こいつはアヌビスの天秤だな
ふと思わされた。
「アヌビス」とはエジプト神話に登場する冥府の神で、人の体に犬の頭をもつ特徴的な姿をしている神だ。
よくヒエログリフ(エジプトの象形文字)で説明されている天秤を持った神だ。
アヌビスはその「ラーの天秤」を使って死者の魂を裁くとされており、天秤にある2つの皿のうち、片方に死者の心臓を、もう片方には正義の女神「アマト」の羽根を置き、「アマト」の羽根よりも死者の心臓が重かった場合、罪があるとしてミイラからの復活を禁じられたという話だ。
そして、時には他人事だった事象は突如自分事として向き合わざるを得なくなるときがあり、その時における選択がアヌビスの魂の天秤にかけられたときに真価を問われることになるのかもしれない。
シェイクスピアのハムレットの一節のように、「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」と選択の連続性は常時我々にも起こり得る。
「すべき」か「やらざるべき」か
兆しは以前からあった。
そして、それは白黒つけてはいけないグレーな話であるべきなんじゃないかと思っていた。
男性同士では理解できない事も多いが、世界にはYESかNOかで聞いてきているのに、YESかNOでは答えていけない「問い」が存在している。
それと同様に、はっきりと白黒をつけ、解決しようとしてはいけない問題もこの世には存在しているのではないかと思わされている。
しかし、その発想自体がもしかしたらアヌビスの天秤に心臓をかけられたときにその重さを加算させるものかもしれない。
ただ、俺は自らの保身のため、見て見ぬふりをし続けていたのだ。
ところがだ、その行為は天秤にかけられたときに己に降りかかってくる災いの可能性があるのかもしれない。
自らの保身のため、詳細はぼやかすのだけれども
1~2か月に1度くらい、集会というか同じ場所で顔を会わせる事がある女性がいる。
年齢的には30代でネイルもしており、女子力も高めな女性だ。
ただ、以前からだが、時折・・・・
無意識だろうが「絶望」の存在を俺に証明してくるのだ
そう、綺麗にしているのに・・・・
その綺麗にしている女子から・・・・
ほんのりならぬ、がっつりと加齢臭が漂ってくるのだ。
女子力高めなそれなりに努力している女性にから漂ってくるまだ現役の女子の加齢臭
世界は努力だけでは満たされない残酷な世界なのだと思い知らされる。
しかし・・・・
それだけでは俺に直接的な実害はほぼない。
常識的に自分の事だけを考えれば、「言わざる」がすべて丸く収まる
ただふとアヌビスの天秤を思い出してしまったのだ。
自らの保身で、伝えた方が本人のためであることを伏せる事
こいつは俺の心臓の重みを加算させるのではないかとか余計な事を考えてしまったのだ。
というより、そういうセンシティブな内容は家族が伝えろよな
そう思ってしまったが、シェイクスピアのハムレットのようになっている。
言うべきか、言わざるべきか、それが問題だ。
ただ、本人のためと考えても俺にメリットが皆無でリスクが大きすぎる
考えてもみてほしい
女子力高めの女性の加齢臭に気づいてしまうこと自体がこの現代の世の中においては大きなリスクで、なんとかハラスメントと捏造された罪というか、作り出された罪にされてしまう可能性があるのだ。
呼吸をしているだけなのに、まるで、俺がその女子力高めの女子を「クンクン」しているように決めつけられてもおかしくはない。
もう、その時点で伝える事のリスクが甚大だ。
相手の為を思って伝えても、一転して、返す刀で「匂いフェチのセクハラド変態野郎」の称号を得てしまうかもしれないのだ。
なんたる理不尽
善意は時として身の災いとして降りかかるのだ。
仮にナチュラルさでそこを回避したとしてもだ。
相手の為を思って伝えて相手に嫌われる
ましてや女子力高めの女子
当然影響力はそれなりにもっているはず。
そうなるとその女子が所属するグループ内でもそれによる感情の共有が行われ、良かれと思って伝えた事によって徒党を組まれて嫌がらせを受ける可能性もあるのだ。
これもかなり理不尽な話で、そのリスクを背負ってまで相手のためにすべきだろうかと思えてしまう。
誰も得しないと思うものの、本質的には相手のためにはなるんだが・・・
それをちゃんと咀嚼してくれるとは限らない。
蛇に足を描く行為でしかないかもしれない。
となると、やはり「伝えない」が無難なのだが、直接伝えるから駄目なんだと婉曲的な方法を考えるが、男性になら良いのだけれども、女性は男性より察しが良すぎるため、結局悪意に捉えられる可能性が高い
なんとなくネタで話している感もあり、人に話すと、無責任でいられる人々からは絶対に伝えるべきだと面白がって言われる。
いやさ、そりゃ、俺でも無責任でいられる立場であればそう言うよ。
触らぬ神に祟りなしで考えれば「言わざる」の一択なんだけど。
いきなりファブリーズかけろとか、これ俺の好きな香水なんだよねとかいって渡せとか、人からのもらい物と言って使わないからと消臭剤あげろとか
どう考えてもどれも駄目だろ。
いきなりファブリーズかけたら、悪意でしかないし、むっちゃ怒られるわ
「俺の好きな香水なんだよね」も自分の彼女ならいざ知らず、1~2か月に1度くらいしか会わないような関係性でやったら、超キモイ野郎になってしまうではないか。
人からのもらい物の消臭剤をあげるのも、なんでこいつは私にこれを渡してきたんだろうと考えると優しさとは思われず、馬鹿にしているとか悪意に捉えられてもおかしくはない。
伝えるって難しいね。
関係性に拠るところも大きい
結局、これも今の俺と相手の関係性においては解決しようとしてはいけないのだ。
手に負えない100戦100敗の戦いになってしまう。
グレーで白黒をはっきりとつけてはならない状況なのだ。
伝える事は本質的には本人のためなのかもしれないが、その本人のために行う行為と結果の差し引きはとても算盤に合う物ではない。
諺で言えば小利大損 ( しょうりだいそん )だ。
「小さな誰かのため」に「大きな自分の何か」を失う。
こうしてまた、俺の保身による沈黙でアヌビスの天秤に載せられたときの罪をひとつ重ねてしまうんだろうな。
さて、そんな小ネタの後、画像は先日蒲田付近の新規営業先のマグロ丼
駐車場に止めて、商談前になんのランチにしようかと思っていた。
すると、目の前にマグロの店があり、そこに結構ランチを求めるサラリーマン達が吸い込まれて行った。
もう少し様子を見ていると、満席なのか外で並ぶ客と満席で諦めて引き返す客がいる。
うん、結果的にこれだけ客が来ているという事はそれなりに期待できるはず。
そう思い入店
サービス品が漬け中トロだったようだが、まさかの完売
致し方なく、中トロとマグロ丼を注文。
見た目通り、歯ごたえもしっかりしており、味もちゃんと美味しい
是が非でもリピートをとは思わないけれども、近くに寄る事があれば漬け丼を試してみたい。
そして、もう一つは無性にカレーが食べたくなり横浜駅のポルタで食べた「上等カレー」
関西系らしく、インディアンカレーや日ノ屋カレーに似ている。
最初甘くて、後から辛さがやってくるタイプだ。
無論、美味しいんだけれども、そう考えると日ノ屋カレーって凄いなと思わされる。
関西系のこのタイプのカレーなら十分だもんな。
ただ関西系ならインディアンカレーが一番好きかもしれない。
にしても横浜駅のポルタって意外に侮れないんだよな。
舎鈴の「つけ麺」もあるし、それなりに美味しい店も多い。
今度、じっくりと隠れた名店がないか探索してみようかと思っている。
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