アイムオールインへの誘い

思う事
ご挨拶

こんにちわ、地下鉄吉野町駅最寄りのカラオケBARキャビーヌの中島です。

 

著書

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こんにちわ。

地下鉄吉野町駅近くのカラオケスナック「ミュージックパブキャビーヌ」の店長中島です。

さて、タイトルはポーカー用語の一つになる。

俺はポーカーはルールを知っているくらいのレベルだが、ギャンブルに学んだ身としてはその考え方とかは尊重している。

そのポーカーについてだけれども、日本で有名なプロギャンブラーにプロギャンブラーNOBUKIという方がいる。

この方、ポーカーの勝ち方を極め、世界中のカジノで日銭を稼ぎながら世界旅行をした猛者で、後々になって思うと、俺が最近常々言っているラッキーしか起きないと同じ発想に聞こえるんだけれども、ハッピー思考をしているらしい。

同じギャンブルの偏りとかをかなり味わっていて、通常なら疑心暗鬼になってしまってもおかしくない人が最後にその境地にその思考にたどり着いたのが面白いなと思っているのだけれども。

大体は、ギャンブルを長くやればやるほど負のオーラが出る物なんだけれども、それは正しくギャンブルを学べていないだけで、俺自身がギャンブルを正しく学んだとは言うつもりはないけれども、最終的にギャンブルにおいてもポジティブが正解になると思うのだ。

無論、逆に麻雀の雀聖のお言葉で・・・

博打病患者には二種類あり、陽気なタイプと陰気なタイプがある。そして陰気なタイプのほうが強い 阿佐田 哲也

なんて言葉もあるけれども、まあギャンブル依存ではないということなのかなと勝手な解釈をしてしまうが。

でもって、こののぶき氏のハッピー思考を要約すると、当然エピソードがある。

のぶき氏の体験によると、海外の人たちは楽しむ思考回路を持っているそうだ。

ラスベガスのカジノに行ったら、叫び声が毎日のように聞こえてくる。

それが「俺は勝った!!金を手にした!!」と。

すぐに人だかりができて、みんなで「いくら?」って聞くそうだ。

すると、振り向きざまにドヤ顔で 「20ドル」と答えるそう。

聞いた方は、えっ? たった2000円?それでこんな大騒ぎすんの??(笑)となる。

その人は、それまでに5万円負けているかもしれない。

それなのに、30円で2000円だけ勝ったその瞬間のみ、そこだけを切り取ってスポットを集中して大喜びしている。

まずは楽しむこと。それが人生の勝ちだそうだ。

過去のイマイチな負け分など忘れ、小さなハッピーを大きなハッピーへしていく。ハッピーの拡大解釈をすること。

俺の言葉で言い換えれば、過去の自分の都合の良い部分だけを切り取って強調し思い出すこと

ポジティブ思考をはるかに超え行く思考スタイル 「ハッピー思考」。

これが本物のギャンブラーの到達地なんだよな。

そして、日本は恵まれた国なのだから心の持ちようでそれが分かるとのこと。

仰る通りと思うけれども、一つの道を究めた人間が、俺の主観で見て望む結果を出した人がそういうんだから間違いないと思うんだよな。

と、また余談が長引いた。

でもって表題のアイムオールインという言葉だけれども

オールイン(All In)は、自分の持っているチップを全て賭けることを言う。

主にテキサスホールデムポーカーで使用される言葉で、多くのプレイヤーはオールインをする際に「all in」とだけ言えばいいものを・・・

「I’m all in」アイムオールイン

と宣言するそうだ。

確かにオールインより、アイムオールインの方がニュアンスとして意志の力を個人的には感じるんだよな。

他の誰でもない、俺だよと。

その俺が全額BETするのだと。

そんなわけで、アイムオールインというと日本語で言う乾坤一擲の勝負で、有り金全部勝負の事だ。

で、どうしても俺は山師的な感情が抜けなく、時折このアイムオールイン勝負がしたいという衝動に駆られる事がある。

無論、もう絶対にオールイン勝負はしないんだけれども、それでも何故まだこの衝動が沸き上がるかを考えてみた。

その前に、俺が何故もうオールイン勝負をしないかなんだけれども、結論から言ってしまえば必ず負けるからだ。

絶対などありえない、それも枠を広げた目で見れば事実なんだけれども、オールイン勝負をしてしまう人、そういう特殊な人には絶対があるんだよな。

何故なら、1回で済まない。

そもそもオールイン勝負という負けたらどうしようと思うような、心が恐れを抱くような勝負は基本的に恐れた方を無意識が自分に選択させてしまうので、たとえ確率は50%あったとしてもおそらく結果的な勝率は30%いかないのではないかと思うのだ。

で一度その勝負に生き残ると、再び強いオールイン勝負の衝動がやってくる。

そして一度やって、勝ち残ってしまった人はその時の高揚感が忘れられず必ず負けるまで繰り返してしまう。

だから、最終的に必ず負けるので全額BETだけは絶対にしてはならない。

なので俺はもう十分それを学んだのでオールイン勝負はしないが、それでもオールイン勝負をしたいという欲求はどこから来るんだろうとふと疑問に思ったのだ。

で、結論が出たんだけれども、多分結果に対する承認欲求だなと。

ちょっと前に記載したけれども、人の欲がトラブルをもたらせる。

船幽霊と権利主張という自傷行為
こんにちわ。 地下鉄吉野町駅近くのカラオケスナック「ミュージックパブキャビーヌ」の店長中島です。 船幽霊というと昔話でよくでてくる船のお化けだ。 人魂をまとった船と海面から多数の手が出てきて、柄杓をくれ、柄杓をくれというので、柄杓を渡すと、...

で、この承認欲求というやつも字にある通り、欲のひとつだなと。

俺は結果に対して、全額BETしても生き残れる結果を出す人間だと認められたいのではないかと。

それがオールイン勝負したい衝動でそのオールイン勝負で結果にどっちなのかの答えを求めているんだろうなと思ったのだ。

だからそれはブレーキのない加速し続ける下り坂の頂点から乗るトロッコへの乗車券だぞと自分を諫めているのだけれども。

でも結局、その承認欲求という欲を出してオールイン勝負をしたら結果的に身を亡ぼすわけだ。

欲は形を色々変えるねと思うんだけれども、俺自身の衝動が結果に対しての承認欲求と思ったときに思考が分岐した。

待てよと、実は世の中、欲の中で一番強いのってこの承認欲求じゃないか?と。

心理学で結構有名な話にマズローの欲求5段階説がある。

一つの欲求が満たされるごとに次の欲求を求めるというあれだ。

1,生理的欲求 

「食欲」「睡眠欲」といった日常生活を送るための基本的・本能的な欲求

2,安全欲求

天災、戦争、犯罪、経済的危機のない安全な生活を求める。法律、保険、警察、年金制度などはこの安全欲求によるもの。

現状ではウクライナがこれを損なわれている

3,所属と愛情欲求 

グループに属し、仲間を求める、愛情を求める欲求

4,自尊欲求

他者から認められたい 尊敬されたい 尊重されたい という欲求

5,自己実現欲求

自己実現欲求は、自我が芽生えた人間だけの欲求です。自我とは「自分」を意味します。私たち人間は、「自分」というものを発見し、一度しかない自分の人生をどう生きていけばいいのか?自問自答していく

上記が欲求の段階だが、確かになと思う。

日本で考えれば大体皆3段階目までは満たされており、足踏みする状態が4の自尊欲求だろうなと。

だから満たされていないからこそ、現代で一番強いのが承認欲求なのだろうと。

そう考えたときに、過去の情報パーツが線で繋がる。

否定的な意見の方も結構多いと思うが、分かりやすいのも含め、俺の望む結果を出しているので俺は支持しているけれども、ダイエット漢方の日本一の納税者の斎藤一人氏という方がいる。

この方の書籍に書かれた言葉を思い出す。

それは人は自己重要感に飢えているというやつだ。

でその自己重要感とは、「自分は重要な存在である」という自己認識の事を指す。

それは同時に「自分が重要な存在であることを周囲に認めてもらいたい」という承認の欲求でもあるとのこと。

だから人は自分の自己重要感、つまり自分の承認欲求を満たしてくれる人を好むと。

このときにまたふと思ったのだ。

これって人によって承認されたいポイントって違ってくるよねと。

この記事で記載した俺が手にした美人の視点

美人の視点
を手に入れたと思ったときがある。 こんにちわ。 地下鉄吉野町駅近くのカラオケスナック「ミュージックパブキャビーヌ」の店長中島です。 以前にうちの店で違うBARからスタッフが移ってきたときの話だ。 結構な美人で客受けもいいスタッフだった。 た...

美人は美人であることを果たして承認されたいだろうか?

それが当たり前になっていたら当然そんな承認望んでいないよな。

だって美人は美人だってことを知っているんだから。

そうじゃない潜在的な承認されたい部分があるはず。

もしその承認欲求を満たされていたら、結果的にがつがつ自己実現していっているだろう。

結果的にそうなっていなかったら、まだ承認欲求が満たされていない階層できっと止まっている。

こなってくると、相手の承認されたいポイントは何かの視点で考えたら人の見え方ががらりと変わるよな。

となると、某友人のカリスマ営業の人の褒め方はこの視点で褒めていたんじゃないかという気がしてきた。

相手の望む承認を与えるというか。

やはり「きょうてえ」なあの友人。

会社でも女性社員は特に「仕事」における承認欲求が強いなと感じる。

おかげで結構誰とでもトラブっているイメージだけど、これも欲だからなと思う反面、この記事で書いたルールにおける得点の低いところで承認されてもあまり意味がないように感じるんだけれども。

ルールを真に理解しているだろうか
こんにちわ。 地下鉄吉野町駅近くのカラオケスナック「ミュージックパブキャビーヌ」の店長中島です。 最近思ったのだけれども、世の中の厳しさは親でもない限り、いや、親でも親自身が分かっていない可能性があるので何とも言えないが・・・ この世のルー...

仕事ができることで得られる得点は高くないんだよね、

だから仕事はできないよりはできたほうがいいけれども、突き抜けてプロじゃない限り違うゲームに参加したほうがいい。

でもそう考えると、承認欲求も結構トラブルを引き起こしている。

得点の低いところで承認欲求だしてトラブっても仕方ないだろうと思うけれども、それに飢えているんだから仕方ないよな。

俺は他者からの承認なんか求めていないつもりだったけれども、結果に対して承認を求めていたんだよな。

でも結果が承認してくれれば、これまた結果的に人の承認も得られるわけで、承認欲求という枠にとらわれていたのは俺も変わらないのかもしれない。

そうだよな、俺は物事を結果を起点に考えているけれども、結局、織田信長も500年近く経過した今でも英雄として扱われるのは結果に承認されたからなんだよな。

もし桶狭間の戦いで織田信長が今川義元に負けていたら、本当はとんでもなく優秀なのに、事実は人に伝わらず1度の結果でうつけが確定してしまう。

ゲームソフトの信長の野望も義元の野望になっていたかもしれないのだ。

そう考えると、結果に承認させることが承認欲求の大元みたいなイメージがあるのだ。

だから、オールイン勝負に俺は誘われているのかもしれない。

でも、駄目だな、やはり必要以上の欲は。

満たされればラッキーくらいで数多くの仕掛けを打つくらいにしとかないと、トラブルを自分に引き寄せる。

まったくないのもどうかと思うけれども、分散だな。

最終的にすべての欲を満たされればよいとすれば、いろんなところでちょっとずつ欲を致す蜂蜜を手にすれば、クマのプーさんが満足できるだけの甕一杯の蜂蜜にできるかもしれないが、一つの養蜂所から甕一杯の蜂蜜を得ようとしたらトラブルに巻き込まれ、養蜂所自体を失うかもしれない。

結果に対する承認欲求も同じだな。アイムオールインでその場ですべてを満たそうとしてはいけないというか。

そんなことを思わされた。

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