こんにちわ。
地下鉄吉野町駅近くのカラオケスナック「ミュージックパブキャビーヌ」の店長中島です。
さて、表題は東進ハイスクールの現代文の塾講師林先生の名セリフだ。
CMでやっていたと思うのだけれども、ちょっと乗った時の授業のときの言葉がブレイクし、今では日本のタレントに。
いつ勉強するか?
今でしょ?
そう言う流れだったと思う。
これが結構つながった言葉がある。
元々俺はお笑い芸人のキャプテン渡辺が好きで、新中野の地下ライブ場のような場所でゴットとブッタというイベントをやっている時もあり、それも見に行ったことがある。
レギュラー番組では土曜日の午後3時からテレ東でやっている土曜競馬番組ウィニング競馬に出演しており、ギャンブルのクズ芸人としての芸風でパチンコ屋のネタとかを漫談にしている芸人だ。
その中のクズ名言集というのがいくつかある。
いくつか挙げてみよう。
“仕方ない”と結論づけた事の8割が仕方なくない。
百均を本当に“命の恩店”だと思った事がある
一日500円とかで生活をしなきゃいけない時でも、おやつを食べる。
一応、最悪の状況になる事を想定して行動する事もあるが、想定するだけで解決策は何もない
三日前に始皇帝みたいな顔で焼肉食ってた奴が、三日後には百均のデカいパンを貪り食う。
パチンコ相手にすぐ背水の陣を敷く
“その時はその時や”なんてカッコつけてよく言うが、“その時”が月に五回くらい来る。
金もないくせに、突然うなぎを食べる。
バイトの面接後のパチンコに勝つと、もうそのバイト先には行かない。
友人にお金を借りる予約をする
生活が苦しくて、電車賃を浮かす為に二駅ほど歩く事もあるが、歩いて喉が渇き途中でジュースとアイスを買ってしまい、台無しになる。
ダメだとわかっていて、見えてる落とし穴に落ちる。
“お前、将来ホームレスになるんちゃうん(笑)?”という冗談が、言うほど笑い話ではなくなって来た。
ピンチがチャンスだった事は一度もない。
多分、お金がないのは“ツイてないから”ではない。
ろくに5千円も返せないくせに、人生を楽しもうとする。
生活が大ピンチでなかなかバイトが決まらず、やっとバイトの面接に合格したとしても、“それじゃあ、早速明日からお願いします”と言われると、“…え!?…明日は嫌だな”と思う。
土俵際いっぱいで粘るのではなく押し出されてから粘ろうとする。
とまあ、色々なクズ名言があるのだけれども、やはりそれなりに良くも悪くも長く生きている人間の言葉にはちょっと重みがあるなと思う言葉があった。
それが最後に挙げた「土俵際いっぱいで粘るのではなく押し出されてから粘ろうとする。」だ。
これよくよく考えると、もう土俵を出されて負けが確定している事が分かっているのに、その結果を変えようとして色々抗うって事だと思うんだけれども、それを理解している時点でもまったく分かっていない人物ではないんだなと思うのだ。
世の中には無意識で気づかずに土俵際ではなくとっくに土俵から押し出されてから粘ろうとする人っているものなと。
多分、キャプテン渡辺はそれを理解しているが、実際にはもうとっくに土俵から出ているのにそのことにすら気づいていない人って多いんだなと思わされたのだ。
もう遅いよって事なんだけれども。
この土俵際ではなく、土俵を押し出されてから粘ろうとするという言葉を思い出した時に、中国故事を思い出した。
それが覆水盆に返らず。
俺が子供の頃にはよく使われていた言葉で、意味は「一度してしまったことは取り返しがつかないこと」を指す。
この中国故事は紀元前1046年頃から紀元前256年までにあった周という中国国家ができた際に、太公望と呼ばれる呂尚という周の軍師の話。
太公望と言えば釣り人のエピソードが有名で、太公望呂尚が渭水というところで釣りをしていたところ、狩りの帰りだった文王が通りかかる。
文王は呂尚をひと目見て、只者ではないと悟ったそうだ。
呂尚と実際に話しをした文王は、その頭脳明晰さに「祖父(太公)の代から望んだ人物だ」と喜び、呂尚を館へと連れ帰り、太公望と呼んだという話。
その際に釣りの邪魔をしないように、王である文王は釣りが終わるまでただの老人の呂尚の後ろで立って待っていたそうだ。
で、この太公望呂尚のもう一つの有名なエピソードが「覆水盆に返らず」の故事だ。
太公望が周に軍師として仕官する前のこと、ある女と結婚したが太公望は仕事もせずに本ばかり読んでいたので離縁された。
太公望が周から斉に封ぜられ顕位に上ると、女は太公望に復縁を申し出た。
太公望は水の入った盆を持ってきて、水を床にこぼし、「この水を盆の上に戻してみよ。」と言った。
女はやってみたが当然できなかった。
太公望はそれを見て、「一度こぼれた水は二度と盆の上に戻ることはない。それと同じように、私とお前との間も元に戻ることはありえないのだ」と復縁を断ったという話。
この話って土俵際の話と土俵を押し出された後の話と繋がるなと思ったのだ。
一度土俵を押し出されてしまえば、もう土俵内に戻って相撲の勝負をし続けることはできない。
結果が出てしまったあとでは勝敗は翻らないのだ。
であれば、考えてみればまだ土俵にいるときに粘るべきなんだよな。
それはいつか?
それは相撲が始まった瞬間、その時の今からなんだよな。
けれども、健康と同じで失ってから気遣ったって仕方がない。
健康も失う前に気遣わなければもう元には戻らない。
この記事でも記載したが
俺が親孝行旅行をしたのは自己都合で、できるときにやっておかないとできなくなった時に後悔すると分かっているからだ。
覆水は盆には返らない。
それを理解しているから、やれる時にやらなかった後悔がある物は直ちに、今すぐナウすべきだと思う。
それこそナイキのキャッチコピー
JUST DO IT だ。
だからすべてにおいて同じで、土俵にいるうちに粘らなきゃならない。
土俵から出されていくら粘っても結論は覆らない。
だからこそ、今でしょ?なんだよな。
常に今を最善にする。
盆に水が入った状態の時に盆が覆らないようにすべきなのだと俺は思うのだ。
未来は今の連続線上にある。
一度でも今を疎かにしてしまえば、辿り着けない未来の結果もあるかもしれないのだ。
それこそこれも繰り返しになるがギャンブル漫画の地下の工事班長大槻の言葉
「明日からがんばろう」という発想からはどんな芽も吹きはしない。
明日からがんばるんじゃない。今日、今日だけがんばるんだっ!今日をがんばった者、今日もがんばり始めた者にのみ明日が来るんだよ。
これと同じだ。
過去に頑張らなかった要因の結果を受けて、取り戻そうとやったって意味はない。
もう過去の行動が盆をひっくり返している。
引っくりかえった盆に水は戻らない。
会社の去年の11月に入ってきた美人ちゃんがいるんだが、多分この娘も近々解雇になると思っている。
人間的にも悪くはないんだが、如何せん仕事ができなさすぎる。
やった事ない事を40から始めたというのもあるけれども、若くて綺麗だったという優位性を持っていたために純粋に世間知らずで生きてこれたかもしれないが、今の俺が勤める会社にそんなペットのような社員を飼う余裕はない。
だからどんどん強く詰められて居場所がなくなり、退職に追い込まれると思うのだよな。
俺はそうなる事が最初にその娘と同行した時から分かっていたので、事前に伝えたんだけれども、多分、いままでどうにかなってきたら理解できなかったんだよな。
結果的にいまや休みがちだし、もう土俵を完全に押し出されてから仕事覚えようとしている。
可哀想だけど遅いよ、それ・・・
粘るなら土俵内にいるときにしないと・・・
最初に覚えて、ちゃんとしておかなかったら、盆はひっくり返ってしまうし、土俵出されないと頑張れない人なんだなという結論になってしまう。
土俵出されないと粘れないなら、万が一土俵に戻ってきたらまた押し出されるまでまた粘ろうとせず何もしないって事のループになるだろうと見えてしまうものな。
だから常に今なんだよ。
盆を覆してから、土俵を押し出されてから元に戻そうとしても遅すぎるし、意味はない。
そうなる前に、最初から最善を尽くさなきゃそうなるんだけれども、それを理解していない人って多いんだろうね。
そんなことを思わされた。
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