現実化する映画マトリックスの世界

営業マン飯2024年
ご挨拶

こんにちわ、地下鉄吉野町駅最寄りのカラオケBARキャビーヌの中島です。

 

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映画「マトリックス」かと思った。

マトリックスと言えば、1999年に公開された大人気の映画で今見ても面白いと思う。

現実に生きていると思っている世界が、コンピュータに見せられている仮想現実の世界という話だ。

仮想現実なので、思い込みや常識を打ち破る事で、ありえない動きを仮想現実の中で行えるようになるシーンが俺には印象的だった。

常識を疑え!!

芸術系の学校の入学を促すcmの煽り文句のようにも聞こえるが、そんなシチュエーションを突き付けられた。

と同時に昔の大人気漫画でサザンアイズという漫画を思い出させられた。

主人公が師匠の教えを受ける際に、手から武器となる召喚獣を出すのではなく、足から召喚獣を出すのを見て、常識にとらわれるな、発想を柔軟にと言っていたなと。

固定観念を打ち破れ

まさにそういうことなんじゃないか。

きっとメッセージなんだろう。

昔ホリエモンが上手くいかない結果を受け取って、想定の範囲内と言っていた。

そして地方馬に「ソウテイノハンイナイ」と「ソウテイノハンイガイ」という馬名をつけていたなと。

あれ、今10文字以上の馬名ってつけられたっけ?

「ノ」を削ってちょっと短縮していたかもしれないが記憶には残っている。

けれども、世界は個人の想定の範囲内で収まるようにできていたら全知全能の神になれる。

基本的には日々想定していない事が起きて、それを受けてどう対処するか

柔軟性や変化に適応していくのが、常識や普通のバリアを破り、密室であるそこから外に出る方法だ。

と言っても、今の俺はバリアを嚙み千切ろうとしつつもバリアの弾力性を噛み切れていないけれども。

何の話か?

我ながらびっくりするくらいどうでもいい話なんだけれども、

でも、「奇跡のりんご」のきっかけも、重力を発見したニュートンのきっかけもどうでもいい事がそのきっかけだったりする。

だから何かのメッセージだと思うのだ。

最近、結構好き放題美食を繰り返していた結果、体重が最もラッキーな数字を差し示すことになってしまった。

77kg

ダブルセブン

さすがに今までの最高体重のレコードを超えるわけにはいかぬと糖質カットを早速始めた。

初日は埼玉県の八潮の方で仕事があったので、牛肉100%のハンバーグのお店に行ったら、丸井のビルの中にあるのに昼休みありのお店で返り討ち

仕方がないので「いきなりステーキ」で糖質カット

「いきなりステーキ」は普通に美味しいんだけれども、ステーキの店の中では、ちょっとお味に対しての費用対効果がよろしくないイメージなんだよな。

でもってお次は、店の営業前に疲労を抜こうと芹が谷の極楽湯に行ってきたのだが、その前に井土ヶ谷のちょっと堅めのステーキ「リオ」のヤングステーキとハンバーグを食べてきた。

前より美味しいと感じたものの、ソースが少ないのと、今は亡き大衆ステーキチェロキーよりも割高。

チェロキー良かったんだけれども、接客が悪すぎて売りが上がらずおそらく夜逃げ。

安くて美味しかったんだけれどもな、あのステーキ

安くて美味しいからと言って飲食店が生き残れるとは限らないというのが世の中の不思議だよな。

ここまでの糖質カットは順調だった

それまでがやりすぎていたのか、ちょっと糖質カットしたら二日で体重が2kg減ったので、このまま継続して今度こそは60kg台前半を目指そうと思っていた。

しかし、空腹感が出た場合、我慢すると良くないので、その場合は糖質がない物であれば食べる事にしてる。

その時に、「常識を疑え」と言うメッセージを受け取る事になってしまったのだ。

時間的には「すき家」しかやっていなかったので、俺は「すき家」に寄った。

炭水化物をカットしていたが、そういえば今年はあまりうなぎを食べていないなと鰻の牛あいかけ皿を頼んだ。

そしたら作った外国人が間違えたのか・・・・

牛皿を頼んだのに、牛丼が出てきた・・・・

嘘でしょ?

注文した物が出てくると思ったのに、米無しの牛皿ではなく牛丼

伝票には確かに牛皿と記載されている。

まさか、注文した物が出てくると思ったのに違う物が出てくるとは

しかもチェーン店で

存在しないはずだった選択肢の扉が開いてしまった。

選べないだろうと思っていたのに、選択を迫られることになったのだ

でどうするか。

注文が違うと言う選択肢もあるが、別に金額は変わらない。

俺が黙って頭の部分だけ食べてご飯に手をつけなければすべて解決する。

ただ、そのご飯は多分ゴミ箱行きだ。

それはそれで、食が好きな者としてはちょっと抵抗がある。

ただ、ご飯回避しようとしたのに出てきてしまった。

勿論、ご飯が嫌いなわけじゃないし、当然美味そう。

仕方がなく、二日目で1度炭水化物カットを断念して無駄になるくらいならと食べてしまった。

ううむ・・・・

お金払っても、想定外の事起きるのね。

そんなに大した俺の都合でもないのに。

また今日から肉とサプリと糖質カットだ。

これ日数を連続で継続しないと効果が出ないんだよな。

あと、ちょっと歩くと汗だくになるので運動不足も否めない。

70kg割ってから坂道のウォーキングしなきゃな。

チョコザップでもやるかな。

月額3000円ならありかなと思うし。

一番近いのが宮元町か初音町か阪東橋か。

エニタイムフィットネスなら自宅から2分で行けるんだよな

けど月額とか利用頻度考えると費用対効果悪いしな。

もう少し近所にできてくれないかな、チョコザップ

でも宮元町の方は蒔田公園の近くなので、ここならありかもしれない。

蒔田公園にあるバッティングセンターに行って、チョコザップでウォーキングマシーンに傾斜最大につけてのウォーキングがいいかもな。

ただチョコザップはシャワーがついていなんだよな。

スパ行って疲労を抜く時間も必要だし、どうやってスケジュール組むかだな。

平日の夜に外に行って酒を飲む日を減らせばいいのだろうけれども。

やろうと思う意志があればどうにかするのだけれども。

でも踏み切れないんだよな。

ひとまず覚悟を決めるためには食だけで70kgを割るまでは待ちだ。

割り込んだらチョコザップに登録しよう。

そんな事を思っている。

そういえば、こないだ飲んでいる時にふと思い出した事がある。

ほろ酔いくらいが一番頭の回路が繋がって、自分の頭がクリアになっていくのを感じるのだよな。

学生時代は素面でもそんなタイミングが訪れる事が結構あったが、最近はほろ酔いじゃないと頭がクリアであると感じる事がない。

何を思い出したかというと、もう4年くらい会っていない気がするが、大学時代は毎日のように一緒に遊びに行った某ベイスターズファンの友人がいる。

飲んでいて思い出したのだが、彼とよくゲーム対戦をしていた時に、彼はどんな絶望的な状況でもなんとか逆転しようとか捲ろうとしていて、それが結構面白かった。

諦めないと言うか。

たかだがゲームなのに、彼は決して諦めなかった。

ゲームに対してですら、そのマインドとかメンタルは建設的で、当時は分からなかったけれどもそのポジティブさが好感を持てたのだと思う。

逆に言えば、その彼の行動が俺の脳内に楔を打ち込んだようになっており、今の俺のマインドに繋がっているのかもしれない。

そんな中、諦めないというワードにさらに思考が連鎖する。

過去にも書いた記憶があるが、石田三成が関ヶ原の戦いに負けて囚われの身になり、処刑場に行くまでに市中を引き回されている時の事だ。

三成は「喉が渇いた。水が飲みたい」と言ったという。

すると警備の兵はこう答えた。

「残念ながら、今は水がない。しかしかわりに、柿がある。かわりにこれを食べてはどうか?」

それに対して、石田三成は、「柿は、体を冷やし、お腹を壊すことがあるから、いらない」と答えた

もちろん、そんなことはないが、当時はそう考えられていた。

これを聞いて、柿を渡そうとした兵は、笑いながら言った。

「お前は今から首を切られるのだぞ?それなのに、その後の体調のことなんか心配してどうするんだ?」

すると三成はこう呟いた。

燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや(えんじゃくいずくんぞこうこくのこころざしをしらんや)

その後、「立派な人間たるもの、たとえ眼前に死刑が控えていたとしても、その最期の瞬間まで体を大切にし、一生懸命生きるべきなのだ」と兵士を諭した。

言い換えれば「諦めるな」だ。

これから刑場に向かおうがその瞬間、たまたま天変地異が起きてそれどころじゃなくなるかもしれない。

生きていれば可能性はその瞬間まで0じゃない。

20代の頃の俺にはただの強がりで、プライドが高いだけの負け惜しみが酷いつまらない武将だなと思わされていた。

でも、今思えばそれをつまらないと思う俺がつまらない人間だったのだ。

今なら分かるんだよな、可能性は存在する限りは諦めてはならない。

必ず奇跡的な抜け道は存在はしているし、可能性はどれだけ薄かろうと存在さえすれば起こり得る。

一般的には不可能だと思われるような状況下でも、それでも建設的なマインドであり続ける事が、結果的には戦で負けたかもしれないが人間的には高いレベルの人物だと思うのだ。

「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや(えんじゃくいずくんぞこうこくのこころざしをしらんや)」

それと「王侯将相いずくんぞ種あらんや(おうこうしょうしょういずくんぞしゅあらんや)」

は好きな言葉でもあるが、元々はキングダムでも有名な中国の秦の時代に農民一揆で王になった陳勝の言葉だ。

史記にも記載されている人物で、前者の意味は「つまらない人物には大人物の遠大な志はわからないということ。」

「燕雀(えんじゃく)」は、「つばめ」と「すずめ」。

「鴻鵠(こうこく)」は、「おおとり」と「くぐい」という大きな鳥。

小さな鳥にどうして大きな鳥の心がわかるだろうかという意味だ。

そして後者の意味は「王や侯爵、将軍、大臣になるのに、家柄なんて関係なんてない、彼らも同じ人間だ。人間は、生まれた家柄によってではなく、本人の才能と努力によって評価されるべきだ」という意味を指す。

たかだか対戦ゲームで諦めなかった友人を思いだし、連想が連想を呼び出しそんなマインドの重要性を再認識させられた。

さあ、望む生き方を諦めないために次は何をしてやろうか。

そんなことを思わされる

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