こんにちわ。
地下鉄吉野町駅近くのカラオケスナック「ミュージックパブキャビーヌ」店長の中島です。
出来レースを組めるかどうかか。
今更ながらそんなことを思わされる。
こんな競馬は出来レースだなんていうのは競馬で負けたファンがよく言っているのを聞くけれども、競馬に限らず世の中に出来レースは存在する。
出来レースとは「八百長・談合などにより、最初から結果が分かっている勝負、競争のこと」という意味の言葉となっている。
そして、結果的に賢い結果を出している人はこの出来レースを組もうとするのだよな。
逆に言ったら、世の中の成功者と呼ばれている人達のうち、計算して成功した人は出来レースを組めた人で、そうじゃない成功者は手あたり次第バットを振ってたまたまボールが当たった人なんじゃないだろうか。
ホリエモンの経験則によると、社長にはロジカルを駆使して戦略的に成り上がった人よりも、行動力が高くたまたま事業が上手くいってしまったような人が多いと言う。
天才には決してなろうとしてなれるものではないから、もし起業等で成功したいと思ったらバカ(深く考えずとにかく行動を起こす人)になるしかないのだとのこと。
この年になると結構この考察は正しいと思えてきて、石橋を叩く人は叩いているうちに何も結果が出ないまま一生涯が終わってしまっている。
俺自身にも言えることで、皆慎重さが賢明だと刷り込まれているので、慎重さを損なうことを恥と考える傾向にあるが、求めるのは他者によるバカではない人という認定ではなくて結果だよなと思うのだ。
小賢しさなんかは何の役にも立たないので、手あたり次第勝算がないことでもダメージが小さければやった方がいいんだよな。
けれども、実際には天才じゃなくても論理的に最初からうまくいくことが分かっている出来レースを組める人もいるわけで、出来レースはそれこそ、その出来レースの結果を決めることのできる人に結果を決めてもらって成立している。
それをしようとしても、それまでの自分が所属していた社会層、経験則、知識等、結果を決めることのできる人に結果を変えてもらうパイプなど、過去の自分に結果が依存している物に対してはどうにもできない。
となると、凡人は手あたり次第バットを振る事しか可能性が存在しないんだよな。
そんな中、仕事上のつながりでこの出来レースを組める人の話を聞くと、どうにか俺にも出来レースを組む方法がないだろうかと考えさせられてしまう。
この方は歯医者さんなんだが、関西地方に新しく歯科医院を出すらしく、外国人労働者が多い会社と組むそうなのだ。
当然、俺から買ってくれることは決まっているのだけれども、一緒にやる会社の経営者のところの従業員を一手に診ることが決まっているのだ。
最初から患者さんが200人以上いて、外国人労働者に歯の治療を行うと、保険の関係か、それとも国策か知らないが補助金が出るそうだ。
始まる前から、患者さん(お客)がいて、お金が流れるルート(商品)があり、そこに歯医者(売り手)ができるだけ。
一般的な企業の考え方で言えば、最初から買ってくれる人が決まっていて、買う商品が決まっていて、利益がいくら出るかも決まっている。
その状況の売り手になることが出来レースを組める人になる方法だ。
賢い人は最初から勝つことが決まっている出来レースしか行わない。
間違っても、いちかばちかの勝負はしないんだよな。
だから正直、0から飲食店を出しますとか出来レースじゃない真剣勝負な分、本来なら勝負すべきレースじゃない。
しかもうまくいかなかった時のリスク(ダメージ)が大きい。
そんな一撃で再起不能になるかもしれない勝負は回避すべきで、凡人はバットを振る回数を増やさなきゃならないんだから、最初から両腕粉砕骨折するような力の入れ方でバットを振っちゃならんのだよな。
だからやるなら何度でも立ち上がれる小さいダメージの事を手あたり次第やるべきなんだと思うのだ。
2~3発結果に頬を張られたって死にはしないし、もう一発結果に頬を張られる覚悟があれば何回でもトライできて、運が良ければ求める結果を手にできる。
そうか、この瞬間ふと思ったが、有名なキリストのセリフ
「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」
これは解釈によっては結果が変わるまでリスクを恐れるなとも受け止められるな。
そんなことを思った瞬間、そういえば0から飲食店出しますで、勝算は未計算の乾坤一擲の真剣勝負をこれからする人いたなと思いだした。
おふくろの方のお店のお客さんだが、還暦超えて「ハーフ億円」以上かけて自宅を改装するため、銀行に自宅兼店舗予定の不動産を担保にお金借りて、現在絶賛改装中の飲食店経営ド素人の方がいる。
願わくはその大勝負にラッキーでもいいから勝つことを願っているが、俺もド素人で2年お店やっているが、俺の場合は原価0スタート。
しかも最も潰れないと言われている最強の絆ビジネスの「スナック」だ。
それでもコロナの世の中で十分に厳しい。
それを年齢的にも、飲食店のド素人で「ハーフ億円」借りて勝負するのは、余計なお世話だけれども結構無謀な勝負だと思うのだけれども、そこから何年返済の想定かは不明だが、そもそも黒字化できるのかすら危ういと思うのだよな。
今は夢で足元が輝きすぎて、一歩先が崖なのか平坦な道なのかも眩しくて見えない状況だろうけれども。
飲食店は参入障壁が低く、そのお店にいる人の属人性によって売り上げの結果は大きく変わるし、見えない膨大なコストを目の当りにしたら、白雪姫も毒リンゴ食べた直後に飛び起きるくらい目が覚めるだろうなと思うのだ。
一方、成功する結果が決まっている出来レースを組むこの先生の戦略は、それまでの経験則なんかでそうなんだけれども、勝ちが決まっている出来レースを手広く加速度的に行っているのが凄いんだよな。
ただ、それもやり方としては俺にない発想だったのでやはり勉強になる。
考え方として、最初に何か出来レースを組めないかと考える事はここ最近で会った人の賢い人の共通項だものな。
そして現状の俺は何一つ出来レースなどできておらず、全部が全部真剣勝負。
人事を尽くして天命を待つとは言うけれども、後の残りは運否天賦じゃ随分と分が悪いなと思わされる。
まあ気づかぬ人は気づかないので、それに気づけただけラッキーなんだけれども。
そんなことを思いながらも、今日は地下鉄ブルーライン中川駅で仕事
中川駅には飲食店が天狗しか無い記憶があり、俺のランチ欲を満たすには難しい。
そのため会社から向かうのに、あざみ野を経由したため、あざみ野でランチを摂ることにした。
何かいいお店はないかとネットを物色していると、感性に訴えかけてくる個人の洋食店を見つけた。
店名が「カルネの星」とある。
ネット上の不自然さのない評価の高さで、駅からも言うほど遠くはない。
これは行ってみるかと向かうと、店構えも落ち着いたおしゃれな感じで良い。
メニューも悩ましくどれを食べようか悩んだ。
限定のハンバーグもいいし、豚のロースステーキもそれなりにそそる。
けれども脳内で呟いたポークジンジャーの音の響きに魅せられて、注文したのはポークジンジャー
出汁の効いた味噌汁もプリンのような茶碗蒸しも美味かった。
ポークジンジャーもなかなかの物。
カツレツのようなちょっと衣に覆われながらすりおろした生姜が乗っており、生姜焼きとも違い、甘すぎず辛すぎず。
うん、これ美味いんじゃないかな。
夜ビールグラス片手にいくつかのつまみを楽しみたいと思える店だ。
夜あざみ野あたりで飲む機会があれば、ここにしようと思える。
チャンスがあれば他の肉料理も楽しみたいなと思えた。
今日も美味いご飯を食べれて満足。
夜は何を食べますかね、流石にちょっとまた絞らなきゃならないのだけれども。
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