「再現性」という名の蜃気楼

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こんにちわ、地下鉄吉野町駅最寄りのカラオケBARキャビーヌの中島です。

 

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こんにちわ。

地下鉄吉野町駅近くのカラオケスナック「ミュージックパブキャビーヌ」の中島です。

先日も知っている人で、ある日突然普通の生活を失った人の後日談を聞いた。

聞けばまだ四捨ではなく、五入した側のアラフィフの人なのに杖をついているというのだ。

腕っぷしが強かったその人に僅か二年で何があったのだろうと空恐ろしく感じる

よく言われているように人生は崖だなと思ったのだけれども、崖を這い上がるのは時間がかかり労力が必要だけれども、落ちるのは本当にスカイダイビングのようで一瞬で加速しながらもう戻れない地点まで落ちていく

これは何も他人事ではなくて、明日の俺でもいつ起きてもおかしくはない話。

その当事者になったらどうにかするしかないし、足掻いて足搔いてどうにかはするんだけれども、それでも右を見たときに先ほどまで一緒に崖に張りついていたはずの人がふと視線を外した瞬間にいなくなっている神隠しは、自分が当事者であってもおかしくはないホラー話だなと思うのだ。

だからこそ、崖から足を踏み外した時に落ちすぎないために、セーフティーネットを自ら事前に張っておかなければならない。

そんなわけで、自らの落下リスクに備えてやれることは全部やると俺は決めている。

その中、ふと思ったのは文明の利器以上に世の中便利な言葉が発明され続けているなという事。

ちょっと前に流行ったKPIだのPDCAなどAIDMAなど妙に説得力のある言葉でその通りにしておけば間違いないなんて言われているビジネス用語が多かった。

けれども俺が知っている限りKPIを徹底しろという言葉にそのまま傾倒している会社でうまくいっている会社を見たことがない。

結果的にKPIという言葉を盲目的に信じている会社は望む結果を出せていない。

言い換えれば結果が出ない事はKPIを徹底していない事ではなく、別に原因がある。

にもかかわらず便利な言葉が独り歩きし、それこそ南無阿弥陀仏と唱えてさえいれば極楽に行けるというような一般庶民に分かりやすい初期の浄土宗のような教えが広まっていくことがビジネスの世界でも多いなと思ったのだ。

で、最近発明されたというかまた便利な言葉に格上げされたというのだろうか。

「再現性」という言葉がある。

これはねずみ講とかマルチ商法でも本質的だなと思うのだけれども、世の中売れる物は自分が欲しいものだ。

そして皆、一般的には自由な時間と自由な経済力が欲しい。

だからこそ、利益を得る方法を売るのが一番儲かる。

秒速で億を稼ぐ男の与沢翼氏が自己破産したなんて言っているが、漫画闇金ウシジマ君のネタでも出てきたように、この方は儲かる方法を人に売ることで儲けていた、

当然、一番最後に儲ける方法を買った人は儲からないんだけれども。

でその儲ける方法によく出てくる魔法の言葉が「再現性」だ。

誰がやっても同じ結果に再現できる。

儲ける方法に付属している言葉としては非常に魅力的な言葉だが、「再現性」って蜃気楼だなと思うのだよな。

というのも、再現できる儲けるビジネスをそもそも売る必要ないよねと思うし、投資マンションの営業と一緒だ。

本当に儲かるならそこの社員が自分でその投資用マンションを買う。

一般的に考えれば、儲かるビジネスのノウハウを売って競合を自ら作り出すって自殺行為だ。

にも関わらずこの蠱惑的な言葉を求める人は多い。

でも違うよな、ビジネスが成功した人のうちのほとんどが多分違う分野で再現できない。

いや同じ分野でも後発組みとなっては再現できないだろう。

上手くいった時とは状況が違うから。

上手くいった人はやったことがたまたま当たっただけで、実力でもなんでもなくほぼ運だ。

計算しつくして、狙いをつけて成功する人なんて皆無に等しい。

けれども、実際には世間的にはすごい結果を出した凄い人として認知されるのは結果がたまたま出たからなんだよな。

以前にも記載したゲーム「信長の野望」が何故信長の野望なのかと言えば、織田信長が結果的に天下を取る寸前までいったからだ。

これが最初の桶狭間の戦いで負けていたり、織田信行や柴田勝家に織田家の実権を握られてしまっていたら、多分義元の野望というゲームになっていたはずで、織田信長の評価はかなり低いものになっていたはずだ。

能力があるから結果が出るんじゃない、

結果が出たから能力があるとみなされるのだ。

そう考えると、ダーウィンの本当の説が現代社会でも正しいと思わされる。

一般的にダーウィンの進化論では、最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者であると説いていると言われてきた。

しかし、実際にダーウィンが言った進化論は結果的に進化して当時の環境に適し、かつ偶然捕食されなかった者が生き残って進化が継続したとされている。

つまりは「運が良い者」が生き残ると説いているのだ。

そう、大体我々は何かしらの納得のできる理由を見つけ出したがるけれども、それは結果に対しての後付けの理由を探しているだけで、求める結果はたまたま偶然で起きるのだ。

だからこそ、ビジネスも当たった人の大体は、たまたま当たったわけで深謀遠慮があったわけではない。

決して天才でもないし、きっと我々と大して変わらない。

そうなると一挙に便利な言葉である「再現性」という言葉が正体を現す気がしないだろうか。

張り子の虎というべきか。

海岸の砂上の言葉というか。

そう前提に立つと、たまたま偶然が起きる機会を増加するのが本当の正攻法なんじゃないかという気がしている。

個人的にはユルスイングと呼んでいるが、フルスイングでは疲弊してしまい、当たるまでバットを振り続けるには心も体も持たない。

だからこそ、緩くバットを長くたくさん振り続け、たまたまボールがバットの芯に当たるのを待つのが一般人における真の正攻法なんじゃないだろうか。

アンジェリカがカバーした曲に映画でも有名な「戦場のメリークリスマス」がある。

この歌詞にはっとさせられたのだが・・・

「今日もまた幸福を待つ行列 神様 私には順番は来るのかな」

という歌詞がある。

そうなんだよな、たまたまの偶然を待つのが正攻法

でも同じ待つにしても1つの列で待ち続けたら順番は来ないかもしれない。

それこそディズニーランドのファストパスのように、同時にたくさんの列に並べば、どれかの列では順番が来るかもしれないのだ。

だからこそ、ゆるくバットをたくさん振る、たくさんの列に同時に並ぶ。

再現性などという蜃気楼にオアシスを求めては駄目だ。

オアシスは自分で探すもんだ、同時多発的に。

偶然の当たるかもしれない機会を数多く得る事

それ以外に一般人に安全域に到達できるような成功は起こりえないのではないかと個人的には思うのだ。

再現性は疑った方がいい。

稀有な能力を持つ人間以外のすることはすべては偶然の産物と言えるかもしれない。

だから手数なんだろうね、実行の。

そして世の中の9割が実行しない。

そりゃ、順番は回ってこないよなと。

今の俺にすべての行動の意味を持たせるとしたら、この偶然の打席に立つ機会を数多くすることなんだろうな。

「再現性」という言葉にそんなことを思わされた。

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