妖怪「飴入れ」に飴玉を口に放り込まれたようなものかもしれない

営業マン飯2023年
ご挨拶

こんにちわ、地下鉄吉野町駅最寄りのカラオケBARキャビーヌの中島です。

 

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まるで「ナムラホームズ」だなと思った。

ナムラホームズとは競馬の競走馬の名前で俺が高校3年生の時に走っていた馬だった。

最初に好きになった馬の名を挙げろと言われれば、誰もが知るような有名な強い馬ではなくこの馬だ。

ナムラホームズは、ゲートが開いてスタートしてからずっと最後方を追走していって、直線になったらヨーイドンで全速力で他の馬を追い抜いていく「追い込み」と言う戦法で走る馬で、直線で一気に他の馬を追い抜く様は見ていて爽快な気分にさせてくれた。

けれども、決して強い馬ではなかったので、覚えている競馬ファンの方が少ないだろう。

大舞台の大きなレースにはまるで縁がない馬だったけれども、追い込みはじめて加速するまでの時間が長すぎて、ゴール板過ぎてから猛然とした目を見張るような脚で追い込んでくるのだ。

逆に言えば、ゴール板には決して「間に合わない」馬だった。

あとゴールまで20mあれば勝っているというようなレースがずっと続いていた。

もう僅かほんの少しタイミングが合えば勝てたのに。

でもいつもゴールには間に合わない。

その不器用さが当時の自分と重なるようで、愛着がわいたのかもしれない。

いつもゴールを過ぎてから全馬を抜いて一瞬で先頭に躍り出るんだけれども、勝ちはしなかったし馬券にもならなかった。

そしてその馬が毎回ゴールすぎてから追い込み切って、先頭に立っているなんて、そんな事すら誰も気づかなかっただろう。

その「ナムラホームズ」のような「タイミングの合わなさ」を思い出させられた。

世の中はやはりタイミングが大事だ。

その時、その瞬間しか掴めないチャンスという物が存在する。

それこそ、チャンスの女神さまの髪は前髪しかないと言われているように、そこで手を伸ばさなければ女神様は去ってしまい、二度と振り向かれない。

だからこそ、少しでも、僅かでも行けと思ったら迷わずGOしなければならないんだけれども。

結果の答え合わせはいつだって、手を伸ばせなかったその時その瞬間ではなく、大分後になってからやってくる。

そして、何故あの時そうしなかったんだろうという苦い薬のような飴玉をすれ違いざまに俺の口に放り込んでいくのだ。

妖怪「かまいたち」がすれ違いざまに人を転ばせ、鎌で切り付け、傷口に薬を塗っていく話と似ている。

結局は自分のリサーチ不足だったり、勉強不足だったり、マインドが脆弱だったりした事が原因なんだけども、その後にそれを理解しても、今後は大丈夫かもしれないが、過去の取りこぼしは取り戻せない。

覆った盆に水を戻すことができないのと同様にだ。

気付いて前進したからそれでもいいとは思うけれども、その対価で支払った「掴み損ねた物の喪失」はそれなりの後悔を残していく。

「次こそは間に合わせろよ」と言わんばかりにその後悔が何度も俺を詰り、詰める

まあ次ミスらなければいいだけなんだけれども、それでもその瞬間にやらなかった後悔が、もしやっていたらという自問が、自分に都合のよい結果が起きているもう一つの並列世界を想像させ、自責を激化させる。

とはいっても、俺にはラッキーしか起きないと決めているので、この事も次のもっと取りこぼしたくない何かを取りこぼさないために必要だった事だとは考えているけれども。

それでも、取りこぼさないに越したことはないよな。

丁度20年くらい前だろうか。

新卒で印刷会社に最初の就職した当時の俺は最悪だった。

何しろ、学生時代に何もしてこなかったので、何もできないし、コミュニケーション能力も低く、段取りの仕方も分からない、典型的な仕事のできない売れない営業だった。

自分でもよく今でも社会に生き残れているなと感心できるレベル

それでも3年はやろうと決めて、3年後に退職した俺は1年間スロプロとしてスロットで生計を立てていた。

その時のことだ。

ある時、一緒に行くはずだった相手が急に都合が悪くなり、俺は当時のインターネットで書いていたブログで「稲川淳二の怪談ライブ」に一緒に行ってくれる人を募集したところ、来てくれたのが新小岩に住むスロプロだった。

その人が今だったら何故すぐやらなかっただろうというスロットの勝ち方を教えてくれた。

しかも誰にでもできる簡単な方法で、年間2千万勝っていて、新小岩にマンションを買ったと言っていた。

方法はとある大手のチェーンのパチンコ屋はやる気がなく、客から抜く事しか考えていないため、それを逆手に取った戦略で、毎日通ってチェックしていると、どの台があといくらくらいで天井が来て当たるかを把握できるというのだ。

それを毎日何件か通って、わずかな投資で当てて、連荘かどうかは運しだいだけれども、期待値がかなり高い方法で理にかなっていた。

けれども、俺はそれを知ったのにやらなかったのだ。

やっていたら、今頃社会復帰できずにド底辺を彷徨っていたかもしれないが、それでもそれだけ時間と資金があれば他の選択肢も生まれたはず。

それも今では通じない(間に合わない)のでその当時のそのタイミングだけできた話なのだ。

雀鬼と呼ばれる裏麻雀の無敗のプロに桜井章一氏がいる。

結構、本も出しているので有名な裏プロ雀士なのだけれども。

その桜井章一氏の言葉にこんな言葉がある。

『強い人間とは、決して準備を怠らず、成し遂げ、後始末をおろそかにしない。つまり「間に合う」ということだ』

俺は間に合わなかったなと、まだ強い人間になりきれてはいない。

そんなことを思わされながらも本当にタイミングってあるよなと思う

それこそ、ずっと動き続けている歯車が幾重にも重なった金庫の鍵穴の中とでも言おうか。

歯車がすべてが重なる瞬間だけ鍵が入って開く可能性のある金庫というイメージの。

もしくは、森博嗣氏の小説の「すべてがFになった」瞬間とでも言おうか。

イギリスの古代遺跡ストーンヘンジで夏至の日だけ光が遺跡内を1直線に差すタイミングとも言えるかもしれない。

月が最も地球に近づき、スーパームーンと呼ばれる月が一番大きく見える時に海面が上がるとされているが、その逆の最も引き潮の時に海底から現れるタイミングのがある洞窟の入り口とか。

金田一少年の事件簿に出てくる、「秘宝島殺人事件」の何十年に一度、秘宝が隠された場所への入り口が出現するタイミングとかもそうだけれども。

何十年に一回とか、その瞬間しかチャンスが与えられないタイミングってあるよなあと思うのだ。

そしてそのタイミングでしかifという分岐点は起こりえない。

チャンスは与えられたのに掴み損なうことは、もうしてはならないと「結果先生」が「後悔」という「鞭」を振るい、後からきっちり教えてくれる

そんな事を思いながらも、町田に仕事に行った時はいつも通り「いまがわ食堂」で「炙り締めサバ」と「アジフライ」を食べてきた。

そして、インドで俺を助けてくれた若人を飲みに誘い先日行ってきた。

やはり予想通り京大卒業生だったけれども、偏差値の数字で言う僅かな差って、上位も下位もそうだけれども、1違うだけでとんでもなく違うものなんだなと思わされたのだ。

話していて、物が違うなと京大卒業生に思わされた。

こう思ったのは以前にネットで知り合った北海道大学の外科医で俺に競馬の勝ち方を教えてくれた人以来だ。

あの人も頭の構造が普通の人間と違っていたなあ

ただ、折角縁ができたので、こういうのを大事にしないとだなと思わされる。

それと同時に「人間万事塞翁が馬」で「禍福はあざなえる縄の如し」とはよく言った物だなと思わされることもあった。

数日前の事、美女とご飯に行くはずだったのだが、コロナ疑惑でリスケになってしまった。

2020年から流行しはじめたコロナをこれほど憎んだタイミングは初だった。

家族をコロナに奪われた人みたいになっていた。

だから、仕方がなく代わりに先日ネットのイベントで集めた社会人競馬サークルにいらっしゃった近隣の方をお誘いした。

美女が酒のお相手してくれるはずが、男性になってしまったよ。

と来てくれた方にバレたら非常に失礼な落胆を隠せないまま俺は飲みに行った。

そうしたら、衝撃的だった。

おそらくあの日、あの時、あのタイミングでなければ聞くことのできない話だったんじゃないだろうか。

リスケされてむしろよりラッキーな結果が起きたんじゃないかと思えたくらい。

やはり俺にはラッキーしか起きないし、必ず俺に起きるすべての事象はラッキーな結果になるようにできている。

ちょっと前にキャビーヌで開催した競馬イベントの時にこの方の話を聞いて、競馬のBETをJRAから海外のブックメーカーに変えた。

理由は簡単でJRAのフィールドはレッドオーシャン化しており、魔物みたいな強いライバルがうごめいているのだ。

のんきに歩いていたら迷わず噛まれ、捕食されてしまう。

進撃の巨人で言う、巨人が君臨している世界だ。

けれども海外のブックメーカーのオッズは甘く、食物連鎖で言えばまだ俺が捕食する側でいれるのだ。

こいつは「便所のネズミ」の話だなと再度思った。

自分がどこにいるのかが大事と言う。

「ギガンテス」とか「ボストロール」が棍棒持ってウロウロしているようなフィールドなんか歩いちゃいけない。

スライムが平穏に暮らしている世界で、スライムに対して無双になればいいのだ。

なので俺は最近、馬券はBET365という海外のブックメーカーで購入している。

それでそんな話をしていたら、昨日のネタのきっかけなのだけれども、その方がそろそろ20年近く勤めた会社を退職するのだという。

理由を聞いたら、その理由が衝撃的だった。

なんでも、ここ3か月で毎月このBET365のスポーツBETをして200万円くらいずつ勝っているらしいのだ。

でもその前はまるで博才があったわけでもなく、ちょっと研究したら勝てるようになって、スポーツBETは結果が出る直前までキャンセルができるし、海外のスポーツなので深夜帯なので、不利だったらBETをキャンセルして降りて、勝ちに専念するために、20年勤めた会社を辞めるのだという。

そして、僅差のスポーツには決して手を出さず、結果が明らかでかつ不確定要素が少ない2分の1のテニスとかバレーボールとかバトミントンに張るらしいのだ。

聞いた瞬間、20年近く前のスロットで年間2000万勝つ方法を聞いてやらなかった後悔が押し寄せてきた。

これはやらなきゃだ。

言われてみればブックメーカーで興味もないのに海外のスポーツのBETをしている日本人なんかそうはいない。

しかもブックメーカー自体すら日本では結構なブルーオーシャン

そしてスポーツはファンが多く、且つ好きという感情が渦巻いている。

ギャンブルにおいては感情が「負け」をもたらせる。

そして、好きという感情はジャニーズとかアイドルとかホストとかキャバクラと同じで高額で換金されてしまう物だ。

自分の好きなチームや選手を応援したい人が張るBETはオッズとか関係ない。

そりゃ、オッズが甘いに決まっている。

勝ちに行くなら勝てるんじゃないだろうか。

調べればいいのが誰がバレーボールやテニスやバトミントンに詳しいかだ。

本物の情報を提供するところを見つけて、オッズが合えば俺にもできる

俺はスポーツ言うほど興味がない分、感情が揺れることもない。

物凄い価値のある情報を聞いたんじゃないかと思えたのだ。

俺はもう「何もやらない」人間であることを6年前にやめたのだ。

やれることは何でも全部やる

それが今の俺の信条

早速バトミントンとテニスとバレーボールを学ぼうと思う。

まずはサントリーの創業者が言うように「やってみなはれ」だ

もし20年前に2000万勝つ方法を試していたら、人生のルートが変わっていたかもしれないのに、俺はやらなかった。

ビットコインが1ビット8銭の時に1000円分買おうかなと一瞬思ったけど、それも俺はやらなかった。

10年後には当たり前になってしまうかもしれないブックメーカーによる甘いオッズのスポーツBETもいまならチャンスなのかもしれないのだ。

だから今の俺はすぐにやる。

こういうネタを記載してすぐに「やる」人は怖い。

俺も自分が怖いと思うような畏怖の対象となるような人間にならなきゃなと思うのだ。

そんなわけでスポーツBETデビューしようと決意した。

やはり、人と会わなきゃ駄目だ。

こんな情報、人と会っていなかったら手にできないし、出会う方法は異常な方法ほど面白い人と出会える。

そんなわけで興奮冷めやらぬまま、ここ数日はランチはいつも通り糖質カット

夜も魚食べたりしてました

気分的に今は飯なんかどうでもよくなってしまっている。

強迫観念のように、今すぐナウ早くやるべきだと俺の心の声が叫んでいる

スポーツBETのサイト登録はとっくにしているので、より行動に加速をだ。

このネタが誰かの何かを変えるきっかけになればいいとも思うけれども。

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