偶然に導かれた俺はもしかしたら獏の女王と出会ったのかもしれない
以前にも記載したが、獏とは人の夢を喰って生きている伝説の幻獣で実在はしないとされている。
もちろん獏の食べる夢は人間のレム睡眠中に見る夢であり、将来の希望といった方の夢ではない
ただ、我々が生きるこの世界においては人々の未来の方の「夢」を喰らう獏が存在すると思うのだ。
我が亡父もその「夢」を獏に食い散らかされた一人だった。
そもそも「人の夢」と書いて「儚い」と書く
伝説上の生き物の餌になってしまうようなあっけない泡沫のような物が夢なのかもしれない
今から約20年前
2004年にみなとみらいで有名な桜木町駅は東横線の終着駅ではなくなり、今では復活したが、それまで賑わっていた野毛の町は静まり返っていた。
東横線が廃線になったことにより、東横線利用客が桜木町にやってこなくなり、人の流れが変わったことが原因だった。
まるで第二次世界大戦中の空襲警報が鳴らされた時のように、夜の町から次々と明かりが消えていった。
「野毛の街ももう終わりだな」
そんな言葉が交わされていたと思う。
ただ、「銀座」のように「野毛」という飲食街のブランドは横浜では強く根付いており、「銀座」に店を持つという夢を持っていそうな人がたくさんいると想像に難くないのと同様に、我が父も「野毛」に店を出すという事に、その意味を誇らしげに感じていたのだと思う。
東横線の廃線と共に撤退する飲食店も多く、「野毛」に良い条件で空き物件が出るようになったのだ。
父は「野毛」というブランドで店を出すことに夢を持っていたのだろう。
野毛に店を出しているオーナー
今の俺には全く理解できないが、その響きが父には甘美的でそれこそ誰もが振り返るようなアクセサリーを身に着けている気になったのだと思う。
父はそのブランドに飛びついて、野毛の柳通に初代スナックやまももを2004年にオープンさせたと思う
そして、2005年
学生時代の利息が膨らみきった怠惰のツケを俺は支払い続けていた。
三半規管に疾患を抱えているとしか思えない俺はまっすぐに前進することができず、すぐにふらふらと寄り道をしてしまう。
それは現実の物理的な話だけではなく、こういったネタでも寄り道をしてしまう俺は寄り道マニアなのかもしれない
怠惰で思い出したのが、ちょっと前にヤフーニュースで記載されていた記事で、共感できたのでそこに触れておきたい
その記事は「時間も労力もかけず、たくさんのお金を稼げる仕事」についてだ。
以下がその原文となる
このような仕事の正体とは、一体何なのだろうか。
言うまでもなくそのようなものは、本質的に存在しない。
しかし「より少ない手間で、多くのお金を稼げる方法」なら、きっと存在する。
「やるべきことは、今すぐやる」
「今やれることを考え抜き、やり尽くす」
そんな原則を徹底すること。おそらくそれが唯一の解なのだと、信じている。
喩えるなら、掛け算の勉強よりゲームが楽しいと放置してしまい、3年生になってしまったら、割り算についていけないようなものだ。
そこで慌てて掛け算からやり直し、割り算も学ぼうとしても、絶対に2倍の苦労では済まない。
目先の楽しさや気楽さを選んだら、多くの場合、利息を伴う「人生の借金」になってしまうということである。
その一方で、「人生の貯金」とはたくさんの経験を先取りし、許されるうちに多くの失敗を経験し、たくさんの人と出会い、別れを繰り返すことなのだろう。
それは時に、大きな心身のストレスを伴うものになるが、必ず貯金になって生きてくる。
だからこそ、学生には「心身ともに楽勝な仕事」を選ぶのではなく、居酒屋の揚げ場やワカメの収穫のような修羅場にこそ突っ込んでいって欲しい。
上記なのだが、まさに最近の俺が思う事そのものだなと思ったのだ。
何でもやるは人生の貯金だ。
逆に言えば、何もしないは人生の借金
そんなことを思わされながらも、上記で言う「人生の借金+利子」まみれだった俺は、コンビニで売っている不二家のお菓子、「カントリーマアム」の「チョコまみれ」のように「ぬぅ~ん」とか言っていたんじゃないかと思う。
そんな「ぬぅ~ん」な状態の俺は最初の会社を退職し、スロプロをしながら土日の昼間父の店のスナックやまももで競馬の中継を放映してコーヒーを出す競馬喫茶のようなものをやっていた。
当時はビッグローブのホームページを更新しており、再度大分横道にそれるが、当時26歳だった俺のやまもも日記を抜粋しようと思う。
やまもも日記(2005年5月29日記)
時刻は14時。
本日は競馬の祭典日本ダービー
競馬場には11万人を超える観客が訪れる。
しかし、我が「やまもも」には・・・・
そんな競馬ファンの姿を目にすることが出来なかった。
残り1時間、なんとかお客さんは一人でも来てくれるだろうか?
前日、友人が気を利かせて来てくれたので、感謝の気持ちは大きい。
先ほどから、店の前を通る人の数はかなり多いが、そこに「やまもも」という店が存在していることを知っているのは誰もいないのではないかと思われるほど・・・・
無関心に足早にと通り過ぎていく。
お客さん用にと炊いた白米と味噌汁の湯気が一層俺を悲しくさせる。
折角の準備も・・・
また台所の流しの隅へと垂れ流されるのであろうか?
経費ばかりが増えていき、一向に伸びない売上。
腐らない・・・・
俺は腐らないぞと呪文のように呟く。
時刻は15時・・・
残り1時間でダービーは始まる。
この時間に誰もいないことはかなり絶望的であったが・・・・
俺は希い(うすい)可能性をただ、ただ信じるだけだった。
今にも・・・・・
やまももの扉がカランと音を立てて開き・・・・
何人もの馬券師達が店に入ってくるのではないか?
幻想のような望みを持ち、俺は待ちつづけた。
既に俺が作った味噌汁もその温もりを失っている。
もし・・・・
これが望まれるのであれば、温めなおさなければならないな。
しかし、そんな懸念は不要だった。
その「やまもも」で作られた味噌汁は誰からも必要とされることなく・・・・
台所の流しへとその姿を消した。
時刻は16時。
もう、メインのレースは終わり、静かな絶望が俺に訪れた。
来客数0人。
この俺の行動、時間、労力に対する完全なる否定。
俺はため息をつくと、店の看板を店の中へとしまい込んだ。
やまもも総営業時間32時間
やまもも総売上げ4200+0=4200円
時間あたりの販売価格約130円
(やまもも日記2005年5月29日分終)
今思えば、行動力もないしコミュニケーション能力も皆無だった俺は客が来ないのも当たり前だし、そもそも集客努力をしていない。
道楽に近いなと思うのと、真剣な商売じゃないと思わされる。
当時に比べれば今のキャビーヌ経営の方が遥かにマシで、自分自身も当時から比べれば前に進めているなと思わされるし、逆に今の俺なら結果を変えるための手段を多数持っているじゃないかと読み返してみて勇気づけられた。
さて、そろそろ本題へと戻ろう。
こうして、野毛に店を持つオーナーとなった父だったが、コミュニケーション能力や感情のコントロールに難を抱えてはいたが、本質的には善人だった。
悪意を一方的にぶつけられることはあっても、自ら先に悪意を人にぶつけるような人間ではなかったことは断言できる。
だからだろう、父は現世に生きる獏の存在など知らなかったのだ。
基本的に繁華街の地主という人種は獏であり、飲食店を出したい人の夢を食べて生きていると俺は思っている
家賃が高いこともそうだけれども、敷金や礼金で利益を取り、2年か3年ごとにある賃貸契約の更新料をとうてい支払えないような高い金額を吹っかけてくるのだ。
理由は簡単で、敷金礼金を新規契約者から取った方が儲かるからだ。
そうやって、次々と契約者を変えるようにして地主は利益を取る。
そこに出店した者の夢や希望や想いは除外される。
払えなければ出ていけ。
江戸時代にもありそうな、庄屋が年貢が払えなければこの家を貰おうかみたいに百姓に迫るのと同じだ。
東横線が廃線になってから客足が遠のいていた場所だったが、賃貸契約更新のタイミングでは人が戻っていたのだろう。
より条件の良い契約ができると算盤を弾いた大家は父に数百万円の更新料を吹っかけた。
多分、契約書のどこかに小さくでもその旨が記載されていたのではないだろうか。
店を出店し、集客も十分にならず、資金を使い果たしてしまっていた父はそんな金額支払えるはずもなかった。
野毛の店のオーナーになりたい
その夢を一瞬だけ叶えた父ではあったが、夢の続きは見ることができず撤退を余儀なくされた。
相当に悔しかっただろうなと想像がつく
獏に夢を喰われたのだとその話を聞いた時に俺は思ったのだ。
そしてそれは伊勢佐木町あたりでもよく見かける話で、頻繁に飲食店が入れ替わる。
繁華街の人通りを見て、内装やインテリアに資金を投じ、バラ色の未来を思い描くのだが、待っているのは数年後に不可能とも思える更新料の請求による強制撤退
中学生時代の同級生がやっていた伊勢佐木町の「アジト」という店も今年看板が変わっていたし、おそらく我が亡父と同じ経験をしたのではないだろうか。
そして先日の事、その父の夢を喰らった獏の女王なのではないかと思える人物と偶然に導かれ出会ったのだ。
ここのところ、食事に贅の限りを尽くしていた俺だったが、流石に再度絞らなければと「ゆで卵」ばかり食べていた。
しかし、夜になるとどうにもこうにも空腹に悩まされる。
何か美味しく食べれる糖質のないものはないかと俺は家を飛び出した。
そして考えた結果、「おでん」しかないと結論づけた。
そこでネットで検索し、「野毛八」というおでん屋さんに向かう事にした。
「おでん♪おでん♪」
と夕食に好きなおかずが出てくることを告知されている子供や、おそ松くんに出てくるキャラクターの「ちび太」のように口ずさみながら足早に向かう。
ところがドスコイ
リバウンドした肉体が思わず言葉を発する
「野毛八」は思いっきり、消灯しておりまさかの閉店かと思いきや店休日だった。
仕方がなく近隣の他のおでん屋を探す。
比較的近そうなところにあったのでそちらへと向かった。
昔中学生時代の同級生がバイトしていたBAR無頼船の前を通り、向かっていく。
そしてグーグルマップが指し示す通り歩いていくと・・・
そこは・・・・
やまももの跡地だった。
その隣におでん屋がある
「兵どもが夢の跡」と言わんばかりに、父の夢の破片が散らばっていた。
俺はそのおでん屋の扉を開いた。
やまももの扉はあんなに開くことなかったのになと苦笑しながら入る。
そして、糖質とは無縁でいることのできそうな、昆布、大根、白滝、厚揚げ、こんにゃくとチョイスしていく。
ビール単体なら太らないと自らの肉体で「進化の秘法」を使い試したので、急に「グゴゴゴ」とか言いだしそうになっているがビールを注文
そして女将さんが話しかけてくるので相手にしていた。
抹茶杯を頼み、少し落ち着いたところで昔隣で父が「やまもも」という店を営業していた話を振ってみた。
すると、女将さんはよく覚えていて月日が経つのが早いとかありがちな話になり始めた。
ところがだ
映画の初代エイリアンのように、父の「夢の腸」を食い千切って現れた獏を思い出していた俺は違和感を感じる言葉を耳にする
うん?ちょっと待て、それって・・・
何でも女将さんは平成6年の1994年からおでん屋をやっており、父のお店が平成16年から開店していたわよねと言うのだ。
よく覚えているなと思ったまでは良かったのだが、最近は遅くまでやっていても飲まないし食べないで居座るお客が多いからすぐに閉めちゃうのと言っていた。
そして週に3回は休んでいて営業時間は遅くても21時までしかやっていないのと。
カウンターの内側にはスタッフが女将以外に二人いる。
席も満席と言うわけでもなく、食事も安いとは言えないが高くもない。
それで、30年近く今は無き「やまもも」の隣でお店をやっているって、どうやって更新料と家賃を払っているんだろうか。
覚えていないだろうと思っていたことを詳細に覚えていることも含めて違和感を感じた。
もしかして、この女将はわが父の夢を喰らった獏の奥さんなんじゃないだろうか?
つまり獏の女王なんじゃないか?
そうじゃなければそんなに吹っかけられた更新料をその短い営業時間で賄いきれるはずがない。
無論、俺の誤解で純粋に大家が、コミュニケーション能力の低い父を疎んじて、父にだけ吹っかけた可能性も否定できないが、そんな温い営業スタイルでコロナを乗り切って潰れないということは何かしらの優遇措置を受けていると考える方が自然だ。
もしかしたら、偶然に引き寄せられて父の夢の仇とも言える獏の妻、獏の女王に出会ったのかもしれない。
そんなことをふと思わされたのだ。
でもおでんは美味かった
しばらく主食はいろんなおでん屋にするかもしれない
でもって残りの画像は先日いろんな人から聞いて美味いと聞いた「はま紅葉」のつけ麺
雀荘のスタッフ、美容師、店のお客さんと3人からつけ麺ならここと言われたつけ麺屋さん
場所は京浜急行日ノ出町駅から伊勢佐木町のドン・キホーテに向かって歩いていくと、右手にネットカフェの「まんぼう」がある
そのマンボウの手前の小道を右折すると左手にでてくるのが「はま紅葉」だ。
注文してから作り始めるため、回転率はちょっと遅く、着丼するのに10分以上かかる。
食べログでも3.5以上と期待できる評価
言われている通り、つけ麺はちゃんと美味しかった。
やはり好みがあると思うのだが、どうしても一番の好みは蒔田駅近くの「つけ麺はるき」のつけ麺か横浜のポルタ街にある「舎鈴」が好きなんだよな。
もう一つのラーメン画像もラーメン屋ならココといろんな人に聞いた「黄金家」
黄金町駅付近にある家系ラーメンだ
ホウレンソウに拘りがあるのかトッピングするとホウレンソウが確かに美味しい。
ポパイもびっくりしてパイプをかみ砕くレベルかもしれない。
複数の人が推すここのラーメンももちろん美味しかった。
食が難しいのが自分の好みがわかれる事なんだろうな。
最近だとラーメンは日ノ出町駅前のローソンの横の「THE味噌」が一番好きかもしれない。
相模原の貝ガラ屋の「カキソバ」か町田の北海道ラーメンおやじの「タンメン」が一番ラーメンでは好みではあるのだが。
近日熱海に行くのでそこで教えてもらった「ロフト」という店の「タンシチュー」にトライするのが目下の楽しみだ。
一緒に行く友人達には内緒で少々早めに行って抜け駆けで一人だけグルメしてやろうと思っている。
これ読まれてバレるかもしれないけど
にしてもグルメの抜け駆けって何故にこうもそそるんだろうな。
俺だけが知っているという優越感なんだろうか。
食がもたらせる選民意識と言うのだろうか。
お店の開店時間と駅到着時間を早めに調べなきゃな、抜け駆けグルメをするために
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