こんにちわ。
地下鉄吉野町駅近くのカラオケスナック「ミュージックパブキャビーヌ」の中島です。
さて、本日はかなりバタバタしていたためランチ撮り忘れた。
食べたのはキノコでアルカリ性と食物繊維を摂取しての普通のステーキ屋さんでステーキ
赤身で脂身がなかったのでこれを継続できていればもう少し加速度的に落ちてもいいんだけどなと思うんだけど、毎晩飲んでいて炭水化物は回避しているんだが、満腹中枢がおかしくなって多分、糖質カットはしながらも野菜いためとか夜に量を食べてしまっているんだよな。
これをどうにかしないとなかなか体重が下がってくれない。
なので過去に美味かったご飯を掲載してお茶を濁すデー
そんなわけで今日のネタ
なんか俺事にもなるんだけれども、結局自分が間違っているかもしれないと考えられない、自分を疑えない人と絡むとロクな事がないよなあと思わされる。
そういった御方は結果に何度否定されても、自分が間違っているかもしれないとは考えられないので、自分は正しいという結果を最初に決めているんだよな。
俺がラッキーしか起きないと決めていて、何が起きてもラッキーなのと同様に、自分が間違っているとは疑わないと決めているので、どれだけ過ちを繰り返していても自分は正しいとなってしまう。
だから正しい事をしているのに、周りが間違っていて皆周囲が酷い人という発想になってしまうんだろうけど。
そうじゃない、自分が周囲の良い人に過ちのアプローチをして、周囲の善良な人を自分にとって酷い人になるよう変えているだけなのだ。
俺のラッキーしか起きないと同様の事なんだけれども、自分が正しいという事が真実として固定化されてしまい、自分が当たり前だと思う行為が自分に酷い結果をもたらせているのに、同じことを繰り返し続けて結果を変わるのを待つ事になっている。
アインシュタインの名言に『 同じことを繰り返しながら違う結果を望むこと、それを狂気という。 』
こういう言葉がある。
けど、実際にアインシュタインの言う狂気の人って世の中に溢れているよなと思わされるのだ。
当たり前の話だけれども、人は自分自身を変える事をできても他者を変える事はできない。
他者を変えようとする人は自分の過ちの可能性を疑えない人で、他者を自分にとって都合の良い存在に変えようとする行為そのものが、自分にとっては都合よくなるような当たり前の行為のつもりでも、実際は善良な他者を自分にとって酷い人に変える逆効果の行為なんだよな。
何故なら他者Aの人は、「この人は自分の都合で、Aという人間である自分を変えようとしてくるな」というのに気づくから。
自己都合で他者を変えようとする人はテイカーであり、決して関わってはいけない人なんだよな。
関われば関わるほど何かしらを奪われる。
他者を変えたいのであれば、自分の行動を変えるべきなんだよな。
というかそれしかない。
他者への接し方を変えれば、他者も自分に対しての接し方を変えてくる。
自分は変わらず、他者を変えようとするのはなかなか傲慢だなと思うものな。
思うんだけれども、毎回同じような望まない結果が起きているのであれば、自分の考え方を疑うべきだと思うのだ。
俺自身の過去の話でも言えるが、女の子を居酒屋に連れ出しても1軒目で逃げるように帰られるのはその時の俺と話していてつまらなかったからだ。
それが2回続いたら、もう自分の考え方やその場でしているトークの何かが間違っていると疑って気づかなきゃならない。
結果に2回否定されたら多分、自分の考え方の何かが間違っている。
3回否定されたら決定的だ。
どこの職場に行っても嫌な人がいると思う人は、どこの職場に行っても自分が嫌な人を作っている、自分自身が嫌な人を量産する製造職人であることに気づかなきゃならない。
さっきのトークの話じゃないけれども、飲み屋のカウンターでも俺が居酒屋1軒目で女の子に帰られている時とまったく同じだなと思うような自分の話を、いつ見ても目の前の女の子にしている人を結構みかけるもんな。
多分、何度同じような結果に否定されても自分を疑えていない。
相手が話がつまらないと思うのは、相手の興味のない俺の話をするからで、俺の話じゃなくて相手が興味ある目の前の相手自身の話をすればいい。
こんな当たり前のことに気づくのに何度1軒目の居酒屋で女の子に帰られたかなと思うもんな。
けど、結果に2回否定されたら自分を疑えと気づけたのはラッキーだったけど。
類似した事柄で、自分が求めていない結果が2回起きたら、その結果を起こしているのは自分の間違った考え方や行為だ。
今が最高だと思える状態じゃないのなら自分の当たり前を疑がった方が俺は良いと思う。
ぱっとこうだと思った事を何故そう思ったか、そしてそう思った事は本当に正しいのか
そういった自問が必要だと思うのだ。
結果が上手くいっていれば自分を疑う必要なんかない。
自分に望んでいない結果が起きているなら、ほぼほぼ自分の何かが間違っている。
何もしない怠惰なのか、失う事への恐怖による現状維持なのか、常識だと思っている事が間違いなのか、考え方なのか、使う言葉なのか、纏っている雰囲気なのか、身に着けている物なのか、発信している情報なのか。
大人はわざわざ自分が嫌な人だと思われるリスクを背負ってまで、他者に教えてくれるような本当に優しい人なんかほぼいないし、自分を疑えない人はそういった人の優しさにも気づけない。
だから、分け隔てなく平等にちゃんと教えてくれるのは結果先生だと思うのだ。
グーグル先生よりも結果先生の方が正直だと思うんだよね。
自分に起きている結果を意識していきたい。
そして今日こないだ訪問した新潟の案件電話で受注したので、どこかで新潟一泊して納品して美味い酒と美味い物食べなきゃな。
1回の面談で決め切れたので、これは俺の営業手法が結果に肯定されているので、正しいと思っていてもいいとは思うのだけれども。
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