探し物は存在自体が幻なのかもしれない

営業マン飯2024年
ご挨拶

こんにちわ、地下鉄吉野町駅最寄りのカラオケBARキャビーヌの中島です。

 

著書

私の営業に関する本をkindleで出版しました!!

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骨董品収集となんら変わらないのではないか。

ふと、そう思わされた。

言ってしまえば、超人気長寿番組であるテレビ東京の番組「開運!なんでも鑑定団」のようだと感じた。

実際にはそんな特集はないだろうけど、「やっちまったお宝スペシャル」みたいなイメージだ。

何の話か?

それはここ最近探し求めてる最強の坦々麺探しの話だ。

カレーもそうだけど、坦々麺もこれは美味いと思う最強の坦々麺を見つけるのが難しい。

友人との会話で、現状のカレー最強は珊瑚礁カレーか神保町のボンディと結論づけているが、最強の坦々麺が現状だと弘明寺の「まえたん」だとするともう少しあるだろうと思ってしまうのだよな。

そんなわけで、仕事で相鉄線に乗り換える前に坦々麺を求めて横浜のベイシュトランの「彩龍」という中華の店に行ってきた。

ネットで調べて画像にそそられて、胡桃ペースト入りの坦々麺と言う説明に惹かれた。

場所が場所だけに坦々麺一杯で2500円と言う超強気価格だったけれども、満足できるならやむを得ないと仕事帰りに寄った。

したらば、まさに骨董品の鑑定と同じだった

「非常によくできていますが、贋作ですね。」

そんな鑑定士の言葉が思い浮かぶ

もちろん、美味しいは美味しいのだけれども、この価格でリピートするかと言われれば首を縦には振れない。

最初の一口は美味いと思ったんだが、薄味で舌が濃度に慣れると単調な味になり飽きてしまうのだよな。

よく考えれば、美味いと思った麺類って、最初濃すぎて「あれ、これそんなに美味いって思ったっけ」と記憶と現実に最初は大きな乖離があるのだけれども、その高い濃度の味に舌が慣れると隠れていた味に気づき、後味が変わって美味いのだよな。

一般的に美味いと言われる物は単調なワンパターンの味ではなく、後味が変わる物が美味いと言われてると俺は思う

だけれども薄味だと慣れた後の後味が表現できないのではないかと思ってしまったのだ。

食べている内にこれは俺の求める「担々麺」ではないと結論付けた。

納得がいかず、夜も近所の中華屋で「担々麺」

こういうのは畏まったところよりも地元の中華の方が美味しいのではないか。

そんな思い付きで担々麺を頼んだら・・・・

でてきたのはこれは本当に「担々麺」なんだろうか?と疑問に思う担々麺

ただのラー油ラーメンじゃないか?

味はもちろん不味くなないんだけれども、担々麺として成立していないと思ってしまった。

胡麻の味もないし・・・・

手に入らなければ入らないほど燃え上がるのが人間の求める気持ち

翌日もわざわざ横浜駅に行き、ポルタ地下にある匠(ジャン)ということろの担々麺を食べに行った

休日の昼飯時なのに並ばず入れた事に一抹の不安を感じたが、ネット検索で上位に出てきた3つの内の一つ。

クルミペースト担々麺は違ったが、これは大丈夫だろうと思ったが・・・・

普通に美味しい

それ以上のそれ以下の感想もでてこない。

これなら目の前の「舎鈴」のつけ麺にしておけばよかった。

それにしても、担々麺ってこれほどまでに探すのが難しいものなんだろうか。

担々麺は石ころよりも溢れていると思っていたけれども、美味い担々麺はダイヤモンドより見つからない。

シャ乱Qの大ヒットソングの歌詞が思い浮かんでしまう。

ううむ、カレーも担々麺もありふれていると思う物から逸品を探すってのはこれほどまでに難しいのか。

骨董品の本物を手にするような感覚と同じで贋作だらけの世界だなんて思ってしまった。

さて、本を出してから約5日後の事

アマゾンのkindleパプリッシングというところで自分の本のレポートが読める。

画像がそれなんだけれども、注文数は4人が買ってくれたということ。

既読 KENPCというはkindleアンリミテッドに入っている人が俺の本のページを読んでくれたページ数だ。

合計ページ数が240くらいとアマゾンで表示されているので、既読 KENPCが729ページという事は少なくとも4人以上が読んでくれている。

注文が4なので合計8人以上は俺の本のページをめくってくれていると言う事なのだ。

まあ、ド素人で広告もしなければかなり良い方の結果の部類だと思うが、歯科医師対象に宣伝して自動営業ツールにしてやりたい。

著書に俺の代わりの営業をしてもらうのだ。

上手くいくかどうかは分からないけれども、1000回に1回上手くいく道具を1万個持っていれば、ほぼ入れ食いで自動営業ツールとなる。

まずは仲の良い先生や代理店に紹介してみてどうかだよな。

そういえば、友人がわざわざ出版祝いとしてマッカラン12年のダブルカスクをお祝いにもってきてくれた。

全く想定外だったので感謝しかない。

俺の自己満足に付き合ってお祝いとかされると嬉しいけれども、俺に何が返せるかなとか思ってしまうのだよな。

そんなわけで、本もようやく出版で来たので次のやりたい事に着手しようと思う。

メインブログの方でも記載したが、俺はたまに年金ネットで将来の年金額の試算をすることがある。

これ登録がまだだったら即座に登録し、試算した方が良いと思うのだ。

出てくる数字を見ると目が覚める。

こんなの生きていけねえと本気で思うしな。

多分、もう会社員という生き方は最初からほぼ詰んでいる生き方なんだよな。

よく正規雇用と非正規雇用が問題とか言われているが、年金の想定金額見るとそういう問題ではなく、正規だろうが非正規だろうが悲惨のカテゴリから抜けられない。

「悲惨」か「もっと悲惨か」の二択に見える。

もちろん、一部上場企業勤めとかだとそうじゃないのかもしれないが、7割は中小企業なんだから悲惨コースなんだよな。

マジで年金ネットを早めに登録して計算してみた方がいい。

今の日本は自分で何かをしないと普通に生きる事すら許されない世界なんだなと思い知る。

本にも記載したが、俺は年収交渉して結果を変える事の出来る人に結果を変えてもらって、普通に生活するためには「これくらいは欲しいよね」と一般的にいわれている年収を超えることはできたが、それでも年金計算するとこんななの?となる。

40年支払ったとしても生活保護との違いが全く分からないものな。

うちのおふくろの今貰っている年金の方が俺の想定金額よりも高い。

逆に言えば会社員としての生き方以外のインカムがないとジリ貧中のジリ貧だ。

貯金はあまり意味がないと本気で思わされるものな。

高齢になってもお金を産み出すシステムを持っていないと、常に枯渇に怯えて暮らすことになる。

国が積み立てNISAを勧めているように、もう自助努力というか、自分で助かろうとする人以外助かりませんよと国が宣言しているものな。

60歳まであと20年弱

その間にやりたいことを収益化させないと俺も悲惨コースの登山道を登る事になってしまう。

もっとも尊く、最も難関である「普通」であること嫌いの俺が「普通の悲惨コース」になんか乗って堪るかよ思うものな。

人口減で日本の国力は落ちていくことが見えているのだから、どう考えても海外投資だよな。

会社の401KはS&P500にオールインしているので、積み立てNISAでインドのETFである「SENSEX」に早めに買い続けたいのだよな。

60歳になったら年金の繰り上げでもらって、それをインドのETF「SENSEX」で積み立てをし、後はどれだけ店と他の事で粘れるか。

繰り上げで年金をもらった俺の親父を見て思ったけれども、年金の繰り下げでもらえる金額が増えると言われているが、死ぬかもしれないし、推奨するって事はそうしないと困る要素が国にあるということだ。

だから確かな物は自らの手の平で掴んだ物だけと、繰り上げでもらうのが正解だと思っている。

何しろ決まった事が未来永劫守られるとは限らないのだ。

どうやっても無理になったら、守ろうとしても約束を反故にするしかなくなる。

よく金を借りる人と同じだ、嘘をつき、払う払うと言うが、実際は払えない。

無い袖は振れないのだ。

ということで、次は俺が自分の望む形の生存を続けるための「やりたい事」をやろうと思う。

何もしない奴には何も起きないが、行動は可能性を誕生させる。

可能性の誕生は、「期待」だったり「メリット」を与えてくれる。

どんな人間関係も突き詰めていくと、なんらかの価値交換が行われているものだ。

無償の人間関係なんてものは本質的には存在しない

子供に「可愛い」と思う感情を提供してもらっているのも一つの「等価交換」の形でもある。

何もしていないと人に等価交換できるような「価値」を持っていない状態に近づくのだ。

仮にどんなに素晴らしい人だたっとしても、ホームレスに自ら友人になりに行く人はあまりいない。

その理由はデメリットになるかもしれないリスクと、楽しいなどの感情の価値を与えられると思わないからだ。

無償のように見えても感情で価値を感じればその交換が行われるものだ。

だから、自らに付加価値をつけるため、次々と行動をし、可能性という「価値」を創出しよう。

そんなことを思わされる。

にしても、三国志の始まりの黄巾の乱ではないが、蒼天既に死すだよな

かつての日本はもう死んだ。

今あるのは国の亡骸のようなもので、歴史が繰り返されるように、バブルの良い平和な時代は邯鄲の夢と同じく一瞬の泡沫でしかない。

江戸幕府も室町幕府も鎌倉幕府も、藤原氏の貴族の時代も、恵まれた平和な時はあったかもしれない。

ただ、それは永遠に続くわけではない

生まれた時から恵まれていると、それが当たり前になり気付きにくいものだけれども、もう誰もが何も考えず、誰かが作ったシステムに乗っかって平和に生きていける時代ではないのだよな。

目を逸らさずに現実の数字を見るとそれがよく分かる

映画CUBEのように、気づいたら生き残るためのサバイバルゲームに放り込まれているんだよな。

映画のソウも同じだけれども。

「私はゲームがしたい」と気がつけば生存ゲームに強制参加させられている状況

でも、フィクションだとは笑えない

気づいていない人や、目を背けている人が多いだけで、現実だもんな。

幻覚は「幻覚だよ」と宣言してやってはこない。

目に見えているのに、心理的に見えない幻覚もあるよな。

正規だ、非正規雇用だなんて線引きはもはや意味がなく、普通に生きてけると言われていたルートが、自然災害のようなものでとっくに閉ざされているのに、過去の都市伝説のような噂が一人歩きして、まだ常識として遺跡のように残っているだけ。

行動に加速を

強制参加のサバイバルゲームに生き残るためにも本当にそう思わされる。

パチンコ台にもなったマクロスフロンティアというアニメの主題歌のライオンと言う曲のサビがリフレインする

♩生き残りたい、生き残りたい、まだ生きていたくなる♩

ホントだよな

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