こんにちわ。
地下鉄吉野町駅近くのカラオケスナック「ミュージックパブキャビーヌ」の店長中島です。
船幽霊というと昔話でよくでてくる船のお化けだ。
人魂をまとった船と海面から多数の手が出てきて、柄杓をくれ、柄杓をくれというので、柄杓を渡すと、その無数の手が海水を汲んで船に注いでくるため、船が沈没し乗組員全員が道連れにされるというあの昔の怪談だ。
回避するには、底の抜けた柄杓を渡して、海水を船に注ぎ込めなくするようにするという話。
あまり気持ちのいい話ではないが、前提として無数の手というのが船幽霊を俺に思い出させたのだよな。
最近、人のトラブルの話をよく聞くのだけれども、例えば20代の頃に俺が野毛で日曜日の父の代わりに昼間競馬の飲食店をやっていたとき。
そこに戦時中に上智大学を出た秀才のおじいさんが客としてきた。
もう多分、他界してしまっているだろうけれども、当時は塾を経営していたその方に囲碁に競馬とよく色々教わった。
その時に聞いた話だが、結構気分悪くなる話で、その老人が保護した痴呆症のおばあさんの話だ。
若い時からしっかりしており、自分の老後、人に迷惑をかけまいと必死に貯金して節制してきたのだけれども、痴呆症になってしまい、借りている賃貸の大家さんに家賃を払ったことを毎日忘れてしまい、毎日家賃を払っていたそうだ。
何十年と、その人がコツコツと働いてきたものを惚けているからといって毎日平気な顔して奪い取る人の心理が俺には理解できないけれども。
でもこれも欲がさせることだよなと思うのだ。
そして、先日連絡が来た歯科医師も大学時代の何十年という親友の訪問マッサージの社長さんと訪問歯科の会社を立ち上げたのだけれども、歯科医師の言葉を鵜吞みにして真に受けてはならないと思いながらも、訪問歯科がある程度軌道に乗ったのに、最初の取り決めと分配が違っているのか何かでトラブルになったそうなのだ。
結果、原価に近い価格でインプラントの治療をしたのにも関わらず、医療訴訟を受けているらしい。
ビジネスのトラブルと診療トラブルは別物なのに、それを一緒にしてトラブルにしてくる方もしてくる方だなと人間性に疑問を感じる。
これも欲が起こしたトラブルで、何十年の人の縁の人間関係も簡単に壊してしまう。
あとは、インド人の店を乗っ取った人もそうだけれども、自分の家族への見栄なのか、困窮なのかは知らないが、他国の人に金出させて店乗っ取って一円も払わないとか恥ずかしくないのかなと思うのだ。
追い詰められたら仕方がないという意識が働くのかもしれないが、そういった信用を損なうことをすると、選択肢というか出口の扉が次々と閉ざされて行き、それこそ完全に詰んでしまった状態に幽閉されることになる。
俺の価値観だけれども、金は選択肢として重要で確かに必要だけれども、健康という優位性が損なわれたりすると急速に意味を失っていくものだし、金は取り返しがつくかもしれないが、人間の信用は取り返しがつかないと思っている。
前にも記載したが、視える物より、見えないものの価値の方が価格が高いことも多い。
信用なんてものは金に換算しても結構な金額になる価値があると俺は思うのだ。
土地や特許などもそうだけれども、土地も概念だし、目に見える物じゃないが、不動産の価格は目に見える車よりも高いことは多い。
そうなったとき、キリスト教の7つの大罪でもあるグリード(強欲)は本当にそういった目に見えない本来なら高い価値の物を棄損させるよなと。
本当に大体のトラブルはどちらかの欲が原因だなと思うのだ。
そんなにその一点に欲を張る必要なんかないんじゃないかと俺は思うのだ。
京都の竜安寺につくばいという石がある。
そこには吾唯足知と書かれており、足りているという事を認識しているよという話なんだけれども、足りるを知らないと結局満たそうとして失うと思うのだ。
そんなわけで俺は前提として欲がトラブルの元だと思うのだけれども、世の中形を変えた強欲が結構あるなと最近思ったのだ。
それが権利意識の強さや権利主張だなと思う。
会社でも権利主張する人はよくトラブルを起こす。
考え方がそもそも問題なんだけれども、自分の身を守ろうと躍起に権利を主張し、その結果人から疎まれて、奪う者は奪われるの典型になるのだ。
守ろうとして身を傷つけるのでまるで自傷行為だなと思えてしまう。
そもそも、権利とは何かと今更ながら検索してみると・・・
とある行為における正当性の根拠となる能力、または資格のことである。
法律上は一定の利益を主張または享受する事を法により認められた地位、或いは他人に対し一定の行為や不作為を求める事ができる地位のことを指す。
でこの正当性が誰にとっての正当性かも重要だよな。
主張する側は常に自分が正当だと思っているんだろうけれども、じゃあその利益の元からすれば正当じゃないと思えば、それは相手の欲にしか見えなくてもおかしくはないと思うのだ。
で、会社とかでこの権利主張が強い人の話を、経営者である歯科医院の院長等に話すと皆口をそろえてそれは最悪だという。
そうなんだよな、実際に最悪なんだけれども、権利主張をするというのは本人はそれを受け取る立場にいると思っているのが、そもそも他の人はその正当性がないと認識している。
自分が当たり前だと思っていることでも、周囲から見て正当性を欠いていたら、自分は当然の事でも周囲からはただの強欲な強奪者に見える。
受け取るのが当たり前だと、自分が手を伸ばせば伸ばすほど、他の人の受け取る利益を勝手に削っていっている。
つまり、権利主張する人は自己都合で他者の利益を奪い続けているんだよな。
でも悪気がないし、当然だと思っており、かつ自分がそれをすると他の人はどうなるんだろうとかいう発想もない。
だから形を変えた毎日家賃を受け取る大家さんと同じだなと感じて、見ていて気分が悪くなるんだよな。
奪えるものは奪っていい的な。
そしてその気分の悪さが船幽霊を思い出させたのだ。
その人から無数の手が伸びていて、ほしいほしいと、もっとだと。
それをして他の人が手を伸ばした時はもうお菓子皿には何もないみたいな。
でも権利だからそれは当然の事という。
視点が自分しかないって恐ろしい話だと思うのだよな、悪気無く他者から奪っておきながら、それを咎められると咎めたほうが悪いという発想。
権利って発想は欲の形を変えた概念でトラブルのもとであり、身を亡ぼすなと思ったのだ。
足るをするというかほどほど以上に権利とか主張したらならんよなと。
で、権利主張を繰り返していると、どんどん立場が悪くなっていき、会社とかでも居づらくなるんだけれども、居づらいながら粘るという誰も得しない我慢大会みたいになるが、何故それを継続するのかを考えたときに、ふっと答えが分かったのだ。
多分、それも権利なんだ。
そこにいてよいという権利。
自分の権利が損なわれることを恐れているというか、許容できないのでどんな苦痛でも一度手にした権利を守りたいという発想なんじゃないかと。
だから、もう実もならない利にならない事でも自分が権利という物に対する価値の意識が高いから決してそれを手放そうとはしない。
無間地獄みたいな話だなと思うんだが、でも概念が違っていればそうなのかもしれないな。
仕事は仕える事、年金のような権利でもなんでもなく、誰かに価値を提供した対価として自分の利益を得る物だ。
権利という発想がある時点でトラブルメーカーの領域を抜け出すことはできない。
誰かのためにという発想が前提にない人は簡単に生かしてくれるような世界ではないんだが、何度結果に否定されても、結果に否定されたことでも自分を疑えないから同じ事を繰り返してしまう。
2回望む結果に対して、否定されるというか、望まぬ結果が起きたとしたら結果先生が、あなたは間違っていますと教えてくれているのだ。
毎回望まぬ結果が自分の身に起きているのなら、望まぬ結果を起こすような考え方や行動をしているということ。
もしかしたら自分は間違っているかもしれない。
結果先生が2回注意してくれたらそう思わないと前には進めないと俺は思うんだけどね。
まあ、そもそも自分を疑うという発想があれば、自分の視点だけではなく、他人の視点でも考えるから正当性が客観的にない権利なんか主張しないと思うんだけどね。
そんなことを思わされた。
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