新潟とみやのエビフライ

営業マン飯2022年
ご挨拶

こんにちわ、地下鉄吉野町駅最寄りのカラオケBARキャビーヌの中島です。

 

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こんにちわ。

地下鉄吉野町駅近くのカラオケスナック「ミュージックパブキャビーヌ」店長の中島です。

一昨日は新潟で仕事をしてきて、昨日は平塚にて仕事

新潟での立ち合いが思ったより時間を引っ張ってしまい、遅い時間になってしまった。

そのまま何もなく帰るのは何かに対する敗北感が物凄くあったので、是が非でも美食をしてやると楽々精算のCMの横澤夏子のように「せいきゅうしょぉー、間に合わない、間に合わない」と鬼気迫る表情と同じようにスマホで美味い飯、美味い飯と探して画面を連打していた。

すると、ようやくその日営業していて、評判の良い店を見つけ、ちょっと遠かったが無理やり行ってきた。

どうもエビフライがジャンボで有名なようで、確かにこのサイズのエビフライは初めてかもしれないとエビフライを堪能してきた。

後は海鮮丼食べたけど、まあそれ専門店とかじゃないと普通に「美味しい」を超えることは難しいよなあ・・・

創業者がそこにいたおばあちゃんをとみ子さんと呼んでおり、とみ子さんのお店でとみ家という店だったけど、このエビフライは確かにサイズがすごかった。

そんな無理やりな寄り道をしたおかげで谷川岳より北は帰るころには猛吹雪になってしまい、何度も高速の道を見失い雪の壁へと車のミラーを激突させそうになった。

いやさ、吹雪の高速ってマジで危ないね。

ライトに雪が凍り付き、光が閉ざされるため、轍も道も何も見えないし、カーブも雪の壁が近づいてこないと分からない。

そんななか、雪道に慣れたトラックは100kmとかで走り去っていくし、都心の高速なら追い越す側なのに、積雪の高速道路では煽られても文句言えないくらいに安全運転していたが、安全運転が安全運転にならないくらいの危険さを感じた。

でもって、昨日は平塚で何食べようかと思ったが、千鳥の「イカ2貫」くらいクセが強いと思う、ラオシャンのタンメンにラー油とお酢をしこたまかけて食してきた。

このラオシャンもなんかクセになるんだよね。

タンメンにお酢がなじむというか。

さて、知らぬが仏って言葉があるんだけれども、これって考えれば考えるほど奥が深くないかと思ったんだよな。

人間の事実ってのは本人の主観が事実だと決めた事、つまり本人の解釈が事実になるんだから、知らぬが仏でいるうちは常にハッピーなんじゃなかろうかと思ったのだ。

一生知らぬが仏でいれば生涯ハッピーかもしれないと。

ただずっと知らぬが仏でいても、いつか現実が目を逸らすなと結果で突き付けてくるので、どこかのタイミングでは幻覚を解かれて知らされてしまう。

その瞬間知るが地獄になるんだけれども、ただ、その知ったが地獄の残余時間が短ければ、ある意味知らぬが仏期間が長かった分幸福だったといえるんじゃないかとかふと思ったのだ。

でも知ってしまったらその時から過去の自分に遡って全部否定してしまうのだろうか。

そうなると、なんて無駄な事をしたんだと後悔することになる。

知らなかった期間が長くて、ずっと気づかずラッキーだったなとはならないんだろうな。

そう考えた方が良いとは思うんだけれども

でもそれも本人の解釈次第ですべて変わるか。

結局はすべては受け止め方と考え方がどうかという事に帰結しちゃうんだろうな。

そう言えば、20代の頃今よりフリー雀荘に行くことがあったんだが、その時に、60代から麻雀を始めたというおじいさんがいた。

このおじいさんはもっと早く麻雀を知ればよかったと後悔していた。

一方で同じくらいの年齢のおじいさんで、10代の頃からずっと麻雀をやっていたと言っていた。

このおじいさんは麻雀なんか覚えなければよかった、時間をずっと無駄にしてきたと嘆きながらその日も麻雀を打っていた。

一方は麻雀を楽しむ時間が残り少ないと嘆いていて、もう一方は他にもっと楽しい事ができたはずと嘆いていた。

どちらが正しいかは本人次第だが、やってしまったことを後悔しても仕方がない。

なので考え方としてはまだ、もっと早く覚えればよかったの方が個人的には良い気もするが、知らぬが仏も俺は知らないよりも知って適応していった方がいいと思うんだけれども、確定してしまった過去を後悔しても仕方がないんだよな。

変える事はできないのだから、だとしたら常に今どうするか

林先生は正しいなと思わされる。

知らぬが仏も、知ってしまったらそこから合わせていくしかなく、知らないで済み、生きて来れたそれまでをラッキーだったと幸運を確定させてしまった方が、考え方としてはいいんじゃないかとふと思ったのだ。

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