ここ最近に限らずだけれども
昔は無限にあったと誤認させられてた時間が有限感を俺に与えるようになってきた。
というより、以前は時間の真の価値に気づかず、何もしていなかったからゆっくりと年末が近いななんてことを思えていたのだけれども、何かをしようとするといくらあっても足りないのが時間だよな。
さて、何気に思い出してみると2023年で個人的に重大な事件が一つあった。
それが「TMDY事件」だ
個人的な2023年で1番の事件なので、他人からすりゃ「なんじゃそりゃ」という事件だ。
思い出せば2022年は「懐かしい事件」が個人的な1番の事件だった。
以前にも記載したが、酔っぱらって焦点が合わなくなってきたときに、飲み屋の娘がブレて分身しているように見えた事がある。
当時もなかなかの酔っ払いぶりで俺は適当なトーク、「テキトーク」を矢継ぎ早に繰り出していた。
過去にブログやYouTubeでテキトークを行っていた俺は、当時の読者や視聴者から「プラチナテキトーカー」の称号、いわゆる二つ名を得ていた。
そこで、「プラチナテキトーカー」としての「テキトーク」を如何なく発揮し、その分身の術を使っているように見えた飲み屋の娘に「もしかしてクノイチ?」と聞いてみた。
そしたら、その娘は「懐かしい」と即答してきやがった。
一辺に酔いが吹っ飛んで目が覚めた。
女忍者である「クノイチやってた?」と聞いて、「懐かしい」って回答どうゆうことよ?
20そこそこの年齢の小娘が過去に「クノイチ」してたってことじゃねえか。
どんな人生送ってきてんだよ。
まどろむような酔いの沼から、カツオの一本釣りのようにポーンと引き出されて覚醒した俺は「えっ?伊賀?甲賀?」と思わず聞いてしまった
そしたら、「えっ何の話ですか?」と俺以上に適当な回答が返ってきた。
だから、俺は「女忍者やっていた?」ってクエスチョンに対して、「懐かしい」ってどういう回答だよ、言葉を脳じゃなくて脊髄で返しているだろと突っ込んだら、自分の世界を滅ぼすレベルの恐るべき適当さに気づいたのか、ずっとツボにはまって笑ってたな、あの小娘
お笑いの自家発電かよと心の中で思ったけれども。
人はどんなに酔っていても目が覚めるような事言われると酔いが飛ぶんだなと学んだ事件だった。
そして、2023年の1番の個人的事件は「TMDY事件」だ。
一瞬脱法ドラッグの事件名のような感じだが全然違う。
そういえば「大麻グミ」、ニュースになる半年も前からBARで持ってきて配っているやついたんだよな。
とまた脱線しそうになった。
脱法だけにとかくだらない事を考えつつ。
これも前に記載したネタの延長のネタだ。
4月19日に記載したネタで、「置き去りにされた優しさと踏みにじられる善意」と書いたネタがある。
10年以上前から、俺が住む地域や繁華街で、「埼玉県の奥地から来たけれども、お金がなくて家にも帰れなく、僕たち三日も何も食べていないのです」と声をかけてきて、お金を無心してくる年の差があるカップルの話だ。
女性の方は、お世辞にも綺麗とは言い難く、太っていて、常に口が半開きの50代くらいに見える女性。
現代においては差別的な発言になってしまうのかもしれないが、生まれながらに障害を持っていると、特有の目つきというか顔つきで分かる発達障害かなんかなんじゃないかと思わされる外見の女性だ。
そして、必ず男性の方が声をかけてくるのだが、ここ10年で20回も同じ奴に俺は声をかけられている。
さらに衝撃的な事に、そのうち10回は去年の7月から去年の12月の間だ。
それまでは年に1度のペースくらいだったのに、去年に限っては俺の生息地に拠点を移したのか、僅か半年で10回。
しかも、俺は一度も金を渡したことはないが、奴は声をかけるべき相手を選別したうえで、俺を見ると必ず声をかけてくる。
綺麗に染めた髪と洗い立ての綺麗な服を着て、金がないって誰が信じるんだよと思うのだけれども、10年以上それをやり続けてまだやっているということはそれなりに割に合うんだろうなと推察できる。
でも確かに、1000円でも1時間で2回貰えれば時給2000円だし、間違って万券を手に入れる事もあるかもしれない。
下手なパートの主婦よりも実入りはいいんじゃないかと思うのだ。
きっと無税だし。
にしても10年で20回、半年で10回も俺に声かけてきたならいい加減顔を覚えて避けろよと思うんだけれども、必ず奴に見つかると俺は声をかけられる。
そんな事があった前提の話になるんだが、なんとか体重を絞らなければならない状態は依然続いている
ただ、俺の代謝が落ちすぎていて、食事制限だけでは体重が落ちないので、ガツガツ食べて太ってはいるんだが、坂路調教を欠かしていないため、常に脚に筋肉痛状態を抱えている。
これで、食事制限すれば加速度的に落とせるなと思っているので、そろそろ徹底した糖質制限かなと思っているんだが、その代謝をあげるために坂道を歩いている時の事。
まったく別のピンの男性から、「東千葉から来たのですが、財布落として警察に行っても紛失届を受理されただけで帰れないのです」と声をかけられた。
「ブルータス、お前もか」と思わず心で呟いてしまったが、丁度運動用の服装だったので「見ての通り、運動で今お金持っていないんですよ」と断った。
そいつが歩いてきた方向に泡吹いて死んでいる鳩が道路に横たわっていたので、後からより嫌な感じがしたが。
あいつ動物に毒でも盛ってるんじゃないかと思わされる。
この時点で「TMDY事件」の予兆はあった。
まるで別々の奴から金がなくて困ってると声をかけられる。
そして、ピンの奴も人を選別しているのか、それぞれ4人歩いていた中で俺に的を絞って声をかけてきやがった。
そういえば、よく俺は道を聞かれるんだよなとちょっと思い返しつつ。
そして事件のトリガーとなったのはいつもの飲み屋だった。
いつも通り、プロの酔っ払いとして酒を嗜んでいると、お店に新人さんが入ったのかベテランの女性スタッフが俺に紹介してきた。
「じゃあ、はじめましてを兼ねて一杯どうぞ」と酒を勧めたその直後。
ベテランの女性スタッフは酒に酔っていたのか、いつもどおり歯に衣を着せられない、全裸の歯で物を言ったのか知らないが、その新人の娘に俺を指差しこう言った
「この人、見た目はこんなんだけど、中身は超ちゃんとしているから」
・・・・
おいおいおい、ちょっと待ってくれよベイベー
それってどんな見た目だよ。
まったくもって褒めてないよね?
その瞬間、俺に「お金なくて困ってます」と声をかけてくる奴らの顔がフラッシュバックした。
脳内で映像になって、奴らの心の声が漫画の吹き出しのようになって頭の上に出ているのが見える。
「カモだ!!とんだ間抜け面した野郎が歩いてきたぜ」
一人だけなら分かる、だけれども、あのピンの奴も・・・
「この中で、とんだ間抜け面した野郎はこいつだ」
そのように俺の脳内の映像で奴に吹き出しが出ている。
そして瞬間移動のように思考は現実に舞い戻ってくる。
「この人、見た目はこんなん(とんだ【T】間抜け【M】面【D】した野郎【Y】)だけど、中身は超ちゃんとしているから」
・・・
結果に突き付けられている気がした。
面識のない別々の人間が別々の場所と時間で、俺に「とんだ間抜け面した野郎」を行動で突き付けてきやがるのだ。
これは事件だ。
「TMDY事件」と命名すべき
レイバンのサングラスでも購入してやろうか。
プロレスラーの蝶野みたいな、ドラえもんの「スネ夫」のママのように尖がったタイプのサングラス。
そして、「アン・ルイス」の「ああ、無情」を常に歌わせる奴にでもなってやろうか
蝋人形にしてやるか、吹き出させてやるとか思ってしまう。
そんなこんなで昨年度の振り返りはここまでにして、そろそろ新年のネタでも。
去年はずっとやろうと思っていた本の出版を実行できたので、今年は60歳以降の俺が生きていくための仕込みを形にしたいと思っている。
1年あれば形にはできるだろうし、もう俺は何もしない人であることを止めたのだ。
さて、そんな中、「行動量」が増えると比例するように「学習量」も増える。
本当に客観的に考えても飲食店なんか経営するもんじゃないと思うけれども、おかげで学びの宝庫ではあるのだ。
どんなに小さくても経営を体験する事は世界の表情を変えさせるものだと思うし、結局その経験のおかげで考えている事を実行することに難しさを感じないというか学校に通っているような感覚になる。
まあ、見て覚えろ系の昭和の教え方だけれども、実際に経営してみる事は。
でも人生もそうだよな、日本の教育は誰かが正解を教えてくれると誤認させやすいが、実際はトライアンドエラーでしか本当の答えは学べない。
何度も記載しているが、年金ネットの将来の年金支給額という物を計算してみると、目が覚める。
そもそも年金制度は現状においてMAXにかけても年収430万くらいなのだ。
しかもMAXにかけるといっても年収1千万位じゃMAXもかけられない。
よくヤフーニュースなどで見るのだけれども、年収1千万円で年金想定支給額が月額20万円くらいらしいのだ。
年収で言えば240万
生きてける?それ
だから、年収1千万貰っていようが、60歳以降にも年金以外の収入がないと多分酒も飲めない。
面白くもなくただ生きていても、それって生きているとは言えないと思うんだよな。
金がすべてとは思わないけれども、手段としては最強であることも否定はできない。
現代は個人の仕事を持って、定年という概念のない世界に行かないと「普通」に生きる事すら許されない。
それが分かっているから、今年は楽しく生き続けるための仕込みの年にしようと思うのだ。
さて、そんなわけで実際に自分が店をやることで気づかされた事があるのだが・・・
それが「お札」の話だ
そうお金だ。
スタッフにお手伝いいただいているので、当然バイト代を支払わなければならない。
で、その支払い用の「お札」なんだけれども、なるべく綺麗な「お札」を選択して渡すようにしている。
ところがだ、売り上げの「お札」から出すんだけれども、どの「お札」も折れていたり、しわくちゃだったりして「綺麗なお札」がほとんどないのだよな。
それを見た時に金持ちが長財布しか使わないとかお札を綺麗にしているという話をふと思い出したのだ。
意味がない話というのは廃れると思っているので、根強く生きている話にはそれだけ意味があると俺は考える。
うちの売り上げのお札がしわくちゃなお札ばかりなのって、お金を大事にしていない人が多いって事なんじゃないかとふと思ったのだ。
そりゃ場末の店なので、富裕層が来るとは思えないが、それでもお札汚く扱いすぎなんじゃないかと感じた。
その瞬間、自分事に反転するのだよな。
そうか、俺も長財布にはしているけれども、余計なもの入れすぎてお札の角曲がったりするんだよな。
俺も、お札を綺麗に扱い切れていない。
そう思ったので、カード類や領収書類を財布と分けようと思うのだ。
極力長財布にお札以外、何も入れない。
今年は誰よりも札を綺麗に扱うように心がけようかなと。
こんなの、人のお金の扱い方を見る事ができる立場にならないと分からないよな。
そういえば、全然話は変わるのだけれども、昨年末にカウントダウンTVか何かでアイドルグループの歌と踊りをぼんやり眺めていたんだよな。
ビール片手に酔っぱらった頭で、ほんのりとこれもパフォーマンスなんだよなあと考えていた。
その時、自分会議の中のもう一人の自分がどういうパフォーマンス?と脳内で聞き返してきた。
そりゃ、見た人間に好感度を上げるためのパフォーマンスだろと脳内でもう一人の俺に答えた。
そう、アイドルもパフォーマーなんだよな。
自分に好意を持たせる目的で、こうすれば可愛いとか好感度を持ってもらえると研究しつくした動きでパフォーマンスを行っている。
でもこれって会社員のパフォーマンスと何が違うんだろうとか思わされたのだ。
その時、再びではあるけれども「馬鹿」の語源を思い出していた。
以前にも記載したが、「馬鹿」の語源は中国の始皇帝が死んだあと、2代目の皇帝の会議の前で「鹿」を指さして中国3大悪党と言われている宦官の「趙高」はこれは「馬」ですと言った。
2代目の皇帝がこれは「鹿」ではないかと他の家臣に問うと、多くは趙高を恐れて「鹿」を「馬です」という。
一方で、この時に「鹿です」と言った者は後に趙高によって粛清され殺された。
これも趙高のパフォーマンスだと言えると思うのだが、この語源、状況に応じて結果を想像し、「鹿」を「馬」と言えなかった者が馬鹿であるという逸話にも聞こえるよな。
「鹿」を「鹿」と答えた者は結果的にはそれによって命を落としているんだから、賢いとは言えないと俺には思えてしまうけれども。
そう考えると、パフォーマンスは分かりやすく相手に伝える言葉以外の手段だと思うのだ。
昔はパフォーマンスを行う者が嫌いだったけれども、けれども、誰も本質なんか求めちゃいないと気づいた今だからこそ、パフォーマンスを行って物事は自分に都合の良い事を分かりやすく伝えた方がよいと思うのだよな。
大体は、誤解と勘違いが横行しており、それが普通で、自分に都合が良くなるように演じた者が正しいように見える世界なのだから。
さて、そんなわけで画像はいつもの花びしの大将のおせち
「かに味噌」もそうだが、「いくらとネギトロ丼」のいくらが堪らない。
というか、このいくら後味が違うんだよな。
そして、ママカリも堪らないんだよな。
基本的に酢の物はあまり好きじゃないんだが、大将のところのママカリは絶品だ。
相変わらず、ビールに合う。
ダイエットと美食の共存
そんな理想を目指したいが難しいよね・・・
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