証と純喫茶

営業マン飯2022年
ご挨拶

こんにちわ、地下鉄吉野町駅最寄りのカラオケBARキャビーヌの中島です。

 

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こんにちわ。

地下鉄吉野町駅近くのカラオケスナック「ミュージックパブキャビーヌ」の中島です。

こいつは「証」だなと思った

俺自身は漢字やその意味を辞書で調べたことはほとんどなく、かつて読んだ本の前後文脈のニュアンスでほとんどの言葉を把握している。

個人的には「証」という漢字は事実の痕跡と言った認識でいる。

なので改めて調べてみると、事実を明らかにするための根拠とか、悟りを得る事、なんて書いてあり、俺の認識している言葉のニュアンスとは微妙に違いがあるんだよな。

だけれども、言葉は伝われば良いのであって厳密な意味合いを完璧に理解する必要はない。

結局、親父が他界してから今の飲食店をやっているのも、何もしなければ時間の経過と共に存在した事すら忘れられてしまう俺の親父が、この世に存在した「証」を残すためでもある。

その「証」を残すために、一般的には墓なんてものもあるのかもしれないが、墓は墓守が存在しなくなれば「証」は残らないし、そもそも生前かかわった多くの人間の記憶に残らないものだ。

けれども、「証」として残すのが墓ではなく、店舗であれば明治時代に刺客に襲われて刺された時の板垣退助の名セリフ

「板垣死すとも、自由は死せず」

ではないが、「親父死すれども店は死せず」と言え、俺の親父が存在していたという確かな痕跡を残せる。

と相変わらず我ながら文章さえも三半規管に重大な疾患を抱えているためなのか、まっすぐ進めず寄り道をしてしまう。

実際の俺は昼間は大丈夫なんだが、夜になると三半規管の異常が発症し、平衡感覚を失い、まっすぐ歩けず、あっちにふらふら、こっちにふらふら、と寄り道ハシゴ酒をしてしまう。

まず真っ直ぐに家路に辿り着くことはできない。

帰巣本能が喪失しているとしか思えないレベルだ。

なので、文章くらいはまっすぐ目的地にたどり着けるようにしないとなと思いながらも、さらなる寄り道。

駄目だ、寄り道が俺のフィールドワークなんじゃないか?

そんな疑問すら浮かんでくる。

が、無理やり引き返そう。

ぺこぱが時を戻すイメージだ。

先日の事。

昼食を抜いた俺は相変わらずサバを食べようと「陸地の漁師」となり、晩餐に鯖を捕獲しようと思っていた。

鯖を喰えるところを探しながら、いつもの見慣れたいつもの景色を歩いて酒場に向かっていた時の事だ。

ふと見ると、「鯖の塩焼き定食」の文字が目に留まった。

うん?

ここは確か、純喫茶じゃなかったっけ?

過去の記憶が外に飾ってあった食品サンプルを思い出させる。

コーヒー、クリームソーダに、パンケーキ、ナポリタン、ハンバーグ、ワッフルがガラスショーケースの中に飾られていた。

大分古びており、長期間の日光を浴びて色褪せてしまったけれども、かつてはきらきらと輝きながら道行く人をその純喫茶へと誘惑していたのに違いない。

そのお店だと思っっていたのだが、何度見直しても大きくサバの塩焼きと書かれている。

連日大戸屋に行く気もしないし、美味しい鯖を手軽に食べれる近隣を探していた俺は迷わず入った。

そして、聞くところによるとちょっと前から純喫茶が居酒屋に変わったそうなのだ。

値段もリーズナブルでサバの脂の乗り方も申し分ない。

緑茶杯も抹茶入りの好きな味

手ごろ感が良く、お客さんも多く、回転も早い。

こいつはリピートだなと思わされた。

糖質カットもパーフェクトで、俺は満足気に店を出たのだが、ふと寂寥感を感じた。

またひとつ、純喫茶が人知れずこの世から消えていたのだ。

個人的には純喫茶が普通のカフェよりも好きで、道を歩いていて見つけてしまうとついふらりと入りたくなる。

大学の近くにあり、よく通った神保町の「さぼうる」という有名な純喫茶を思い出す。

その時ふと自問したのが、何故俺は純喫茶が好きなんだろう?

その答えは脳内の記憶の部屋をバタバタと開けていくうちに見つかった。

そうか、証なんだなきっとこれも。

遠い、遠い過去の記憶

子供のころ、出先のデパートや駅前に行くと、それこそまだキラキラしていた食品サンプルが子供の食欲を刺激して、親に駄々をこねて無理やり入ったものだ。

メニュー表を開くと、デザートとジュースのページを真っ先に開く

美化された記憶に残る純喫茶メニューは実際よりも遥かに輝きを増している

クリームソーダの上に乗ったソフトクリームの上の真っ赤なチェリーは蜜を吸ってそれは甘く、種とヘタが残された後も、その重さを支えていたソフトクリームの上にそっと赤色のさくらんぼが存在した「証」を残す。

シュワシュワと泡立つ綺麗なエメラルドグリーンのメロンソーダも子供心をくすぐり、勢いよくストローを吸い込みたくなる。

メロンソーダも次第に溶けたソフトクリームの白色と混ざり、色が変わっていくのだけれども、それも子供が大人になっていくかのように、透明な色に色がついていくかのような成長とでも言うべき楽しさを感じたりもする。

そして銀のトレイを手にしたウェイトレスが持ってくる3段に重ねたパンケーキが、ケーキの余熱で溶けたバターを乗せてやってくる。

溶けかけた氷山のようなバターを平らに塗りたくり、最上段から強いシャワーのようにシロップを振りかける。

パンケーキの頂上からあふれ出したシロップは滝のように流れ落ち、1段目、2段目のホットケーキに吸われていき、最後は皿と言う名の湖面に広がる

そこにナイフとフォークでウェディングケーキのように入刀し、シロップを馴染ませて食べるパンケーキの美味さは、美化と言う名の記憶の改竄を行い、二度と味わえないような美食であるかのような錯覚を起こさせる。

時にはコーヒーゼリーだったり、時には焼きたてのワッフルだったり

子どもには早い味なのでタバスコは避けるけれども、粉チーズとケチャップの双方がたっぷりの甘いナポリタンや、お手製のデミグラスソースのハンバーグも、何もかもストーリーがあったんじゃないか。

そんな気にすらさせられる。

当時の記憶を思い出したいからなのかもしれないが、純喫茶を見るたびに入りたいと瞬間的に思ってしまう。

そしてその思い出したいという欲求は、過去の自分が存在した「証」を自分で確認するためのなのかもしれない。

純喫茶に子供のころ行ったことのない世代からすれば、ただの古びたお店でしかないだろう。

それはそれで一つの正しさだ。

何しろ、そこに思い出と言う自分がそこで時を過ごした「証」が存在しないから。

けれども、過去の自分の「証」という名の痕跡を求める人間にとっては違うように見えるものだ。

そんなことをなくなってしまった純喫茶を見て思ったのだ。

そんなわけで、かつての純喫茶でサバと鮭と野菜炒めと緑茶杯が晩餐

多分、糖質30gもいっていない。

パーフェクトだ。

そして今日は湘南台で仕事

決まりそうな雰囲気ではるのだが、当初の予定通り町田でも食べた「いまがわ食堂」の湘南台店でランチ

脂たっぷりの炙りしめさばが相変わらず美味い。

そして本日の刺身となかなかなアジフライも美味しい。

アジフライと味噌汁とソースがあるから多分、糖質40gくらいはあるかなと思っているが、これだけなら100gからは程遠い。

本日もこれ以上、糖質摂らなければ65kg台の体重も目と鼻の先

年内でできっちり15kg減量してやりたいがどうかな・・・

湘南台のこの案件決まったら、駅近くにある湘南台温泉「らく」とか書いてあるスパに行ってやりたいな

にしても最近、どのサプリか分からないがアレルギーが出るんだよな。

ナイシトールではないみたいなんだが、最近増やしたサプリだと思うのだ。

アマゾンの尿酸値さげるサプリかな。

1種類ずつ飲むのをやめて正体を探らないとならないんだけれども。

今まで食品アレルギーなんて全くなかったので、ちょっと面食らっている。

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