そうか我々はスーパーマリオなんか目指しちゃいけなかったんだ

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こんにちわ、地下鉄吉野町駅最寄りのカラオケBARキャビーヌの中島です。

 

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こんにちわ。

地下鉄吉野町駅近くのカラオケスナック「ミュージックパブキャビーヌ」の中島です。

昨日のネタと被るんだけれども、諸々連環だなと再度気づかされた。

連環というと鎖のつながりを示すけれども、有名な話では三国志の赤壁の戦いで天下の軍師の一人龐統が曹操軍の水軍にに仕掛けて、鎖ですべての船を繋ぎ火計で殲滅させた話が一般的に知られている連環という言葉になるかと思う。

けれども、すべての物事ってのはやはりつながっているなと思わされていて、昔から何かの一流になるとどの分野でも通じる人間になると言われている。

なるほどなと改めて思わされたのだ。

というのも、前回のネタで未来を憂いてもいい事はないとネタにした。

俺は仕事の移動中に車を運転しながらあーだこうだ考えるのが結構好きなんだけれども、結局俺はスーパーマリオになろうとしていたんじゃないかとふと思ったのだ。

どういうことか?

スーパーマリオと言えば、我々アラフォーには懐かしい気持ちになる世界で一番売れたファミコンソフトだ。

プレイヤーはコントローラーを握りしめマリオを操作し、ハイジャンプをしながらゴールを目指す。

それと同様に、俺は遠い先のゴールを目指して目の前の足元を疎かにしながら、マリオのようにハイジャンプでショートカットというか、すぐにゴールしようとしていたんじゃないかと思ったのだ。

そう考えた時に思い出した話があった。

俺が勝手に尊敬している世界一の投資家に齢90歳オーバーのウォーレンバフェット氏という人がいる。

この方はオマハの賢人と呼ばれており、世界の見え方が一般の人とは違う天才だ。

この方の言葉は真をついていて、今でも真理だと思う言葉が多数ある。

その内の一つが、「ゆっくり金持ちになりたい人なんていないよ」という言葉だ。

毎年バフェット氏と一緒にランチをする権利が出品されるオークションがあるのだが、この言葉が発せられたのは、そのオークションの落札者の質問に対しての回答だった。

このバフェット氏と一緒にランチに行ける権利オークションの落札額はそのまま慈善団体に募金されるのだけれども、この1回のランチの同伴の権利に3億円とかの落札価格になるのだ。

その時に、落札者が「どうして皆、こんなに上手くいっているあなたの真似をしないのですか?」と尋ねたときの回答だ。

皆急ぐから金持ちになれないのであって、ゆっくりで良ければ誰でもそうなれると逆説的にも感じる。

同様に、早くアガリたいとハイジャンプで急ぐことは未来のゴールを想定して、すぐにどうにかしようとあがくことと似ていないかと思ったのだ。

つまり、足元に確実な橋を築くのではなく、ハイジャンプで崖を飛び越えようとしているスーパーマリオみたいだなと思ったのだ。

今自分の立っている足元から見える視界と、自分の足元に台をおいてその上から見える視界では、見えるものが違うかもしれない。

言い換えれば、選択肢が違うかもしれないのだ。

ということはだ、今見えている世界からスーパーマリオのように大ジャンプして未来を目指そうとしても、着地できる場所を見つけられず、閉塞的な状態になってしまいその前進感の無さが不幸を感じさせてしまうかもしれない。

俺はこれも繰り返しになるけれども、人の幸を感じる要素は前進感にあると思っており、停滞は不幸を感じさせ、後退はド不幸を感じさせると思っている。

この大ジャンプをしようとする行為は、着地点を探して停滞し、急いで金持ちになろうとして誰もなれないのと似ているなとバフェット氏の言葉を思い出したのだ。

何が言いたいかというと、俺は明日生きているかも分からないのに、10年後、20年後、幸福感を感じて毎日生きるにはどうしたらいいかと逆算し、なんらかのビジネス等で今当てて、未来の経済力と時間をに手にするしかないと思っていた。

でも、その本当に来るか分からない10年後のために何かないかと毎日答えが見つからない閉塞的な事に焦れていても、その日がいい一日であった事が確定しないなと思ったのだ。

未来はいきなり断絶したような崖を飛び越えた先にあるのではなく、今、今日という時間の連続性の延長線上にある。

言い換えれば日々の積み重ねの先にある物。

だから、今日が最高の一日を繰り返していけば、その最高の一日の積み重ねから最高の日々という階段を上がった先の選択肢が現れるが、今日が最高じゃない時点で未来の最高の日はそもそもルートとして訪れないのではないかと思ったのだ。

ヤングマガジンで25年以上連載しているギャンブル漫画カイジがある。

藤原竜也が映画などで主演していたりするのでご存知の方も多いと思う。

この作者の福本伸行氏は結構哲学的な表現を漫画の中でするのだけれども、その中に派生ストーリーができた班長大槻というキャラクターの言葉も印象的だ。

それが・・・

「明日からがんばろう」という発想からはどんな芽も吹きはしない。

明日からがんばるんじゃない。今日、今日だけがんばるんだっ!今日をがんばった者、今日もがんばり始めた者にのみ明日が来るんだよ.

これもそうなんだけれども、先を良くしたいと思ったらナウを良くしないとならないんじゃないかと思ったのだ。

だからこそ、どうすれば今日が最良で選択肢の中で最高の一日にできるか、最善にできるか。

そちらにフォーカスした方がいいと思ったのだ。

毎日が最善であれば、その最善の連続の結果、違う視点や選択肢が生まれると思うのだ。

以前にも記載したかもしれないが、アメリカの心理学者の言葉に・・・

心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わるという物もある。

これも焦点を未来に置くのではなく、毎日を最善を尽くすとマインドを変えれば、心が変わり、最終的に運命が変わるとも言える。

だからこそ、見えない状態の未来をどうにかしようとするのではなく、今日をどうすれば一番面白がれるか。

今日を今まで以上に誰よりもより面白がって生きるにはどうしたらいいか。

それに力を入れたいと思ったのだ。

マリオになんかなって、某プロレスラーのように「飛ぶぞ」とか言う必要なんかない。

当然やらなければらならない事、不自由な部分はいくらでもあるけれども、その時点での選択肢で何をするのが一番面白いか。

それを探して、毎日の楽しかった一日の確定を続けていく事。

これが自分の望みに一番近づくベストな方法なんじゃないかと思わされた。

記憶に残る言葉でこれは今まで一緒に働いた人の中で一番賢かった人の言葉で、今でも頭に残っている。

明日死ぬかもしれないのだから、今日の楽しみを先送りするのは間違っていると。

その先送りした楽しみを享受する前に死んでしまうかもしれないのだから、楽しむことは我慢すべきではないと。

日々の楽しいを繰り返し、毎日の楽しいを確定していけば、死んだときに結果的に楽しい人生だったと言えるけれども先送りし続けて楽しまなかったら後悔しか残らないかもしれない。

だとしたら、良かった一日を確定させる事を、手にすることをより重視すべきなんじゃないだろうか。

確かな物は自らの手で確かにつかんだ物だけ。

結果は、確定したらそれは確かな物だと思うのだ。

となれば今日の自由時間をどうすれば一番面白いか、それを常に探そう。

結局、雰囲気という情報が一番周囲に影響を与えるのではないかと最近感じる事が多い。

毎日最善の面白いを繰り返していると、人が自分に対する接し方を変えてくる。

結果的に選択肢も広がると思うのだ。

もう、ジャンプは止めだ。

毎日の階段を作ろう、それが高度を持ち始めた時、視界と選択肢が変わる。

これまた有名な言葉に99%と101%の差という話がある。

「目標を101%達成し続けるか、99%の未達成を続けるかの差は、

その瞬間はたった2%に過ぎないが、10年後に追いつけない差になる」

これが毎日だと1年間の差は1451倍になるそうだ。

※100×0.99の365乗=約2.58 100の数字が2.58まで減少してしまう!!

※100×1.01の365乗=約3741

※3741÷2.58=約1451

俺にはラッキーしか起きないという発想もそうだけれども、成功者に狙って成功した人が少ないのもそうだけれども、多分その日、その日を最善にしているか否かの差しかないのではないか。

だとしたら、今日、今日だけ最善の面白さを手にするようにしよう。

そんなことを思わされた。

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