遥かなる約束

営業マン飯2021年
ご挨拶

こんにちわ、地下鉄吉野町駅最寄りのカラオケBARキャビーヌの中島です。

 

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こんにちわ。

地下鉄吉野町駅近くのカラオケスナック「ミュージックパブキャビーヌ」の中島です

遠い、遠い昔の約束

ずっと果たせないままでいた。

ただ、10年以上もの歳月が経っていても未だに守れていない。

そのまだ未遂の約束の存在が、継続する手の届かない背中のかゆみの様に10年以上ずっとうっすらと疼いていた

何でもやると豪語している人間が、一体何てザマだい?

ゲームドラゴンクエストに出てきそうなルイーダの酒場の姉御肌の女将に叱責されているようなイメージが浮かぶ

だが、10年以上経過してようやく今日約束を果たすチャンスがやってきた。

そう、今日は仕事が金沢八景なのだ。

金沢八景で仕事をした後、金沢文庫に移動し、10年以上前に約束した約束を遂に果たせる時が来た。

何度か記載しているが、生まれてから初めて行ったBARが丁度15年前で、関内駅のセルテの裏にあったクイーンメリーというBARだった。

当時お子様のプロだった俺は爪先立ちしていて、まるで地に足がついておらず、何も分かっていないのにも関わらず、行きつけのBARがあるとか、何かを知っている体を装い、通ぶった事を言いたいだけの理由でせっせとBARに通っていた。

そんな中でも通う内にある程度飲み慣れてきて、ほどほどに飲み方が分かってきたころに、出会ったのが金沢文庫で今度独立するんですと言っていたタカさんというバーテンダーだった。

結構接客力のあるバーテンダーさんで、簡単な気持ちでオープンしたら必ず1度は飲みに行きますと、たいして覚悟もないまま必ずという言葉を俺は口にした。

そして、それから10年以上経過して、遠い過去の俺の必ずと言う言葉の責任を取るために、今日自分の店のカウンターに立つ前に言葉を行動に昇華してきた。

店の名は金沢文庫にあるWild GybeというBARでクイーンメリー同様に船内を意識した店だった

棚の雰囲気に今は無きクイーンメリーを思い出し、懐かしさを感じさせられる

お酒は振ってもらった方がいいかなと思いつつも、白州、ウッドフォード、響の三連ハイボールにしておいた。

タカさんはやはり接客レベルが高く、また近くに来たら寄ろうと思わされた。

barゴールドラッシュの巧も奥さんと来てくれましたって言ってたっけな^_^

そんなわけで過去の言葉の借りを清算してきたので、今自分の店のカウンターへと向かっている。

まったく話は変わるが、仕事への向き合い方をちょっと思わされるイベントに参加してきたので今日は比較的ガチなネタ。

今日は金沢八景の仕事の前にBNIというビジネスグループの会議に参加してきた。

理念がリファラルというグループメンバーに何かしらの貢献を必ず毎週実施することなんだけれども。

GIVE&GIVEの精神の会なんだが、俺も営業の仕事やってるけれども、基本的にはTAKEはしないようにしている。

テイカーはすぐにその本質を見抜かれるし、俺自身もすぐに相手の自己都合優先主義に気づくため、たいして怖くないんだよな。

そして俺自身が自己都合で物を売ろうとする人からは買わない。

だから営業の仕事もGIVEをしていればお客さんが他のテイカーの営業と比較して、最終的には俺から買うことを選択する人が多くなる

同様に、振り返ったときに自分の仕事は、労働の対価であるお金を払ってくれる対象(人・会社)に対してGIVEしているかTAKEしているのかを意識しているかって結構重要なんだよな。

自分の仕事は報酬を出す側にとってのGIVEかTAKEか

聖書の話でも「与える者は与えられ、奪う者は奪われる」とあるが、これも結構本質を突いた言葉だと結果が示していると思うのだ。

正直、人の頭の良し悪しの差を分けるのって視点の数だと思っている。

賢い人ほど見え方の数を複数持っており、そうじゃない人ほど自分の見え方でしか物を見ていない。

だから自分の視点で自分の仕事を見てみたときに、拘束された時間に対して対価が支払われるのは当然の権利だと思っている人がいるが、これってまるで何も分かっていない。

仕事で受け取る報酬は権利としてではなくて、対価としてだ。

支払う側が求める結果という価値に対しての報酬なんだけど、視点が一つしかないとそれが分かっていないから大体トラブルに巻き込まれたり、クレームになったりする。

報酬を出す側の視点(立場)で考えたときに、何の労働行為が報酬を出す側の価値になるのか?

ただ時間を拘束した事は価値じゃない、価値とは求める結果に対する貢献だ。

自分がしなければならない作業の代わりだったり、自分が使う時間の代わりの時間になったり、自分よりも優れたスキルによる望む結果を形で表すこと。

営業の仕事であれば受注件数や売り上げといったものになる。

それを理解して意識していないと、無駄な時間に対して権利を求めてくる対象という恐ろしい魔物のような存在になり憎悪される存在となってしまう。

俺の今の会社にこの魔物がいるんだが、ちょっと前に記載したかもしれないが笑ってしまった。

2週間くらい前に、丁度就業時間が過ぎて19時過ぎに、まだ酒場の規制があったため、俺は仕事後、私服に着替え、関内の酒場へと向かっていた。

そしたら、その酒場の付近で見覚えのある顔の二人組がいたので声をかけた。

すると、俺に対して何私服でこんな時間に歩いてんだと糾弾してきたんだが、言われた瞬間に呆れてしまった。

関内あたりはもう15年以上飲んでいる場所で路線から道から庭のように理解しているし、自宅から20分もかからずにつくような場所

会社の就労規則を見ても時間的にも問題ない。

ただ、それよりも糾弾してきた側が、その時間にそこにいることの方がより一層おかしいんだよな。

会社に帰るにしても、直帰するにしても彼らは絶対に下車する駅ではなく、かつ、駅から歩いてきたとしたら意味不明すぎるルートの飲み屋街の奥の方、より欲望に忠実なサービスを提供する方面から歩いてきたら、じゃあそう言うお前はこんな時間にこんなところで何しているんだよって話に必然的になるのにそれに気づかないのだ。

自分の視点でしか物を見ていないため、その状況を相手がどう思うか、どう考えるかまでに思考が及ばず、自分のことは棚上げして、俺を糾弾して他の社員に言っていたが、逆にもっとあり得ない場所にあり得ない時間帯にいたことが発覚して墓穴となっていた。

彼はよくお客さんからクレームになるんだが、そりゃそうだよなと。

仕事をしていて、自分の都合や見え方だけで行動して、相手が対価としてのお金を払うのに何を望んでいるかも考えない人がうまくいくはずがない。

だからそういう人は自分の都合で物を考えるため、仕事という物を時間を拘束されたことに対してお金を要求する権利だと思っているように見えるのだ。

よく言う我慢料ってやつなんだけど。

逆に会社側もそうだが、我慢なんか求めていない。

我慢なんかしなくていいから、会社側が望んでいることに対する結果を出してほしい。

こんなの新卒の大学生が社会に出て最初に学ばなきゃいけないようなことなんだけれども、アラフォーになってもまだ人の視点で物を考える事すらできない人は一定数存在する。

彼らの考える権利という物を損なったときにどうするつもりなんだろうな。

でも権利だと思っている人ほどテイカーであり、奪う者なんだからそりゃ奪われるよなあと俺は思うんだけどね。

結果的にどこに行っても同じ結果のループが待ってるんだけれども。

視点が一つしかないと何度結果に否定されても、自分が間違っているかもしれないと疑えないんだよな。

望む結果に対して2回否定されたら、自分の何かが間違っているかもしれないと疑惑を自分に向けたほうが、前に進めると俺は思っているけど。

意外に何回結果に否定されても自分が何かを間違っているかもしれないと考えられない人がいて、それって視点の数が自分一人の単一視点の持ち主に多い気がしている。

だからこそ、自分からはこう見えるが相手からはどう見えるかを考えると、結果的に先にGIVEを行う方が、情けは人の為ならず同様に自分にラッキーな結果をもたらせると思うんだけどね。

先にGIVEをしておけば、その後に相手がどういう行動をとる人かが分かるので、それもまた大きなリスクの回避にもなると思うのだ。

とBNI会議に参加して思わされた。

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