パワーワードだな
最初に聞いた瞬間にそう思った。
相変わらず、俺の認識する言葉のほぼすべては小説とかから学んだ文脈からのニュアンスなので、この「パワーワード」という言葉の意味を俺が正しく把握しているか分からなかったため、ネットで調べた。
すると、辞書に記載されている内容は下記の通りだった。
パワーワード(power word)とは、「力のある言葉」や「インパクトのある言葉」を指す言葉である。
与える「影響」の詳細は問わないので、「前向きな」「希望に満ちた」というポジティブな影響を与えそうな言葉だけでなく、「呪詛」「絶望的な気分になる」といったネガティブな影響をもたらす言葉をも含む。
文章を解釈すると俺の認識する言葉のイメージ通りではあったけれども、よりクリアにしたのがネットの辞書の説明だった。
俺が聞いてしまった瞬間的に「これは強力なパワーワードだな」と思った言葉は、聞く者の心を酷く乱す言葉で、まるでミキサーのようだなと思った。
いや、夜の世界を少しでも齧れば「ブレンダ」と言った方がいいかもしれない。
ぐっちゃぐっちゃに掻き乱された世界を作り出す言葉だった。
もちろん、聞いた者の心の世界をだけれども。
もはや居酒屋によくあるおつまみの「ばくだん」だなとも思えた。
「納豆」と「おくら」と「とろろ」と「生卵」とついでに「めかぶ」を混ぜて、ぐっちゃぐちゃにして、ネッバネバにしたあれだ。
ラピュタで言えば、「バルス」を普通に軽く超越する禁忌の言葉だなと思ったのだ。
それほどの衝撃を俺にもたらせたワードだった。
競走馬で言えば「ディープインパクト」だ
衝撃しか存在しない
音速を超えるスピードを出せる戦闘機が、音速を超えた瞬間の衝撃で起きる空気の壁が歪んだ映像が脳内に思い浮かぶレベルだった。
決して口にしてはいけない言葉と言う、タブーのような言葉は、受け止める個人の歴史においては各々存在すると思うのだ。
変な話、我々の親世代の戦時生まれの人間は平気で「バカチョンカメラ」とインスタントカメラの事を言う。
その台詞を観光地で聞く度に、俺はヒヤっとするのだけれども、悪気の無い悪意のある言葉は一番怖い。
今でこそ危なすぎるワードだが、障害を持っている人の事を「カタ〇」というのと同じだ。
分らないままトラブルを引き寄せるパワーワードだ。
ただ、最近流行している大阪発の言葉もパワーワードを悪い意味で助長する。
「知らんけど」
これほど、世界を悪意で汚染させる言葉は俺はないと思っている。
なんなんだ、その責任回避の言葉は。
そもそも知らないなら言うなよ。
言うけど、自分はよくは知らないから責任は取らない。
言葉を発する人間をすべて瞬間的に安全域に連れて行く便利で一方的な魔法の言葉
無責任を極めているとしか思えない狡猾さを感じる。
まるで言葉の「どこでもドア」だなとも思う。
存在しないドラえもんを勝手に自分の味方につけたかのような、「存在しない虎」の威を借りる狐
もしくは言葉の発言者の「ワープ」だな
けれどもと思う。
これは形や見た目を変えただけで類似した言葉は昔から存在する
それが「いい意味で」だ
この言葉も責任回避的な意味合いでは「知らんけど」と同じだなと思う。
「いい意味で」さえつければ、何を言っても許される、すべての罪が許される免罪符のような言葉
すべての言葉の責任を放棄できるということにおいては「知らんけど」とまったく同じだ。
そして「いい意味で」はパワーワードを重装備で武装させ、その強力無比な言葉をさらにパワーアップさせる。
もはや言葉の核兵器だ。
そんなことを思わされた。
先日の事だった。
言うほど仲良くはないと俺は思っているのだけれども、いつもの俺の適当トークで相手は俺と仲がいいと誤解していたのかもしれない。
カクテルの「スレッジハンマー」で殴られるような、シティーハンターで言えば「香」に100tのハンマーで後頭部をぶん殴られる「冴羽獠」のような脳天直撃のパワーワードを女性の代理店のお客さんから頂戴した。
その言葉がこうだった。
「中島さんって、いい意味でサザエさんのカツオですよね」
言われた瞬間、「俺はなかじまだよ、磯野、野球しようぜ」
思わず言いそうになった。
いや、そうじゃない、ちょっと待て、いい意味で「カツオ」ってなんだよ?
「いい意味で」をつける時点で発する言葉の責任を放棄しており、その責任回避がないと言ってはいけないって言葉ってことだよな?
そもそも「カツオ」と言われてまるで嬉しくない。
机に隠した0点のテスト答案用紙を見つかって、サザエさんに耳引っ張られてリアル耳ダンボになっているイメージしかない。
いい意味も悪い意味でもどう考えてもただの悪口なんじゃないか?
俺の名誉のために言いたい。
0点なんか取った事ねーよと。
でも、「いい意味で」という枕詞を取ってしまえば、0点取って家族に見つかって耳引っ張られてそうな過去を持っているように見えるって事だよな。
いや、それ以前に世に問いたい。
この俺が存在するこの世界において「サザエさんのカツオだよね」と言われて喜ぶ人間が存在するんだろうか?
いやいや待て、これは俺のメンタルを相手が試しているのか?
それでも笑い飛ばせるだけの器がお前にあるのかと。
宇宙の始まりのビックバンの爆発のように疑問の爆破が脳内に連鎖する。
湧き出る疑問のスピードに追い付かない脳が疑問のボンバーマンとかよく分からない言葉を思い浮かべたりするけれども。
そもそも「カツオ」って一体なんなんだよ
そう思った瞬間に、またひとつ気が付いてしまった。
いや、待てよと。
そもそも「カツオ」を俺は正しく理解しているんだろうかと。
なんとなくカツオ象の一面のイメージでカツオと呼ばれる事を否定的に受け取ってしまっているが、本当にそうなんだろうか?
俺はカツオをちゃん理解したうえで、「いい意味でカツオ」と呼ばれたことに衝撃を受けているんだろうか?
いや、違う。
俺はカツオのすべてを知っているわけでもカツオを完全に理解しているわけでもない
「カツオ」をろくに知りもしないのに、「いい意味でカツオ」と呼ばれることを否定するのは違うんじゃないか?
そう思ったのだ。
よくよく考えれば、カツオはリボンが阿保みたいに大きい「かおりちゃん」にはなんとも思われていないが、「花沢さん」にはモテているのだ。
常識度で言えばリボンで派手に着飾った自己主張が強すぎる「かおりちゃん」よりも控えめな花沢さんの方が大人で空気が読めるのかもしれない。
いや、そもそも前提として「かおりちゃん」は可愛いが「花沢さん」はそうじゃない的なニュアンスでサザエさんが描かれている。
そのニュアンスを子供のころから無意識に刷り込まれており、俺の思い込みがあるんじゃないか?
でも冷静に考えてみろ、俺
よくよく見てみれば「かおりちゃん」も「花沢さん」も「早川さん」もそんなに違いがあるようには見えないだろ。
現実レベルに落とし込めばどれもキツイ。
そうやって混乱した脳が、自己防衛本能なのか無理矢理カツオのいいところを自分の知識で探してはいるが、他にカツオのいいところを知らないのだ、俺は。
受け止め方の選択次第ではもしかしたらカツオは世界最高の男なのかもしれない
けど、知らないのに否定するのは固定観念と言うか思い込みで、自分の間違いを疑えない人と同じになってしまう。
だから、「いい意味でカツオ」と呼ばれたことを否定するのであれば、ちゃんとカツオを理解したうえでなければならない。
そんな変な正義感により、その「いい意味でカツオ」と呼ばれた俺はちょっと蝕まれていく。
「本当のカツオを知らなければ!!」
自分のルーツを探って祖先を追い求める人みたいになっている。
そんなわけで、「本当のカツオ探し」という余計な仕事がまた増えた。
まあ、我ながら酔っ払って面白がって、適当に夜にネタ書いているからいいんじゃないかと思うけれども。
こんなワンフレーズでこれだけネタが書ければラッキーだよね。
閃きと言うかインスピレーションがあった方がいいしね。
そっちの方が面白いと俺は思うし。
そして、ちょいと飲食店経営ネタ
どう考えても既存顧客は放っておけば減少していくものなので、新規顧客を獲らなければならないのは飲食店に限った話ではない。
一番いいのは既存顧客の紹介で自動集客システムができる事なんだけれども、現実的には紹介できる人は一人で飲みに来ないで皆で飲んでいるんだよな。
まあ、そんなわけで集客をするためチラシを配布しようと、ポスティングスタッフを自分で雇おうとしたら採用が間に合わないので、チラシ配布業者に依頼した。
ラクスルでも十分良かったんだけれども、どうせなら地域密着の方が顔を知らない業者よりいいんじゃないかと思って、地元の小さな会社へ依頼。
そしたら、調べて行くとまるで配布していないわけではないんだが、多分ポスティングスタッフによって破棄しているスタッフがいるんだろうな。
絶対に配布されているはずのうちのスタッフが住んでいる地域に配布されていなかったりしてちょっと考えさせられる。
ただ、分かったことがあってポスティング業者って複数の配布チラシを同時に撒くから利益を出せるんだなと。
だからこの日にと言うのが難しくて、期間の猶予が必要になる。
逆に言えば、俺のところのチラシ1枚しか配らないところは不採算地域になるから、配布会社の都合で破棄される可能性もあるってことだよな。
こういうのも自分で手配してみないと分からない。
だから戦国時代の豊臣秀吉がまだ農民だったころ、いろんな仕事を三か月だけやって、職を転々としてコツを覚え、それを応用したって話も学習のスピードとしては分かるのだ。
自分でやる事でこそ学びがある。
そして、結果から物事を考えるという意味では思った事がある。
自宅のポストに入っているチラシがあるじゃないと。
これも自宅のポストにチラシが投函された=ちゃんと配布している業者がいる
そういうことじゃないか?
てことは、自宅に入っているチラシを残しておいて、チラシ元にクレームを入れれば、その配布会社から電話がかかってくる
その業者に配布を依頼すれば、少なくともうちには配布した業者ってことなんだから信用できるんじゃないだろうか。
そんなことを思わされたのだ。
てことはだ、さらに言えば、スタッフの家にも入っているチラシは何かを聞いて、そこにクレームを入れれば、よくちゃんと配布している業者を炙りだすことができるんじゃないか。
こういうのも試行錯誤と改善なんだろうな。
こういう発想を初めてやることに応用してこそなんだろう。
でもって、画像は最近のご飯
最近、食べたのは鶴間駅前の中華とかその前の吉野町のスープカレーとかかな
そしてちょっと前に行った吉野町の海津の銀杏とカワハギの肝合え
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