連環だなと思わされた
連環とは輪をつらねること。輪をつらねたようにつなぎ合わせること。または鎖そのものを指す。
三国志の赤壁の戦いで出てくる火計を成功させるために必要だった連環の計の名前の方が有名かもしれない。
ふと、やはり物事はなんでも連環だなと思わされた。
森羅万象と言った方が早いのかもしれないが、大体の物事は鎖のように繋がってるいる。
LINEには記載してないんだけど、うちの店のブログで書いた記事のリプレイスになるんだが、こんな記事を去年記載した。
連環だと思った話の部分を抜粋すると下記の内容だ。
他界した父の話だ。
父が生前、どんなに親しくてもどんなにいい人そうでも反社系の方とだけは付き合うなと何度も言われていた。
正直、当時の俺は自分が警戒心が強いことも分かっていたし、人に騙されるなんてありえないと過信していた。
だからその時の親父の言葉を軽く考えていたんだよな。
いや、多分当時からここまでは騙されてもいいと思うライン以上は決して騙されないのだろうけれども、それでもそもそも自分が騙されるはずなんてないし、警戒していれば大丈夫なんて思っていた。
けれども、今になると親父のその言葉が頭の片隅に残っていたからこそ、気づけたことも多々ある。
冷酒と親父の小言は後に効くとはよく言ったもんだなと。
この20年以上前に何度も聞かされた言葉があったのだが、ほんの数年前、強烈にその言葉を思い出させられる事があった。
それが前の会社に勤務していた時の取引先の社長さんだ。
たまに仕事を発注していたこともあり、強面でプロレスラーみたいな体をしている人で、結構社員には責任がある分厳しい社長だが、俺の様に仕事を出す営業にはちゃんと礼儀をわきまえている人で余計なことも何も言わない人だった。
この方今だと46歳くらいだろうか。
数年前の事だが、この方が新しく産業廃棄物の会社を作ったときの話だ。
どう見ても昔はやんちゃだったその方が、18歳から20年以上お世話になっている兄貴分のような反社系の方がいた。
18のお金のない小僧の時から飯を食わせてくれたり、酒を飲ませてくれたりと、20年以上お世話をしてくれていた方のようで、この兄貴と社長さんは産廃の会社を一緒に作ったらしいのだ。
ところが、産廃処理用に購入した3000万くらいする山は実質二束三文で、結局この社長さんは3000万円だまし取られ、裁判沙汰になっている。
どう考えても裁判で勝ったとしても回収できないだろうし、国の規制で衰退産業で売り上げも落ちていそうな状況下の業界で、正社員である従業員とその家族の生活を守らなければいけない立場として、自分の判断の過ちで従業員を路頭に迷わせるかもしれない事にかなり自分を責めて、抗うつ剤とか再度飲むようになってしまったらしいのだが。
その話聞いて、あんなに俺が束になっても敵わなさそうな強そうな見た目と身体なのに、心は弱いのかもしれないなとか一瞬思ったもんな。
で、この話を聞いたとき、親父の言葉がよみがえってきたんだよな。
どんなにいい人に見えても、親しくしても反社系の方だけとは付き合うなという。
で、その瞬間気づいた。
そうかと。
生きている世界が違うので、俺の発想にはなかったんだが、世の中以前にも記載したが、目に見える物よりも目に見えないものの方が価値が高いことが多い。
そして目に見えない価値が高いものは換金できるんだよな。
俺と違う世界の生きているその反社の方々は、実際は人の縁を換金するのがビジネスルールなんだと気づかされたのだ。
だから、そういった18くらいからの若造にばら撒いて、縁を紡ぎ、その中で豊かに育ったものをいつか必ず換金するのだ。
人の縁が商品であり、それこそ牧場の家畜の様に、畜産家がいくら思い入れがある可愛がった牛でも豚でもいつかは自分が生きるために出荷しなければならない。
あの世界の方々は人間で畜産業をやっているのではないか?
つまり、人間として人を見ていない。
どんなに可愛くてもいつか出荷しなければならない、牛や豚といった家畜に見ている
そういうルールの世界なんだとこの20年間の縁を換金されてしまった社長さんの話を見て思ったのだ。
でもこの話の本質って、何も反社の方の話だけではないなと。
一般の世界でも本質は同じなんじゃないか?
そう気付かされた。
例えばなんだが、魚釣りでも、コマセと呼ばれる撒き餌がある。
海に餌をばら撒いて集まってきた魚から、釣り針に引っかかる魚を釣り上げるのだ。
撒餌法と呼ばれる手法で、集まってきた中から選択するわけではないが、釣り針に引っかかった魚を獲る。
お店のチラシも同じで数多くの不特定多数の人に配布し、それに目を留めた人を集める
そして、花咲か爺さんの撒いた灰とでも言った方がいいのだろうか。
仮に花咲か爺さんが撒く灰に花が咲く灰とそうじゃない灰があったとしても、結局人の目に留まるのは花が咲いたものの方で何も起きなかった方の灰は気づかれもしない。
過去にも何度も記載した俺が真理だと思うホリエモンの言葉
社長にはロジカルを駆使して戦略的に成り上がった人よりも、行動力が高くたまたま事業が上手くいってしまったような人が多い。
「要は一歩踏み出す力が強くてバカだから、失敗してもすぐに忘れてしまい、色々事業を立ち上げているうちにどれかが成功しちゃったって感じ」と言う偶然狙い
凡人の必勝法はたまたまラッキーを当てる事だと思うが、たまたま当てるためには当てるための種をばら撒かなければならない。
野原に種をばら撒いてた偶然芽吹いた種を回収するというか。
これって、人間で畜産をやっている反社の方も、コマセで魚を釣る釣り人も、広告で集客する事も渋谷のナンパ師もテレアポによる営業も本質的には同じなんじゃないかと思わされたのだ。
全部繋がっていて連環だなと。
なので、種をばら撒く行為が必要と、俺をインドに招待してくれたインドの方のスパイスの店に昨年の11月にガチャガチャを設置した。
最初の月ということもあり、売上は見込んでいるほどではないみたいだが、何よりも始めたという事が俺には重要で、芽吹くかは分からないけど、少なくとも種は蒔いた。
こういうのを繰り返していけば、やった行動のどれかが芽吹くかもしれない。
結果の是非はともかく、スタートラインに立ったことは自己肯定できると思うのだ。
そして、先日再度県会議員の先生事務所にもお邪魔してきた。
そこに集まる方の人格の高さもそうだが、経営社や大手企業の役職者も多く、学びも多い。
これも継続していれば、縁や情報やきっかけで何かの種籾になるかもしれないのだ。
2023年も農作業皆無の農業をやるつもりで、タネをバラ撒き続けたい
と言っても、奇跡のりんごも結果的には一般的な農作業をしないで作られたしな
それも加味しても、種を蒔いた後は、天の摂理に任せるのが正解なのかもしれない
さて、正月は寿司を含め、ずっとチートだったので、再び本気で絞り始めなければ
にしてもだが、年末年始から延長営業とか見ると他の飲食店の本気を感じるよな。
まだまだ、こちらは本気には遠いかもしれないと思わされてしまう。
コメント