはいると結構な混雑

そして俺の後からは並びで待つことになってしまっている。

「いいね、いいね」

高まる期待

あまり時間はないが、カレー蕎麦なんてすぐに出てくるだろうと思い、注文。

するとまさかの20分待ち

商談まで残り20分

熱々のカレー蕎麦を10分で食べて、10分で商談の場に行かなければならない。

時間的に味わえる余裕はないけれども、美味ければそれでいい。

そんなことを思っていた。

レンゲをカレー蕎麦の丼に突っ込み、スープを掬いあげる

フーフーしながら冷まして口に運ぶ。

すると・・・

あれ・・・・

これ・・・・

ちょっ俺好みじゃなくない?

というより、横浜駅とかの立ち食いソバのカレー蕎麦とかの方が好みなんだけれども・・・・

でもこれ1000円超えている蕎麦だよね・・・

え~

と銚子で都心のご飯のレベルの高さを思い知らされた。

何故あんなに混んでいたのか俺にはまったくもって理解できなかった。

なので、カレー蕎麦かき込んで商談に行ってきたのだけれども。

物凄く何か悔しかった。

まあ、考えようによっては自宅周辺の偉大さを知れたので良かったかもしれないね。

そして本日その商談先を受注したからよかったけれども

そしてもう一つの画像のハンバーガーは千葉駅で有名なハンバーガー屋の物

「パントリーコヨーテ」というお店の「エースハンバーガー」にパティ追加してベーコンも追加

でもって潰して食べようとしたのだけれども、ビーフ100%のハンバーグが固くて潰れてくれない。

ハンバーガーって物凄く食べづらいし、見目麗しく食べるの難しいよね。

そして、自分でケチャップとマスタードかけないと味がしないのね。

確かに美味しいのだろうけれども、なんか日本で3番目の人気のハンバーガーらしいが、ハンバーガーと言うジャンルで答えを見つけようとするのは止めようかなと思ってしまった。

食べづらいし、味も自分でケチャップとかかけて調整する物なのはなんか違う気がするというか。

モスバーガーとかビッグマックとかロッテリアの「絶品チーズバーガー」でもう完成されているんじゃないかと思ってしまった。

そして、お次のラーメンの画像はこれまたこないだ受注した相鉄線の西谷駅とかJRの鴨居駅から近い「竜泉寺の湯」の近くにある「弐七家」というラーメン屋さん

お店に来てくれるグルメなお客さんお勧めのラーメン屋だ。

何気に過去に2回訪問したのだが、2回とも臨時休業で返り討ち。

丁度、この近くの歯科医院で先週受注したので契約の際に覗いてみると営業していたので、これは行かなければと即座に入った。

教えてくれた方のオススメが「塩ラーメン」だったので迷わず塩ラーメンを注文。

家系の塩ラーメンと言うと関内近くの「三国家」や坂東橋の「精一杯」の味を思い出す。

濃い味好きなので味濃いめと言ったら、ちょっと裏目に出たかもしれない。

家系の塩ラーメンにしてはクリーミーでちょっと他とは一線を画す感じがした。

ところが、味濃いめが間違えてしまったのか、やはり知っている味に近い感じで、繊細な何かの味を殺してしまっているようだったのだ。

あのグルメなお方が言うので絶対に違う何かがあるはずなんだが、味濃いめの過ちを犯してしまったようだ。

後日に契約した医院の納品があるので、また寄る機会があると思うので、次は全部普通の「塩ラーメン」にトライしたい。

で最後のは本日も鶴ケ峰で仕事だったため、目的地に向かいながらランチをどうしようか思案していた。

とぼとぼと歩いているとふっと目に入ったお店があった。

「レストランマヤ」という昔ながらの純喫茶に近い洋食屋だ。

昔ながらの食品サンプルが妙にそそって思わず入店。

そこで子どもが好きそうなものを全部乗せてやった、

ハンバーグとエビフライとヒレカツのグリルセットを頼んでやった。

いーだろー?

と誰に言うわけでもなく心で呟いて料理が出されるのを待つ。

実際に食べてみると、なんか懐かしい家庭的な感じで満足できた。

もちろんライス抜きだけれども。

ちょっとランチ画像溜めすぎたので駆け足更新をしてしまった。

明日は何を食してやろうかな。

また炭水化物カットを実施しないとなあ・・・・

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