こんにちわ。
地下鉄吉野町駅近くのカラオケスナック「ミュージックパブキャビーヌ」の中島です。
2022年度も3度目のまん延防止が延長された。
専業の飲食店も休業するところが多く、営業しても専業の人でも意味がないと思えるほど人が出歩いていないということなのかもしれない。
そんな中、やはりコロナの影響もあり、会社もなかなか不安定な状況だし、店の黒字化もまるで見えていない。
まだ定年まで20年近くあるし、どうしようかと色々ビジネスの素に手を出してはいるものの、これだという指針が定まらないい事もあり、やきもきしていて、その分モチベーションが低下していた。
だけれども、本日横須賀の方に仕事だったので車で運転しながらいったのだけれども、ふと気づいたのだ。
将来の不安という物はそもそも考えてはいけないんじゃないだろうかと。
一見、アリとキリギリスに出てくるキリギリス的な発想に思えるかもしれないが、よくよく考えれば将来どうしようとかは杞憂と同じなんだよな。
実際に起きるかどうかも分からない事に時間をかけて、準備するという行為。
そのリスク回避の行為はリスクが起きなければまるで無駄になるし、仮に想定とちょっとでも狂いがあるリスクだとこれまた無駄になる。
俺がラッキーしか起きない人になってからもう2年近くたつけれども、ラッキーしか起きないと決める事もよくよく考えれば、なう起きた事象を転換するのだから先々に無駄な思考をしないという意味にもなるよなと。
そして人間は自分が考えているような人間になるのだから、将来や先の不安を考えると、それを起こそうと無意識がそうなるように教育されてしまう。
だから未来のためのリスクヘッジを考えても、いい方向にはならないなと思わされたのだ。
未来は、唐突にやってくるものではなくて、日々の毎日のナウの積み重ねの延長線上にある。
逆に言えば、前にも記載したかもしれないが、社会人になって一緒に仕事をした人の中で一番優秀な人が言っていた。
いつ死ぬか分からない。
明日死ぬかも分からないのだから、今日の楽しみを明日に先送りするのは間違っていると。
今日楽しくてを毎日繰り返していれ、ば死んだときに楽しかった人生だったと言えるが、未来に楽しさを先送りつづけて死んでしまったら結果的に楽しくなかった人生になってしまうかもしれない。
そう考えると、先の事なんかよりも毎日最善を尽くす事。
どうやったら、今日も楽しいか。
毎日の楽しいを確定していくことで結果的にハッピーな選択肢も現れると思うのだ。
けれども日々をおざなりにしてバラ色の未来を思い描くことなど、ショートカットのような楽ルートを探してもそんなものあるわけないよなと急に思わされたのだ。
逆に言えば、未来の完璧を求める事など強欲だなとも思わされた。
グリード(強欲)はキリスト教の7つの大罪の一つではあるが、ゴールを早く手にして楽をしようとしているのと似ている。
毎日のナウを軽んじながら。
にもかかわらず、誰よりも早くアガリを目指すって、よくよく考えればかなり欲深い。
その欲が満たされないから焦れたりしてモチベーションが下がったりする。
違うよな、明るい未来を手にしたければ、今を大事にすることだよな。
今の最善の積み重ねが未来になる。
もう会社員だけでは生きていけないから何か自分でビジネスをと思ってもがいていたけれども、それがすぐに形にならないもどかしさがストレスになっていたかもしれない。
だけど、違うなと。
何とかしようと足掻いている事よりも、日々を選択できる選択肢の中で最善を実行し続ける事。
その結果選択肢が広がるし、アンテナも高くなる。
毎日をどうすれば最良の面白い日にできるかを考え行動する事。
それが結局最良の選択肢をもたらせるんじゃないか。
当然、なんでもやるが、無理にやらなきゃじゃ駄目なんだよな。
やってみて当たればラッキーをやればいいだけで。
認識だけではなく確かにラッキーな事しか起きていないのに、何故かモチベーションが低下していたが、それは今日を大事にせず未来を考えていたからなんじゃないかと思えたのだ。
だからこそ、今日も誰よりも面白く。
そう考えてその日の最高を毎日目指したい。
そんなことを思わされた。
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