プロフェッショナル酔っ払い道

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こんにちわ、地下鉄吉野町駅最寄りのカラオケBARキャビーヌの中島です。

 

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こんにちわ。

地下鉄吉野町駅近くのカラオケスナック「ミュージックパブキャビーヌ」の中島です。

さて、自称俺はプロの酔っ払いなのだけれども、世の中にはアマチュアの酔っ払いもいれば、酔っ払いの名人もいるし、酔っぱらい方を極めた酔っ払いマスターも存在するだろう。

元々はプロの酔っ払いという言葉を使い始めたのは、もう他界してしまったが作家の藤原伊織氏が「テロリストのパラソル」という作品で主人公が放ったワンフレーズだった。

この作品は史上初同一作品で直木賞と芥川賞を受賞した作品で、藤原伊織氏の短編を読んでからはこのテロリストのパラソルを含めて、すべての作品を俺は読んでいる。

どれもかなり面白く、今でもお勧めだ。

そして、自分自身をプロの酔っ払いと名乗りを上げるようになってからは、プロの酔っ払いたるにはどうすべきかなんて考えながら一人で飲み歩くことが多かった。

そのため、自称ではない本物のプロの酔っ払いを探してはBARとかで一人で飲んでいた。

今では大分プロの酔っ払いの段位を上げてきたとは思うが、それでも敵わないと思えるほどの酔っ払いの名人を二人見たことがある。

正直、俺の勝手な主観だけれども、下戸は別にして、大人の男性が酒の飲み方ひとつ知らないで社会を生きるのはとてつもない違和感がある。

独学の我流のプロの酔っ払いの心得だが、これは正直ビジネスにもお店の営業も同じだと思うのだ。

それが過去にも記載した近江商人の三方良しだ。

酔っ払いの自分良し、お店(スタッフを含む)良し、他のお客さん良し

これがないと全体が楽しくない。

なので、プロたる酔っ払いの条件としてはまず「全員が楽しい」

これは必須だと思うのだ。

そして金払いはよく、綺麗に、かつお店の売り上げを考えて太っ腹に使い、支払が終わったらサッと帰る

もし太っ腹に使えない状態なら黙って自分が飲む回数を減らせばいいだけの話。

そして混んできたら他のお客さんに席を譲って自分が帰るか次の店に行けばいいし、隣の客が変なお客さんでなければつまらなさそうにしていたら、面倒でもちょっと声をかける等のその場全体を良くしようとするのがプロの酔っ払いなんじゃないかと思うのだ。

逆にアマチュアの酔っ払いだと自分が楽しければいいとか、何かを発散できればいいとか、自分の事しか考えずに飲んでいる気がする。

お酒を飲むと本性が出るとよく言われているが、だとしたらなおさら、自分の本質を研磨する意味でも酔ったときこそプロの酔っ払いになるべきだと思うのだ。

人は無意識のなかで、自分の行動がその場の常識にあっているのかを確認しながら行動していて、これを「現実原則」と言い、日頃は脳の自制機能が働いて、その場にふさわしい行動をとるように導いてくれる。

しかし、酒に酔うと脳が麻痺し、正常に作動していた自制機能が軟化してしまい、TPOをわきまえられなくなると言われている。

ただそれって人格として褒められたものじゃないなと思うのだ。

セルフマネジメントにもなるけれども、自制機能が軟化したときこそ人間性やメンタルが試されるというか。

で、俺が名人の酔っ払いだと思った人は俺よりも遥かに飲み方が綺麗だった。

元々はBARのカウンターの横に座った方だったんだが、この方は俺の母校共進中学校のお隣の蒔田中学校で俺の一つ年齢下の方

にもかかわらず、複数の会社の役員をやっており、毎日深夜まで飲み歩いている。

当然経済力があるので、店のスタッフへの飲ませ方や配慮もすごく、同じプロの酔っ払いとして敬意を払っていた。

正直、経済力ができたから飲み方が名人になったのか、飲み方が名人になったから経済力を持てたのかは分からない。

ただ、令和の時代に何をと思うかもしれないが、見ていて爽快な「粋」な酔っ払いだなと思ったのだ。

純粋に男として恰好良いと思えた。

逆に、ああいう風に飲めるようにならなきゃならないよなと自戒にもなった。

ある時、飲み屋街を歩いているとこの名人の酔っ払いを店の外からガラス越しに見つけたので、ふらっとその店に入り隣に座った。

で、色々話を聞いてみると昔はいろんな人に「2度とお前とは飲まない」と言われるほどの酒乱だったらしい。

ところが素面の時に会う人会う人にそう言われて、そうなんだなと自覚をし、そうならないように気を張って気を付けて飲んでいるうちにだんだんと酒乱と呼ばれることはなくなったそうだ。

その他者の言葉を聞いて、無意識の自分を疑えるという視点を持っていることを考えればこの方、やはり優秀だなと思ったのだ

でも酒乱が直るのと名人の酔っ払いになることはまた別の話。

なので、そのまま疑問をぶつけてみたところ、昔普段飲んでいる飲み屋さんで旦那と呼ばれていたこれまた「粋」な酔っぱらいがいたそうだ。

この旦那の方は毎日たくさんの五千円札を持ってきて、ご縁がありますようにと1杯飲んで5千円置いて次の店に行くらしい。

その姿に「粋」を感じて、旦那のような酔っ払いにならなきゃいけないとこの名人の酔っ払いは思ったそうだ。

それを聞いて、俺がこの名人の酔っ払いのようにならなきゃいけないなと思ったのと同じだと感じた。

結局、酔っ払いにもグラスを合わせることで暗黙の師弟関係ができていたりするのだよな。

昔の職人じゃないが、見て盗むというか。

だからこそ、名人の酔っ払いと出会えるような酒場に常時行けるようにならなきゃなと感じるだ。

自分より客層の悪い店に行って、プロの酔っ払いとしてその場を楽しむのもいいかもしれない。

安心感を買いに行っているようでちょっと浅ましさを自分に感じなくもないが、それでも学びには間違いの否定をする事もあるし、そちらの方が正解に近づくスピードは速い。

でも正しさも見ておかないとと思うと、やはり名人の飲み方を見るべきだとは思うのだよな。

そして、その名人の酔っ払いが増えれば全体的にプロの酔っ払いも増えていくと思うのでいいとは思うけれども、名人は名人が集まる店に行くんじゃないかと思うしな。

もう一つ名人の酔っ払いが言っていたことで記憶に残っているのが、俺は店のスタッフになるべく飲ませてあげれば店の売りも立つし、そのスタッフの顔も立つと思っていた。

けれども名人は、それは美しくないと言っていた。

何故かを聞いたところ、客からの一杯をスタッフは断れないから無理に飲んで体を壊すかもしれないし、そうなったら元も子もない。

だとしたら、無理に飲ませずお釣り置いていくよくらいの方が良いというのだ。

確かに一理あるなと思う反面、俺は自分の飲食店ではお釣りは必ず返すしなと思って、それをそのまま話したら、その場合はまた来るねと言ってお釣り受け取って帰ってまた行けばいいんだよと言われた。

正解なんてものは無いんだろうけれども、名人レベルの酔っ払いになるバランスが難しいね。

それでも名人レベルの粋な酔っ払いでありたいと願うのはただの俺のエゴなのかもしれない。

逆に、仲間内でも場の空気を壊すような事をしたり言ったりするアマチュアの酔っ払いを見ると、メンタル弱いというか無粋だなとどうしても敬意を払えなくなってしまうのは俺の価値観の押し付けなのだろうか。

よく見かけるのが酔うといかに自分が凄いかを話す人とか自分がどうかなんて自分の話ばかりをする人なんかが多いが、これも全体を楽しくという意図を持っているとは思えないのでプロの酔っ払いとは呼べないよなと思うのだ。

名人の酔っ払いもそんな自分の話は一切せずにエピソードトークが上手い。

人の興味を引く話のチョイスや実体験が凄いんだよな。

俺自身もプロの酔っ払いにとどまらず名人の酔っ払い、酔っ払いのマスターを目指さねばとか思わされるのだ。

いつかプロの酔っ払いを育てる側の飲み方ができるように。

2日休肝日を作ったらふとそんなことを思わされた。

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