違和感の防災と納得の減災

営業マン飯2024年
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以前から「防災」と言う言葉に違和感を感じていた

というのも、防ぐという言葉を使っているが、そもそも災害は防げる類のものだっただろうかと思うからだ。

津波や川の氾濫は確かに防波堤や治水工事で防ぐ事は可能なのかもしれない。

しかし、地震を未然に防ぐ事は不可能だと思うのだ。

ただし、地震が起きた時に被害を軽減することができる。

これを減災と呼ぶらしい。

そうだよなと納得したのだけれども、実際にこれって「怒られる事」と同じだと思うのだ。

会社で他の人の仕事スタイルを見ていると、「怒られまい」を最優先にしていると思える人がいる

しかし、この考え方は「防災」と同じ考え方だと俺には感じる。

結局、誤解や讒言や偶然で、自然災害と同じようにこちらの事情を一切無視した理不尽に「怒られる」は起こり得るからだ。

以前にも記載したが、「怒られまい」として「より怒られる」結果になったり、「怒られまい」として行動してリスクヘッジしているにもかかわらず怒られたら、納得がいかず、より複雑な感情を抱く事になる。

だからこそ、「怒られる」ことは自然災害と同じで、防ぐことはできないが軽減はできると思うのだ。

防災ではなく減災

この言葉がしっくりくる。

そして思ったのが、「怒られる」という自然災害を避けようとすると、能力が発揮できず、結果的には拘束具をつけながら何かするような物だなと思ったのだ。

確かに、怒られるよりかは褒められた方がいい。

しかし、災害と同じなのだ

いくら避けようとしても起きてしまう時は起きてしまう物。

「いちいちそんなことでお伺い立てるなよ」と俺が思うような事も「怒られまい」としてやる人がいる。

けれども、それはスピード感が落ちるし、結果のためには必要な行動だったとしても、「怒られまい」とする事でお伺いをたてる相手の匙加減次第で、制限がかかり、結果が出せず、最終的に疎まれて大噴火を頂戴するなんてこともあり得ると思うのだ。

逆に言えば、「勝手にやった」と怒られたとしても、結果が本来の目的に沿っていれば怒る側の鉾の鋭さも鈍ってくる。

これが減災と同じだと思うのだ。

避けられない物を防ごうとしてはいけない。

そして、怒られまいという考え方は結局「責任逃れ」なんだよな。

人間、責任を背負わなければ腰も引けるし、腹の括り方も分からない。

責任を負っている部分で学びや行動力や好奇心、注意力、人を見る目などありとあらゆるものが磨かれていく。

責任がなければ、何が起きても自分でどうにかするんだという覚悟も持てないし、そもそも問題解決しようとする意識に欠ける

結果、自分をポンコツな人へと劣化させる行為にしかならないと思うんだよな。

実際に、人の仕事を見ていても「怒られまいとする」ことを最優先にする人は結果が出ない。

優先順位が違うと俺は思うのだけれども。

それも、自己都合を優先しているだけの話であり、客観的に見たら「いらない人になっちゃうよね」と俺は思うんだけれども、本人だけがリスクヘッジをしている自分は賢いと思っているだけでその客観的視点に気づいていない。

防災は発想が違うなと人の仕事を見て最近思ったんだよな。

そして、怒られまいとする責任回避は結局その人のチャンスの芽というか可能性を摘むのだよな。

誰も腰が引けている人と一緒に何かを協力してやっていこうとは思わない。

ある程度覚悟を決めている人でないと怖くて一緒にビジネスしようとはならないから、人から良い話も来ないし、自分で自分の可能性の扉を閉めて、鍵をかけ引きこもっているような状態になる。

丁度それで思い出したのがアメリカの鉄鋼王アンドリューカーネギーの幼少の頃の話だ。

アンドリューカーネギーと言えばアメリカの大富豪で、墓石の言葉が有名だ。

「おのれよりも優れた者に働いてもらう方法を知る男ここに眠る」

日本で言えば豊臣秀吉と同じことをしている。

「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」の方が日本では有名かもしれないが、その元となった経営学者のピータードラッガーはこのカーネギーの言葉をこう評している

「この言葉ほど大きな自慢はない。

これほど成果をあげるための優れた処方はない。」

まあそのアンドリューカーネギーなのだが、二十歳くらいの頃にトマス・アレクサンダー・スコットというペンシルバニア鉄道の監督の下で働いていた。

この時にだが、電車の運行を管理していたのはそのトマス・アレクサンダー・スコットという人物だった。

ある時、鉄道で大きな事故があり、下りの急行列車が遅れ、上りの列車が信号手の合図により徐行しているという知らせが入った。

アンドリューカーネギーはスコット氏を探したが、その日に限って姿が見えない。

失敗するのは恐ろしかったが、慎重にやればうまくやれるかもしれないと考えた彼は、スコット氏の名で列車を動かすことにした。

結果上手くいって、アンドリューカーネギーはスコット氏の信頼を得て、それをきっかけに出世していく。

これって「怒られまい」とする人にはできないことで、上手くやれそうだと思って覚悟をもってやった事で結果を変える事の出来る人に能力を認めさせた話だ。

相手によっては当然上手くいったとしても怒られてしまうリスクはあるが、それでも結果的に上手く行っている事を怒るような器量の人だったら、その人に先がそれほどないと見切りをつけることができるので、どちらに転んでも悪くない話だ。

仮に失敗したところで、生命の危機ではない。

だから「怒られる」ことを恐れちゃいけないと思うのだよな。

それ自体は大したことじゃないし、防げる物でもない。

恐れる事で能力や成長に制限をかけることになり、自ら引きこもりのように可能性の扉を閉じることになるのだからと、「怒られまい」を最優先にする人を見て思ったんだよな。

さて、そんな中、会社の退職金代わりの401Kで「S&P500」にオールインしているんだが、実績の数字がヤバイ

画像の赤文字で囲っているが、なんと1年間の運用利回りが41.7%

下手なファンドマネージャーの何倍も凄い運用益

流石俺と言いたいところなんだけれども、俺にはラッキーしか起きないと決めているのでそうなっているわけで偶然に過ぎない。

そして俺は奇跡的な神でもなんでもないのでこの先どうなるかも俺には分からない。

ただ、気になる事があって株式だけで世界第2位の資産を築いたバークシャーハサウェイのウォーレンバフェット氏がアメリカの株式市場をカジノの様相と株主たちへの手紙で告げているのだよな。

結果的にバフェット氏はいつも正しく、おそらくそう遠くない未来に暴落がやってくる。

ただ、バフェット氏は先を見通すのが早すぎるため、今ではない

半年後くらいかなと思っているが、今はオランダのチューリップ投機熱のように市場が舞い上がっている。

そこを早々と降りるのも違うなと思っているのだ。

ただ、天井で売る事はできないので、ニューヨークダウ平均の動きとS&P500の動きを見て、異常な上がり方が続くようであれば何パーセントかずつ外国債に組み替えて行こうと思っている。

人口が減少して超高齢化社会となっている日本の通貨が強くなる理由がないので債権も外国債を買うつもりだ。

最終的にはインドだなと思うが。

これから最後に誰がジョーカーを引くかのチキンレースなのだけれども、バフェット氏が警告し始めたのなら欲をかかずに少しずつEXITへと向かいたい。

何かの間違いで一気にダウ平均45000ドルとか行かないかな。

けれども、まだ靴磨きの少年が株の話をしていなんだよな。

靴磨きの少年の話と言えば、ジョセフ・P・ケネディ氏(米国大統領ジョン・F・ケネディの父親)が、靴磨きの少年に靴を磨いてもらった後、靴磨きの少年から「〇〇の株は上がるよ」「〇〇買えば儲かるよ」と言った話を聞き、「こんな少年までもが株を買えば儲かると思っているのであれば、ここから株価は下がるに違ない」と予測し、保有している銘柄を売却したことで、大恐慌の始まりである「暗黒の木曜日」を避けることができたというエピソードだ。

だがこれだけ株価が上がっているのに連日「株は儲かる」だの「株で儲ける本」だのがバシバシと表に出てきていない。

天井まではまだゆとりがあると思っているが、これが連日ヤフーだのテレビだので株の話題が出始めた頃が降りどころかなと思っている。

けれどもちょっと心配なのでkindleではなく近いうちに何店舗か書店を回ろうと思うのだ。

諸々の書店の入り口に、「株で儲かる系の本」が一番目立つ位置に置いてあったら、株から債券に変え始める時期かなとも思っているが。

自分が株を債権に替え始めたダウ平均やS&P500の数値は覚えておく必要があるけれども。

でもって相変わらず糖質カット中だが、なかなか体重が落ちてくれない。

八王子で仕事に行った時はBENIYAというハンバーグチェーンに行ったのだが、安いだけあってお肉はちょっと好みと違った。

にしても京王八王子の駅ビルってテナントスッカスカなのね。

これはキツイだろうなと思わされる。

そして二俣川で仕事した際には牛カツと牛タンを単品で昼間から注文という暴挙に出た。

美味しかったけれども、糖質カットしようとすると食べる物が思いっきり制限されるんだよなあ。

そして価格も1食3000円くらいかかってしまう

そしてジャンボ海老フライはお邪魔している市会議員さん御用達の吉野町の「たぐち屋」さんのジャンボエビフライと刺身

雲丹が意外に美味しいのとジャンボエビフライもボリュームもそうだけれども、味もなかなか

昭和な感じの老舗だが結構侮れないかもしれない。

議員さんの会だからこそ、それなりの物を厳選して出しているのかもしれないが。

でちょっと前に所用があって新宿に行ってきた。

ランチは糖質カットのため 肉だなと思いピックアップした「ルモンド」というステーキのお店へ

そうしたら「長蛇の列+早々にランチ営業終了の看板」

これは無理だと隣の「1ポンドステーキ」というお店でステーキ1ポンド食べてきたのだが・・・

これもいきなりステーキ系のお肉で、ちょっと違う。

黄金町にあった今は亡きチェロキーのステーキ美味かったなあ。

値段もリーズナブルだったし。

そして「松野屋×マイカリー」で糖質カットするため「トンカツ+カレーソース」のみ

意外にカレーソースもライス抜いてもそれなりの糖質あるんだよな。

でもって「みなとみらい」で仕事をした帰りに、そこそこ美味しかった記憶のあるクイーンズスクエアの陳式麻婆で「麻婆豆腐+ミニ麻婆」

陳式麻婆って麻婆豆腐の大盛ができない。

だから「麻婆豆腐+ミニ麻婆」というちょっと変な人になっている注文の仕方。

米を抜くと元々のおかずだけでは流石に足りない

だから、何か追加をするのだけれども、おかげでお会計額が跳ね上がる。

にしても、以前に東洋経済オンラインに書いてあった「ボクらは強制貧困社会を生きている」の記事ではないが、糖質カットなんて都市伝説ですよと言う記事の内容もあながち分からなくはない。

炭水化物を抜いて外食すると1食の金額が通常の1.5倍から2倍くらいになってしまう。

しかも物価も上がっている

こないだ一年ぶりくらいに東スポ買ったら180円で衝撃を受けた。

俺が学生の頃の1.5倍

でもって、そもそも糖質ではない食べ物の値段は基本高くて、肉とか中華になりがちだ。

おかずだけで糖質とカロリー制限をしながら満腹にするにはお金がかかる。

かつては肥満は富の象徴でもあったけれども、今は痩せている事が富の象徴なのかもしれない。

痩せるには金がかかる

物凄く矛盾している気がするけれども、現代の事実だから仕方がない。

ちょっと前に政治家が日本はホームレスが糖尿病に罹患するような豊かな国なんですよと言っていたが、そうじゃない。

発展途上国では餓死をするのではなく、安い炭水化物しか手にすることができないので、糖尿病になって他の栄養素が不足し、糖質以外の栄養失調で健康を害することになるのだ。

むしろ、糖尿病は貧困の病なのだよな。

そう考えると、糖質カットができる現状にいる自分が恵まれていてラッキーななんだろうな

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