こんにちわ。
地下鉄吉野町駅近くのカラオケスナック「ミュージックパブキャビーヌ」の中島です。
タイトルの東郷ターンと言えば、明治38年(1905年)5月27日、日本海海戦が起きた時のことだ。
日本海軍の連合艦隊と、ロシア海軍のバルチック艦隊との戦いいわゆる日露戦争
今のウクライナの戦争となんか被るな。
その時の名言と言われているのが「本日天気晴朗なれども波高し、皇国の興廃この一戦に在り」
ギャンブラーとしては本当の乾坤一擲の勝負で、昂る言葉だなと思うのだ。
ちょっと前に記載したアイムオールインへの誘いもこの言葉に感じてしまう。
「自身の興廃この一戦にあり」とかいう勝負したいなと思ってしまうものな。
絶対にやらないけれども。
でもって、結果的に日本は軍神と呼ばれている東郷平八郎の戦略東郷ターンによってバルチック艦隊を殲滅し、日本は日露戦争に勝利する。
この時東郷平八郎が乗っていた戦艦三笠は横須賀の公園に今も展示されている。
そして、当時の東郷平八郎は連合艦隊司令長官の就任直前まで舞鶴の鎮守府長官という予備役寸前の閑職で、リタイア寸前だった。
なので日露戦争の開戦直前の時に、明治天皇より海軍大臣山本権兵衛に、「連合艦隊司令長官に、なぜ東郷平八郎を選んだのか」とのご下問があったそうだ。
山本はそれに対して、「東郷はまことに運のいい男だからであります」とな返答をした。
結果的にこの運がいい男がロシア軍の最強艦隊を屠ったわけだ。
個人的には好きな逸話なのと、俺自身の選択にも影響を与えた逸話だ。
というのも、ほんの4年前まで俺はパチプロを1年で引退してから入社したパチンコ機器メーカーに12年勤めていた。
当時は良い会社だったが、国の規制もあり、今はパチンコ業界は絶望的な業界となってしまっている。
ただそこまで絶望的な状況になる前に、ちょっとしたシグナルがあったんだよな。
その前の会社に在籍しているときに、二人運がいい後輩がいた。
一人は生まれながらにして富豪の息子で、パチンコも座れば勝つような豪運の持ち主
もう一人も座ればひとまず勝つようなゴト師(不正でパチンコの出玉を出す犯罪者の事)と呼ばれていたくらい運が良い後輩だった。
丁度俺が前の会社を辞める4年くらい前の事だろうか。
まだまだ会社は良い会社であり続けた。
しかし、この富豪の息子が会社をある日去ったんだよな。
そしてその後を追うようにして、もう一人の運が良い後輩が会社を去った。
運が良い後輩が立て続けて退社するのを見て、この会社からは運が逃げていっていると強烈なシグナルを感じた。
なので、沈む前に俺も逃げなきゃと心の中で感じていた。
そして丁度4年くらい前に会社を見限るに十分なきっかけがあり、俺は歯科業界へと身を投じたのだけれども。
そもそも、何故歯科業界にしたかなんだが、実はその運が良い富豪の息子が歯科業界に行ったからなんだよな。
運がいいやつが選択する結果が間違えるはずがないと思っていた。
ちょっと前にも記載したが、生まれながらにして平等なんてことはなく、生まれたときから結果で運の差が存在している。
最初から運がいい奴は、運に肯定されていくうちにより幸運になっていくし、そうじゃなくて呪詛の言葉を吐いているとより不運を引き寄せる。
いや、ポジティブな言葉を使っていないと発想が幸運を不運に変換してしまうんだよな。
実際はラッキーしか起きていないのに。
でも、結果的に歯科業界に来て大正解だった。
やはり幸運の人間が選択する選択が間違っているはずがないと確信を得たし。
国から守られていて、ニッチで、医科とは違うのでそこまでハイレベルな対戦相手もおらず、井の中の蛙になれるような環境は他にはそうはない。
パチンコ業界という一時は30兆円産業にもなった大海を知っているからこそ、井の中の蛙でいれることのありがたみがよくわかる。
だから、二択で迷ったら東郷平八郎の逸話を思い出すことにしている。
運がいいのはどちらだろうか。
自分から見て運がいい人が選んだ選択はどちらか?
逆に自分から見て運が悪い人が選んだ選択はどちらか?
前者と後者の選択が真逆であれば分かりやすくてなおいい。
先日記載したこの記事の内容にも被ると思う。
正解の出し方は、正しいが示す方向と、間違いの否定が示す方向が一緒だった時。
2択で迷ったら、幸運の人が選択した選択と、不運の人が否定した選択が同じ方向を向いていればまず間違えないと思うのだ。
ギャンブル的な言葉で言えば、幸運の人に乗る、いわゆる順張りと、不運の人の逆を張る、いわゆる逆張りだ。
ちょっと前に、俺には生まれてからずっとラッキーしか起きていなかったという事実に気づく前の事。
何気に俺はホラー作品が好きで、特に映画にもなった「ダイナー」の作者平山夢明氏のホラーの話が本物の怖さがあり好きだった。
おかげで自宅の本棚にはホラー系の本がぎっしり。
非日常を味わうのに手ごろで良かったんだけれども、今思うと、こういうホラー系の概念には触れてはならないんだよな。
ホラー系にポジティブな情報はなく、ネガティヴな情報だけになる。
そうすると、考え方や受け止め方が負の物に汚染されるようになるんだよな。
だから何かの本で読んだが、富豪とかがホラー系を嫌うというのは今ならわかるんだが、当時の俺は恐怖の疑似体験を好んでいたので全く意に介さなかった。
思えば、その当時はラッキーをラッキーと受け止めれていなかったしなと思うものな。
で、ある時、それに気づいてホラー系の本や作品をすべて処分してからラッキーしか起きなくなった。
そんなわけで、何かに迷ったらどちらがラッキーか?
そういう判断軸でいいと思っている。
過去の結果、今のその人の状態を見て、ラッキーな人が何を選択したかはコンパスとして最適なんじゃないか。
俺はそう思っている。
つまり、東郷ターンに学べばいいんだよと。
コメント