「胡椒一粒は黄金一粒」
最近は聞かなくなったが、中世ではそう言われていた。
今でも名作だと思うファミコンソフトの「ドラゴンクエスト3」でもその逸話を使ったストーリーとなっており、行動範囲を広げるための移動手段である「船」を手に入れるために、「胡椒一瓶と交換」できたのだ。
マストが3本も立っているような立派な「船」と「胡椒」が等価交換されるような価値なのだから、当時の価値をうかがい知れる。
実際に麻薬の末端価格と同じで、当時インドでしか採取できなかった「胡椒」は大航海時代のヨーロッパの末端価格では同じ分量の「地金」と交換されたという逸話があるらしい。
真偽は不明だが、まったくの出鱈目と言いうわけではないと思うのだ。
それほどまでに貴重な最高の調味料が「胡椒」だったのだ。
そう思えば、ラーメンに尋常じゃない量の胡椒をかける人がいることも頷ける。
彼らは黄金の一粒を摂取しているのだ。
現代では「胡椒」はいつでも手に入るようになってしまい、最高の調味料としての座を明け渡すことになってしまっているかもしれない。
しかしながら、ついに俺は「胡椒」に代わる食事を最高に美味くする調味料という大発見をしたのだ。
その日、前職の業界の面々と俺は熱海へと向かっていた。
小旅行にもってこいなのが湯河原や熱海や伊東あたりにあるホテルの伊藤園グループだ。
一泊1万円前後で、夕食にお酒の飲み放題とバイキングがつき、朝食もバイキング
カラオケもあり、卓球もあり、温泉もあり、麻雀も、囲碁も将棋もゲームセンターまであり、館内には酒の自販機までも置いてある。
いい大人や家族連れには申し分のないサービスで温泉入って夕食で好きな物をピックアップし、バイキングの食材で本来提供しているスタイルと異なり、オリジナルであんかけラーメンを作ってしまったり、カレー蕎麦を作ってしまったりして、創意工夫でいかに食事を楽しむかとかもできてしまうし、ビールもウィスキーも焼酎も飲み放題。
当然スイーツやフルーツも置いてある。
個々の料理が格段に美味しいとは言い難いけれども、各々が好きなスタイルで酒飲みながら食べるバイキングは絶対的な「味」ではない美味しさを感じさせるのではないだろうか。
いわば精神的な物が調味料として機能すると思うのだ。
ただ、安易に「楽しい」が最高の調味料などと言うつもりは毛頭ない。
その日の事だった。
12時半に熱海駅前で待ち合わせだった俺は、東海道線の到着時間のかみ合わせで横浜駅のホームで10分以上無為に待つことが耐えられず、急遽特急券を購入し踊り子に飛び乗った。
そして到着したのはAM11時前
まだ待ち合わせまでには1時間半もある。
うちのお店で最もグルメなお客さんが熱海に行ったなら「魯風人 (ろふと)」というタンシチューのお店が美味しいと俺は事前情報を手にしていた。
そのため、早く着いたからにはと、当然美味いと聞けばどこにでも飛んでいく覚悟で行動せねばとすぐにタクシーを拾った。
目的地は熱海のフジヤホテルだったので、「魯風人 」からの方が近かったのだが、帰りの熱海駅までのタクシーの手配も済ませて、いざ「タンシチュー」を頼んだ。
そしたら、昼間からコースなのね。
サラダがつき、前菜がつき、タンシチューがつき、デザートがついてコーヒーまでついてしまう。
前日の深夜ちょっと食べすぎていた俺は一番量の少なそうな薄切りタンシチューを頼んだのだけれども、それでもボリューミーだった。
肝心のお味の方も、前菜の魚と大根に洋風のドレッシングかけたようなものがやたらと美味しく、「なんだこれ」とフジテレビでやっているTV番組の「なんだこれミステリー」のナレーションが脳内に響いた。
メインのタンシチューも赤ワインの奥深い後味で、なるほどと納得のお味。
それよりも、最高の調味料があったことにより、俺は「うめぇ、旨ぇ、美味え」としきりに脳内で連呼しながら、柔らかく煮込まれた「タン」を堪能した、、、「タン」だけに。
そう、気づいてしまったのだ。
俺は至高の調味料の存在に。
その調味料の名は「優越感」と言う。
これから合流する友人たちは、この美味い「タンシチュー」の存在を知らないのだ。
そして、今後も知ることもきっとない。
あのメンバーの中では俺だけが知っているという寡占的情報
そして俺だけが彼らの中で唯一この「タンシチュー」をこの日味わえたのだ。
物凄く傲慢な言い方に言い換えてしまえば、彼ら友人の中で俺だけがこのタンシチューを味わうべく選ばれた民、選民なのだと。
その精神的な優越性が、さらにタンシチューにディープな味わいを追加させ、何とも言えぬ後味を生み出す。
「美味い」
友人達に内緒で、一人抜け駆けで食べる美食の何たる美味なることか
でも、本質的にはきっとそういう事なのだ。
マウンティングと言う言葉で表現されるように、人は自分の優越性を得たくて無駄に他人を貶めたりする。
選民でありたいという根強い感情がどこかにあり、「映える」もそうだが、自分がどれだけ優越的なポジションにいるかと他人に誤解させたくて仕方がないのだ、きっと。
実際にはたいして他人と変わらないにも関わらずだ。
下手をしたら劣等感を感じるかもしれないくらいな現実なのかもしれない
それでも、誤解を真実と思う人から誤解されることにより喜悦を手にする。
けれども、そこには自分たちの優越性を誤認する他者の存在が必要だ。
俺は違う、そっと隠れて自分だけが知っているという、自己完結できる優越性の調味料だけで十分だ。
きっと友人たちに抜け駆けがバレたとしても、そんなの興味がないからどうでもいいと言うだろう。
その言葉も真実かどうかは分からないが、少なくとも勝手に俺が誤解して自己完結で楽しむ分には誰にも迷惑をかけない。
誤解で幸福ならそれでより良いじゃないか。
むしろ、友人たちが実際にどう思おうが、きっとこの美食の機会を失うことは悔しいに違いない。
そう俺の中で決めてしまえばいいだけで、そのように俺が空想することは悪でもなんでもない。
それで俺が「胡椒」を超える調味料を手にして、より美味いならむしろ善なる発想なんじゃないか?
漫画カイジでも、メインキャラクターの利根川先生が仰っている言葉もよく分かる。
安全であることの愉悦
カイジたちが高層ビルの鉄骨渡りで、命綱なしの命がけの平均台を渡っているところに、自分だけが安全にその様子を見ている状態を指して言ったセリフだ。
自分だけが安全であるという選ばれし、守られた状態
その優越性を指したセリフだ。
そんなことを思いながら抜け駆けグルメを存分に楽しんだ俺はしれっとタクシーに乗り込み、何事もなかったような顔をして駅の待ち合わせ場所に立っていた。
朝から何も食べていないみたいな顔しながら、口の周りはタンシチューのシチューで、映画「IT」のピエロの化け物か、マクドナルドのキャラクター「ドナルド」みたいに真っ赤になっていたかもしれないが。
そして温泉に入り、バイキングで飲み放題と食べ放題と縦(ほしいまま)にした。
その後の麻雀でも「ひゃっはーそこは通さねえぜ、ロン」とパチスロ北斗の拳の雑魚キャラのようなセリフを吐きながら楽しんだ。
抜け駆けグルメは最高だったぜ、そんな一日で終わる・・・・
はずだった。
ところがだ。
まさかの「意趣返し」を頂戴することになるとは夢にも思わなかったのだ。
温泉宿で昼間からビールを飲み、旅行客が多かったため夕食の時間も17時からと早めに固定され、そこでも酒を飲んだ。
ただ思ったより早い夕食時間を宛がわれたので、夜に備えてカップラーメンでも購入するかなんて話をしていたが、面倒なのでそのまま麻雀ルームに酒を持って行った。
麻雀を打ちながらも片時もグラスを手から離すことはせず、当然べろんべろんだった。
麻雀の時間はホテルの都合で24時までなのでキリの良いところで切り上げて、これまた部屋でも飲んだ。
当然仕上がっており、疲弊していた我々は深い眠りへとついたのだ。
面倒なので、アラームをかける気もせず、静かにブラックアウトしていく世界
そして目が覚めると、AM9時だった。
夕食から14時間
辺りを見回すと俺を含めて3人しかいない。
あれ、もう一人は?と思ったが、先に風呂でも行ったんだろうと思っていた。
夕食から大分時間も空いたし、さて朝食バイキングは・・・・
と朝食バイキングの食事券の置き場所を見ると、朝食バイキングの食事券が消えていた。
そして、消えたもう一人の友人
まさか・・・・
そう、そのまさかだった。
もう一人の友人も俺の発見する前から至高の調味料の存在に気づいていたのだ。
皆深く寝ているから悪いと思ってと、後付けの取ってつけたような理由をつけて、彼は1人我々を起こすこともなく、8時からの朝食に抜け駆けして行っていたのだ。
俺の抜け駆けは知らぬが仏で済むが、本来なら皆が持っていた権利の一人朝食抜け駆け
自分だけ権利を行使する優越感の朝食バイキングがさぞかし美味かったんだろうなあ
「うめえ、うめえ」
「1人抜け駆けで優越感を感じれる朝食バイキングはうめえ、普段の10倍はうめえ」と高笑いしながら叫び、がつがつと食事をかきこむ友人の姿が脳内で映像化される。
コーヒーしか飲んでいないようなことを言っていたが、後から聞けばフルーツをちょっとだの、ヨーグルトをちょっとだの
出るわ、出るわ
やってくれる。
彼は最初からきっと分かっていたのだ。
最高の調味料は「胡椒」ではなく、他者を出し抜いて一人喰う飯だと。
自分だけが権利を行使できる優越性、選ばれし者であることの証明
その調味料をはじめから存分にかけるつもりだったのだ。
そして、夕食から14時間も空いた、選ばれなかった民の空腹を訴える声も、心地よいBGMだったに違いない。
俺の起床と同時に起きた最年長の友人は、流石に一晩で「神の河1本」と「ジンビームのボトル半分」を一人で飲まされただけあって、いつもなら真っ先に起きるのにこの日は俺と同時に起床だった。
「朝食のサバが食べたかった」
そう呟いた彼はあまりの怒りで本当に声を失っていた。
声が出ないと携帯のメモ帳で俺と筆談したくらいだ。
そうか、その至福の調味料を手にするために、もしかしたら朝起きれないほど飲ませた彼の計画的犯行だったのかもしれない。
そんなことを思わされたが、まさか全員が認識している場での抜け駆けをされることになるとは・・・
次会ったときには、皆に権利を放棄させ、抜け駆けで一人食べた朝食がどれほど美味だったかを、とくと尋問してやりたい
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