こんにちわ。
地下鉄吉野町駅近くのカラオケスナック「ミュージックパブキャビーヌ」の店長中島です。
表題と言えば、岩井志麻子のホラー短編小説の表題だ。
岡山の方言で「とても怖い」という意味になる
岩井志麻子といえばテレビ番組の有吉反省会などでヒョウ柄のキャッツみたいなコスプレをして出演していたのでお分かりになる方は分かるのではないかと思うのだけれども。
そしてLINEのタイムラインで告知しないとこのブログの方はあまり人目につかないので、このネタは昨日のネタの続きと一緒で告知はしないでおこうと思っている。
けれども「きょうてえな」と思って、まあ俺の解釈が正しいかどうかは分からないんだけれども、昨日のネタの換金されてしまった人の話で俺に気づきがあったように、誰かの気づきになる可能性がわずかでもあればと思い記載する。
でも、さらに自問すれば多分、日本昔話の雪女の話と一緒だと思うのだよな。
本来話してはいけないのだけれども、墓場までもっていく覚悟がないというか、王様のロバの耳の話と同じで言いたいなという自分の欲求か、いや、恐れによる牽制か。
それとも想定通りの望まぬ結果が起きた時の自分へのいい訳か
いや、本当は俺、気付いていたんだよと言う。
じゃあ、結果的に恐れが具現化した際に何故見えている落とし穴に落ちるんだよとなってしまうんだけれども。
落ちないように自戒と言えば聞こえはいいかもしれないが、きな臭さを感じている。
欲がトラブルの元と記載しておきながら、言いたい欲求に抗えないとなるとちょっとしたトラブルになるリスクもあるんだが、それよりも「きょうてえ」の方が勝ってしまっている。
まあ何が起きてもどうにかするしかないし、どうにかするんだけど、そして望まぬ結果も学習としてラッキーにするんだが。
ただ、杞憂は無駄になるけれども、重傷になるかもしれない事の回避ポイントは抑えておいた方がいいと思うんだよな。
会社の仕事でもポイントしか俺は抑えないけれども、これは事前に抑えておくべきポイントなんじゃないかと思っている。
ギフトと呼ばれる感覚をご存じだろうか?
ファーストインプレッションの時に感じる僅かな違和感の事だ。
初見でなんとなく嫌だなとか違和感を感じる事は素直に受け止めた方がいいという話。
昔、むさぼるように読んでいたリアルなホラー話で、今でも好きだが、平山夢明氏のホラー話に出てくる感覚だが、瞬間的な感覚で一瞬でも何か変だと感じたら、それは素直に避けた方がいいと言う話
この感覚を信じられないと犯罪に巻き込まれてしまうという。
そしてホラー映画なんかもうだけれども、始まりはちょっとした違和感なんだよな。
人気ホラー映画のパラノーマルアクティビティみたいな感じで、置いておいたものがちょっとだけズレているとか。
置いておいたはずのものが見当たらないとか。
あれ、なんか変だな、でも気のせいかという感じ。
でそれを気のせいで片付けているうちにだんだんとエスカレートしていくというのがホラー映画の定番だ。
俺の思い込みなのかもしれないが、昨日書いたネタの違和感を感じた言葉の一つもそうなんだけど、小さな違和感の断片が繋がって形を作るイメージがある。
まんまホラー映画で、ばらばらだった人形の欠片が集合してホラー映画チャイルドプレイの人形チャッキーみたいになって襲ってくるみたいな。
パターン化される想定の中でそのルートだけ行きたくないと思うパターンがあるのであれば、初期段階であれば僅かでも角度を付ければ大きくゴールはずれる。
何の話かと言えば、前日のネタの「投資」という言葉の話だ。
ビジネスルールが違う世界では出荷と換金がおそらく常識なのだよな。
で、当たり前じゃない事を当たり前にしようとするのも大きな違和感なんだけれども、大きな違和感より小さな違和感の方が純度の高い違和感に感じてしまう。
この投資という単語も小さな違和感で引っかかっているのだが、その前に俺は一度約束をしてプライベートで飲みに行く約束をした事がある。
そして約束の日、何度電話をしても留守電になってしまったのだよな。
都合が悪くなったのならそう言ってくれればいいんだが、俺はその分時間を空けてあり、拘束されるし、それ以上に俺がちゃんと連絡をしたという事実がなければ俺が不義理を働いたことになってしまうよなと。
個人的には義理と筋は営業として生きていくうえでも重要だと思っているので、俺が不義理を働いたり、筋違いをしたという結果になることだけは避けている。
俺が不義理をされたり、筋違いをされる分にはそういう人という認識になる分、ある種安心感があるが、少なくとも自分は義理を通して筋を通したという事実だけは堅持しないとなという価値感がある。
そのため、ショートメールと留守電を2回くらい入れておいたので、形にも残るし、俺が不義理を働いた事にはならずに済むなと思ったのだが、これも小さな違和感だった。
で、ちょっと前だがこの方がいつもどおり大盤振る舞いで、店に来ていた女性全員にチップを渡すというのだ。
それはやりすぎだと断っているんだが、俺も男だと引いてくれない。
しかも直接渡してくれればいいんだが、人数が分からないから俺から渡してくれという。
うちの客単価なんか2~3千円なのに、女性客とスタッフ含めて8人いれば高級クラブで飲める価格になってしまう。
で、店としては受け取れないと言う旨を話して、では渡しますねとスタッフを通じてその方からだといる女性全員にチップを渡したんだが、この時間違えたのか意図的なのかは不明だが、8名と伝えたのだが、7名分しかなかったんだよな。
数えなかった俺が悪いんだけれども、自分で財布から1万円とりだしてその方からだと言って全員に足りるように渡したんだけれども、実はここが一番違和感ポイントになっている。
俺から渡させるというのもそうだけれども、本当に間違えたのか、それとも意図的か。
前者だったらいいんだけれども、最も望まぬルートの場合後者だよなと。
意図的の場合、足りなかったと伝えたら、俺が抜いたのか、言いがかりをつけているのかという火種の話になり、相手次第では俺が悪くなってしまう可能性が出てくる。
形上、俺が不義理を働いたことになるよなと。
そして意図的だった場合俺が試されたことになる。
こういう時俺がどうするだろう、隙があるかどうかとか。
意図的の場合は女性全員に挨拶に行ってもらったので、誰かが泣いたか、俺が泣いたかという判断をされたかもしれない。
ただ、どちらのパターンでもスタッフ教育がしっかりしているか、隙が無いと判断されるだろうから、望まぬルートへの回避へ角度をつけられたと思うんだよな。
こういう気のせいかといえそうな、ちょっとした違和感の方がビリビリ背中に来る。
でさらに気になっているのが、これも書くべきじゃないと思うのだが、昨日のネタでも記載したその方への返礼を忘れぬ百戦錬磨の大将の話だ。
これは本当に良くない話なんだけれども、ココシャネルのようにその人がどういう人かとか人格とかは結構人相に出る。
でその大将、営業として20年やっている俺の仕事の目で見るとあまりよろしい人相をしていないんだよな。
辛酸を舐めてきたかもしれないし、何度も煮え湯を飲まされているかもしれない。
顔は笑っているが目は笑っていない的な。
でそんな方の行動は意思表示だと思うので絶対に借りを作らないという行動にも見えるのだ。
70歳近くになって何十年も飲食店を複数経営している、ちょっとこれまた別方面の違和感を感じる海千山千な感じの方の行動を見ていると、あながち俺の感性も間違っていないんじゃないかと思うのだ。
そして、「投資」の言葉以外にも「つまらない」という言葉を別の店でぼそっと言われたことがあるらしいのだ。
この「つまらない」という言葉の意味も、純粋に飲んでてつまらないのか、意図を現実にするのに遠いからつまらないのか。
そう考えると「きょうてえ」なと。
パターンはいくつか考えられるけど、年齢的にも俺は比較的なめられやすいのでちょろいと思われていたのかもしれないが。
ラッキーしか起きないとはいえ、恐れるべきものは恐れる。
逆に違和感に気づけている事がラッキーなのかもしれないしな。
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