成功体験は手動アップデートしか受け付けない

思う事
ご挨拶

こんにちわ、地下鉄吉野町駅最寄りのカラオケBARキャビーヌの中島です。

 

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こんにちわ。

地下鉄吉野町駅近くのカラオケスナック「ミュージックパブキャビーヌ」の中島です。

さて、アップデートというとPCのWINDOWSアップデートが自動で行われるのが一般的だ。

バージョンアップデータをダウンロード中はやたらPcの動作が重くなり、システム情報を見るとこのタイミングでアップデートかよと煙たく感じるときもあるが、それでも自動でどんどんコンピュータは進化していってくれる。

これは物凄いありがたい事なんだけれども、人間の成長というか、人格的な物は余程環境がそうさせない限り、自動的には洗練されることはない。

書籍を読んだり、人と会ったり、考察したり、何かをやってみて経験を得たりといった主体的な何かがないと、なかなか人は前に進んでいけないのではないかと思う事がある。

本日はこの記事でも記載した内容に類似した記事だ。

美人の視点
を手に入れたと思ったときがある。 こんにちわ。 地下鉄吉野町駅近くのカラオケスナック「ミュージックパブキャビーヌ」の店長中島です。 以前にうちの店で違うBARからスタッフが移ってきたときの話だ。 結構な美人で客受けもいいスタッフだった。 た...

要約してしまえば、時間の経過と共に世界が勝手にルールを変えてくるので、その変更になった暗黙のルールを自分で気づき、理解し、適応していかなければ上手く生きてはいけないという内容になるのかな。

もうだいぶ前の話だけれども、お客さんの中で過去の成功体験で止まっていると思えたお客さんがいた。

状況的にはもうお会いすることもないだろうなと思えるのだけれども。

その方はありがちな昔ワルだったと自称している方で話をしている感じは嘘ではないと思う。

ただ、多分その当時の中学生時代の成功体験からアップデートできていないのだ。

我々は子供の頃は精神的には当然未熟で、男性は特に子供っぽい。

女性は男性よりはずっと精神的には大人だとは思うけれども、それでも小学生や中学生だったらまだまだ子供であることは否定できない。

余談になってしまうが、大分前の事だが友人とボーリングに行ったときに、俺の隣のレーンで中学生くらいの女子達がボーリングをしていたのだけれども、ぱっと見、何年後かは物凄く可愛くなるだろうなと思える子が自分が玉を投げ終わった時に、他の子同士がおしゃべりしているのを見て、ちゃんと私が投げたのを見てた?とぷりぷり怒っていた。

個別差があるにしてもずいぶん幼いなと思ったのと、この娘はいじめられるようになるかもしれないなとちょっと不憫に感じてしまったが、それだけ今までは自分が中心の社会で生きてこれたってことで、それがその時までは、いやそれからしばらくはかもしれないが、その娘にとっては当たり前の世界のルールなんだよな。

ところが、年齢を重ねるにつれ、人は自分に対して無関心であることを否が応でも気づかされる。

その人はその人自身については関心があるが、他人である俺に対しては無関心が当たり前という前提に気づかないと、体が液状化するというかスライムになるくらいまで辛酸をなめさせられる。

まるで妖怪油舐めのように、辛酸なめ子よりも辛酸を舐め続けることになるのだ。

でおそらく、この娘も自分を注目していて当然というルールの世界で生きてきたため、その自分に都合の良い、当たり前ではないのに当たり前になってしまっているルールを他の娘に押し付けようとしている。

そう遠くない未来にきっとこの自分が主役のルールを押し付けてくるこの子は、他の人もそ自分の事を主役であると思っていることに気づいていないため、疎まれ、無視されたりするようになると思ったのだ。

突然ルールが変わったと思うかもしれないが、実際は誤解をして生きてこれただけに過ぎないのだけれども。

でも、それまではそれでうまくいっていた成功体験おかげで誤解を継続することができてしまっている。

この「昔はそれでうまくいっていた」という成功体験に固執し、それが誤解だったことに気づいて軌道修正しないと、死ぬまで過去には通じた今では絶対に通じないやり方を繰り返し、辛酸の海にスキューバダイビングすることになってしまう。

アインシュタインの有名な言葉に、「同じことを繰り返しながら違う結果を求める事、これを狂気という」という言葉がある。

過去の成功体験はその当時は正解でも、今は不正解になっていることに気づかないとまさに狂気の人となってしまうわけだ。

中国の故事成語にも「株を守る(守株)」というものがある。

内容は下記の通り。

宋の国に水田を耕す人がおりました。

水田の中に木の切り株があり、走っていたウサギがたまたまその残っていた木の切り株にぶつかり、首を折って死んでしまいました。

何もせずにウサギを得た田を耕していた人は、田を耕すのをやめて木の切り株の近くで待機し、また切り株にぶつかったウサギを捕まえようと待ち望みました。

しかしその後同じ方法でウサギを捕まえることは出来ず、その人は宋で笑いものとなってしまいました。

意味としては「これまでのしきたり、習慣にこだわること」

「今までの習慣、やり方にこだわってしまい目の前の新たな状況に上手く対応できないこと」

として使われるが、俺の言葉で言うなら成功体験をアップデートできていないという事になる。

ただ、この株を守る人、常識的にはありえないとか思うかもしれないが、実際にいうほど笑える話でもなく、形を変えてこれをやっている人ってたくさんいるのだ。

前は上手くいった、でもそれから同じことをしているのに上手くいっていない。

これってまさに株を守るじゃないだろうか?

で、ようやく寄り道から戻ってくるのだけれどもこの成功体験をアップデートできていないと思ったお客さん。

おそらく中学生くらいの頃はまだ子供なので、自分よりも立場の強い相手に立ち向かう事、学校の先生や警察なんかに負けないというか、ツッパることが格好いいと思われる年代だったと思うのだ。

構造としては大人の言う事を聞いているべき年齢という常識の中で、同じ子どもなのに大人に対して堂々としていて、動じないように見える強さというか余裕的な物を持っているように見えるからなのだろうけれども。

今なら俺の年齢で他者に迷惑をかけるようなことをしたら、恥ずかしいになってしまうが、でも、このお客さんは子供の頃それで相当ちやほやされていた成功体験を得ていたと思うのだ。

なので、その場で立場的な物が上の人に一歩も引かないというか言いがかりをつけて自分の方が上だと見せるパフォーマンスが格好いいと過去の成功体験からは思ってやるのだよな。

だから綺麗な女性客が多かった時に、ちょっといいところを見せたいと思ったのだろう。

急に物凄い言いがかりをつけられ、店の長である俺に空き瓶を投たりしたが、この方からすれば、それは小さい空間とはいえ、店のトップに対しても自分の方が上だから「俺すげえだろ」が女性客に伝わって格好いいになると思ってやっているのだ。

でも、もうそれが格好良いになる可能性があるのは中学生くらいまでで、大学生を過ぎて成人になればどれだけ利己を捨て利他になれるかという精神的な余裕が格好良さに繋がっていく。

けれども、昔は上手くいったのに今通じない理由が分からないから同じ過ちを正解だと思いながら繰り返してしまう。

だから思うのが、望む結果に対して連続で2回否定されたら自分の何かが間違っているから、自分の常識を疑って、過ちを探すことが重要だと思うのだよな。

否定された結果の要因を見つけ出し、結果に肯定されればそれがアップデートされた成功体験となる。

時間の経過と共に変わるのは自分だけではなく、周囲も状況も変わっていく。

なので、美人のルールがいつか通じなくなるのと同じで、以前の成功体験は通じなくなるようになったりはするのだ。

だとしたら常日頃、手動になってしまうが自分が上手くいった体験を更新していかなければ行き止まりの部屋から抜け出せなくなるんじゃないかと思うのだ。

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