こんにちわ。
地下鉄吉野町駅近くのカラオケスナック「ミュージックパブキャビーヌ」の中島です。
本日は今年の最終出社日
朝一京橋で仕事した後に、町田へ
東名が朝一大渋滞していたので、東名を回避して横羽線経由できたんだけど、ピークは朝一だけだったのか案外すんなり町田についた。
町田で、サラダランチないかなときょろきょろしていたら、サラダバーの文字を見つけたので迷わず飛び込み入店
町田のダンチキンダンという店だったが、ライスなしにできるかと思っていたら甘かった。
ランチメニューでサラダバーがついているのがランチプレートかパスタなので、さすがにプレートのライス無しはないなと思い、あきらめてピラフを食す
明日の12月30日は毎年買っている花びしの大将のおせちがあるので、年内は糖質カットは難しいなと判断。
また、1月1日から完全糖質カットだな。
サラダバーでサラダを2回お代わりしたが、無難なのはやはりシーザードレッシングだね。
どこに行っても普通に美味しいし。
よく分からんドレッシングは思わぬ外れを引くリスクがある。
昆布ドレッシングまったく味がしなかったし、バーニャカウダーはバーニャカウダーというよりジンジャードレッシングみたいでちょっと辛さが強調されすぎていたので、好みと合わず
ただ、リーズナブルだったのであまり期待していなかったんだけれども、アンガスステーキが意外に美味しかった。
デトックスウォーターとやらもあったし、このお店結構いいんじゃないかな。
さて、ここのところイレギュラー祭でバタついており、ブログを含め何もアップできていなかった。
月曜からいきなりプリンター壊れて先生にメンテを泣きつかれて急遽対応したし、別医院で年末休業にもうなってしまっているのに取りに行ったデーターが破損していて、お休み中の歯科医院で再取得訪問になったし、1月7日まで期日のデンタルショーの展示ブース案まとめて稟議あげたら、急に社長から今年は予算大幅削減とやり直しになったし。
受注した新潟の案件段取り組んだら、開発の都合で難しいとなり、再度組み直しになったし。
以前の俺だったら、自分の完璧に組んだ段取りを台無しにされ発狂していたと思うんだが、今は完璧な段取りを組もうとする方が間違っていると思うんだよな。
そもそも新卒の時の俺は、ゲームとギャンブルとバイトしかしてこなかったため、死ぬほど仕事のできないキングオブ木偶の坊だったんだけれども・・・
当然、仕事ができなければ、会社に貢献しているとはいえず、給料泥棒と変わらないので会社の人間全員から白目を剥かれ、立場上もボロボロだった。
まあ、俺が学生時代に何も学ばなかったし、仕事できなかったんだからその結果は必然だよね。
で、読書に活路を見出して毎日3冊とかビジネス書読んでたら、3年目の後半は新規とか開拓できるようになったんだけれども、当然ちょっと結果が出たくらいじゃ会社の目は変わらず、結果をいくら出しても立場はボロボロで変わらず
なんでお前が取れたの?とか平気で言われたしな。
男子3日会わざれば刮目してみよと三国志の呂蒙の言葉を胸に黙っていたけれども。
なので、いくらその時の俺が変わっても、周りが俺の変化に気づけるまでに必要なタイムラグを待つ事に価値を見出せず、環境を変えようと一年パチプロを経て次の会社に入ったんだけれども・・・・
当然、次では読書で学んだことを活かして、仕事ができると思わせる仕事の仕方をしようとしていて、完璧主義者だったんだよな、俺は。
仕事ができなかった時の反動でというか。
重箱の隅をつつくように、細かいところまできっちり想定して、完璧な段取りを組む。
どう考えても、その通りやればすべてうまくいく。
ところが、誰かの意図とか怠惰な感情とか勘違いとかで自分の組んだ段取りを台無しにされることが多く、その通りやればパーフェクトだった段取りを何度も覆され憤慨していた。
ただ、今考えるとその当時の俺の考え方が間違っていて、イレギュラーが起きるのが当たり前なんだから、遊びの部分というか余白の部分というか、ある程度軌道修正しても大丈夫なところまでやってしまえば、後はその都度その都度状況に応じて臨機応変にする方が良いんだよな。
それこそ、ちょっと前にも記載したお金がなくても先に牛丼を食べてしまってからどうするかを考える社長のように、リスクを想定していくら準備したって、そのリスクが起きなければその準備すべてが無駄になる。
だから、問題が起きる前の予防は重要だが、杞憂レベルの未来の想定は、思った通りの未来になる事なんてほとんどないんだから無駄でしかない。
リスクを考えて、考えて、考えれば考えるほどリスクしか思いつかず、結局何もしないのが無難という結論になるのと変わらない。
結論が変わらない分、考えれば考えるほど考えた時間だけ無駄になるという。
ただ、小象の鎖という話の様に、象の子供が鎖につながれて杭を地面に打たれていると、子供の象がいくら引き抜こうとしても抜けず、そのうちに鎖は外れないものと小像は学習するようになる。
なので成長し、もう鎖くらい簡単に引きちぎれるほど力を持った大人の象になっても鎖につながれると鎖を抜こうとしなくなるらしい。
要するに、できないという思い込みが、それができるようになったとしても、それをさせないというか。
当時の俺も完璧でない=仕事ができないの思い込みをしていたのだと思う。
ただ、最近思ったのが完璧主義者はかなり不完全という事
戦国時代でも武田信玄は完璧主義者だったと思うのだ。
織田政権との戦いで、上洛をしたときの武田信玄は完璧でそのままなら必勝だったと思う。
ところが、完璧にしすぎたため、時間を使いすぎてしまい、間に合わず陣中で病没した。
結果的に武田信玄は目的を達成できていない。
完璧にしようとするとどれだけ優秀でもスピードが遅すぎて、多分間に合わないのだ。
ましてや凡人の完璧などタカが知れているのだから、そもそも完璧にならない物を完璧にしようとしている時点で矛盾が生じており、その幻の完璧は本人の自己満足でしかない。
そして、最近思ったのだけれども、完璧にしようとしていた自分を振り返ってみても、イレギュラーを恐れていたと思うのだ。
何か問題が起きたらどうしようと。
必要な恐れは恐れるべきだと思うが、無駄な恐れが一番悪だと最近思う。
逆に言えばイレギュラーが起きたときに対処できなかったらどうしようって思う事自体が自分を過小評価していないか?
どうしようじゃなくて、どうにか自分でするんだよと今は思うんだけど。
親父が他界したときとか、パチンコメーカーの時に2億の案件取ったときとか、自画自賛になってしまうかもしれないが、これ普通こなせるか?と自問したあり得ないイレギュラーやトラブルを俺は全部こなしてきているんだよな。
にもかかわらず、結果的に大体のことをどうにかしている自分がイレギュラーを恐れるなんて、俺は俺自身を過小評価しすぎてたんじゃないかと思わされたのだ。
だから完璧主義って実は自分を過小評価している自信のない人なんじゃないかと。
多少のイレギュラーなんて、ゲームの軽い障害みたいなもんだなと今は思うけれども。
だから、ここ最近のイレギュラーは、少年漫画の修行で、修行の結果を見せてみろと試練に言われているような気がするんだよな。
それが何のラッキーにつながるかは現時点では不明だけれども。
さて、時間なのでイレギュラーの仕事の一つを今から軽く捻ってきますかね。
コメント