凱旋するお腹

営業マン飯2024年
ご挨拶

こんにちわ、地下鉄吉野町駅最寄りのカラオケBARキャビーヌの中島です。

 

著書

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「故郷に錦を飾る」と言えば聞こえがいいし、「凱旋」といっても聞こえが良いだろう。

「立派になったねぇ」

おばあちゃんがしみじみと言うように、最近俺は人によく言われる。

シチュエーションとしてはそれこそ冒頭のワードが使われるときによく言われそうな言葉ではある。

しかし、俺の場合はちょっと勝手が違っている。

どういうことか?

皆一様に俺の顔を見て言うのじゃない。

皆、越後屋と化してお代官様に「お主も悪よのう」と言われるほどまでに肥やしに肥やした俺の私腹を見て言うのだ。

痩せなきゃな・・・

月曜から夜更かしのフェフ姉さんがキックボクシング始めることになったときのきっかけと同じセリフを言わされる。

そう思うものの、画像のように美食の限りを尽くしてはなかなか難しいよね。

最初の画像はいつも「おせち」を買ってるハナビシさんに行ったときのやつ。

「見てくれこの刺し、見てくれこの色、これが関内期待のハナビシさんだ」

と遥か昔のテンポイントの競馬実況をする杉本清みたいになってしまう。

というかこの寒ブリの刺しの色、やばくない?

堪らないし、口に含むと目がバッテンになるくらい美味い。

溶けるんですよ、そしてこんな刺しでやってしまったブリの塩焼き、これもね本当に美味い。

そりゃ俺の御腹も肥大化するわな・・・

「御腹召しませ」とか、やたら自分の保身のために切腹を旦那に勧めてくる奥方の話をなんとなく思い出してしまった。

思わず検索したら『お腹召しませ』(おはらめしませ)は、浅田次郎による日本の短編時代小説だそう。

「続きましてぇ~は」と算盤の出題のようになりながらも・・・

いつもの崎陽軒の常務をうならせた大将の「しゅうまい」とウニクリームコロッケ

そして静岡で契約が決まった歯科医院さんに教えてもらって食べた金ときという食堂の「腹ミステーキ」

一応断っておくけれども誤字ではないよ?

静岡にしては割高だったが、まあまあ美味しかった。

そして、友人と言った生麦にあるマグロ屋でマグロ三昧

マグロカツサラダも美味かったけれども、やはりトロしゃぶだよね、グッとくるのは。

西新井にある「トロしゃぶ一心」は最強だなと思いつつも、やはりマグロのトロをしゃぶしゃぶするとこれまたどこでも美味い。

どうもカマトロと記載されていたのでマグロの頭の部分なんだけれども、これもちょっと筋のような食感を含め、癖があって美味いんだよね。

「こりゃたまらん」と箸が皿を舞う

その様はまさにシャブシャブ用のマグロと箸とのワルツ

とかミスター味っ子みたいな事言ってみるけれども。

尻手にあるきりたんぽの「なまはげ」ももう一回行きたいんだよな。

あの店はなんでも美味かった。

けれども川崎市民ですら尻手駅に降りたことないと言い切られてしまうほどの都心の中の秘境

それが尻手駅なんだよな。

その秋田料理の「なまはげ」に再訪したくてしかたない。

さて、たまには構成を変えて、ネタ→飯から飯→ネタなんだけれども・・・

こないだ久しぶりに契約した診療所から自分発のクレームを受けた。

と言っても、結局その人の保身と言うかサラリーマン的なポジションを守るためのパフォーマンスで作られたクレームなんだけれども・・・

俺に対してのクレームの主は実際に診療をするわけでもなく、お金を払うわけでもなく、俺の会社の製品を使うわけでもない事務方の老人なんだが・・・・

縁故で入ってきたそのポジションにいるため、仕事ができないし、頭も悪いし、歯科診療所の流れを何も知らない。

話せば話すほど現場を混乱させるのだが、結局その老人はまるで役に立たないむしろ邪魔になるが、そのポジションでお金をもらう立場と言う権利を放棄したくないのと、かつ仕事はできないけれども俺様を敬えと要求してくるのだよな。

いわゆる典型的な老害なんだけれども、皆が皆自己都合で生きているためそれは良いんだが、縁故のネットワークを持っている人にありがちな政治的な知恵は働くのだ。

あまりにもひどいのでちょっと言ってやったら、その組織で一番偉い人達を巻き込んで俺がとんでもない奴だなんて糾弾する裏工作を始められた。

なので色んなルートからここ数日そんなクレーム話が俺に来ていた。

こちらもサラリーマンを20年以上もやっていると、そういう経験則はあるし結果がどうなるかも分かっている。

これは上手くとりなそうとしても意味がないことで、結局責任を取りたくない人が責任を俺のせいにできるようにスケープゴートとして最初から俺を悪者にしている。

上手くいけば自分が仕事をちゃんとしたおかげ、上手くいかなければ俺のせい

以前の俺であれば、悪くもないのに「すいません」なんてこと言って、円満にしようと思っていたが、その方法は上手くいった試しがない。

それに相手方の組織で老害が味方につけた権力者に対抗できそうな権力者との縁を俺は持っていない。

正攻法で行けば我慢した挙句、最も望まぬ結果になる。

相手方も俺を糾弾するというアクションを起こしてしまったがゆえに、ふり上げた拳を静かに降ろすこともできないため、俺が何をやったとしても、仕事ちゃんとしたら自分のおかげでできたけど、俺が悪いから余計な苦労をしたなんて話になって結局煮え湯飲まされたまま担当を変えろと言われ、俺が悪い的な流れになって老害がご満悦と言うストーリーしか見えない。

そんななか、丁度ヤフーニュースで「影響力の魔法」という書籍のニュースが乗っていた。

タイトルは「偉い人」に対して、三流は「ペコペコ」し、二流は「敬意」を示す。では、一流は?というタイトルだ。

共感できたので内容を記載すると、著者の方は保険の営業マンをやっており、ある時4000万円の大型案件の商談をした。

その後日の事だ。

その保険契約を考えている社長からこんな電話があったらしい。

「知人と飲むから、今すぐおいでよ」

この言葉を聞いただけで、正直なところ、著者の方はムッとしたそうだ。

まあそりゃそうだよね。

なぜなら、一人でも多くのお客様に面談しようと動きまくっている「大の大人」である著者の方の都合も聞かず、「今すぐおいでよ」などと言うのはどう考えても失礼な話だからだ。

その時この方は別のお客様とのアポイントがあったので、そのお誘いに応えることは不可能だったそう。

そこで、「申し訳ありませんが、予定があるので今すぐお邪魔することはできません」と伝えたそうだ。

すると、その社長は。

「君、営業マンでしょ? 4000万円の契約ほしくないの?」

まるで、「4000万円」という“エサ”をぶら下げるような物言いをしたらしい。

たしかに、「4000万円の契約」は大きなものだが、それと引き換えに、「一人の人間」として払われるべき「礼節」が損なわれるのはこの方は許し難かったとのこと。

しかも、こんな「誘い」に応じるために、アポイントをいただいていた別のお客様の予定を変更するのは、その方に対しても失礼千万。

「4000万円」という“エサ”につられて、他のお客様との約束を反故にするような人間になってはいけないと思ったそうだ。

それに、一度、このような「誘い」に応じてしまうと、おそらく、その経営者のお客様は、著者の方のことを「“エサ”につられて、何でも言うことを聞く男」と見くびる。

それでも、彼のご機嫌を取っていれば、「4000万円の契約」をお預かりする以外にも、なんらかの利益にありつけたかもしれない。

しかし、そういうことをしてしまうと、根本的な部分で、自分に対する「自信」や「誇り」をもてなくなってしまうと考えたそうだ。

しかも、そんな著者の方の姿を見た第三者は、その人に対する「評価」を下げ、結果としてその方の「影響力」を失っていってしまうに違いない。

「目先の利益」を手放すこと、「影響力」が手に入る

だから、後日、その「4000万円の契約」はお断りしたそうだ。

そのお客様はたいへん驚いて、「4000万円をどぶに捨てるつもりか?」と言ったそうだが、「ええ、構いません」と即答すると絶句されていたとのこと。

正直にいえば、「惜しいことをしたな……」という気持ちがなかったといえば嘘になるそうだが、その後、出会った方々に、このエピソードを伝えると、みなさん一様にその「考え方」に共感し、「信頼感」をもってくれたように思ったそうだ。

つまり、「4000万円の契約」を捨てた代わりに、「影響力」が与えられたということで、これがビジネス上のさまざまなメリットをもたらしてくれただけではなく著者の方の「生き方」を豊かなものにしてくれたと思ってるとのこと。

この話を見たときに過去に何度も円満にしようとして、結果上手くいかなかったことを思い出したんだよな。

そしてこのクレームを受けたときに考えたのだ。

この老害は俺の客として相応しくない

以前だったら、クレーム受けたり会社になんか言われるのが嫌で、それこそ謙って(へりくだって)事なかれ主義でひとつ穏便にお願いします的な対応をしていた。

だが、大体我慢して時間使って対応して、最終的にこき下ろされる結果になるのを経験則で知っているし、今の俺は以前の俺と違い結果を恐れなくなった。

自分で経営者をやってみた結果、望まぬ結果が起きるのが当たり前だし、それをどう変えるか、起きた事象に対してどうするかの覚悟さえあれば大体どうにかなることを学んだのだ。

だから、逆に相手にとっては想定外だったと思うんだが、俺からお前は俺の客としてふさわしくないから担当を辞めると言って違う担当手配したんだよな。

そしたら、なんか急に大人しくなったんだが、多分、梯子を急に外されたというか、なんかあったときに俺のせいにしようと思っていたのに、俺がいなくなることで自分が責任を取ることを恐れたんだろうな。

そして間違っていないのであれば、できるだけ強気の姿勢の方が腹の括り方というか、覚悟が伝わって当初の結果よりは良い結果になりうると学ばされたかもしれない。

望まぬ結果を恐れてはならないんだよな、望まぬ結果が起きてもどうにかすると強い覚悟があればどうにかなる。

小さな店とはいえ経営をしてみてありがたかったのは覚悟の持ち方を学べたことだ。

普通の会社員だと自分で結果を選択できない結果が起きることを恐れる。

だから、責任を負いたくなくて、許可を得るようにするし、そもそも望まぬ結果を起きないようにと媚びる

そして媚びることでより相手を増長させてしまうのだ。

だからこそ、これは絶対に違うと思ったらそれこそ自分に対する「自信」や「誇り」のためにも媚びちゃいけない。

死ぬこと以外かすり傷なんて本が流行ったけれども、その通りだなと。

覚悟の一つももてやしないで何かを得たりとか、為したりなんかできないよな。

怒られることも悪評も自分がコントロールできる事ではないし、仕方がないときもあるのだから必要以上に恐れちゃいけない。

もし現実に望まぬ結果が起きたのなら、違う方法でリカバリーすればいいだけの話だ。

そんなことを思いながらも、これまた最近普段行っていた飲み屋のオーナー兼店長がざわつくメッセージを貼っていた。

コロナ前と異なり、コロナ禍後に低迷する売り上げに対して、競合店と異なり、ビラ配りもしない、SNSを使った営業もせずにすませた温い環境を作った自分の全責任だ的な事を記載していたが、その低迷を自分の責任と記載したらスタッフの怠惰のせいにしてはならないよなあとは感じたが、同じ経営者として気持ちは分からなくはない。

権利じゃなくて仕事だと言いたいのだろうけれども、スタッフ総入れ替え宣言みたいになっていた。

まあ、それも覚悟を持ってやるなら良いと思うのだ。

けど難しいよね、例えばその場の接客が100できるスタッフがいても、アフターフォローというかドライすぎたり、仕事感とかドリンクバック感と自己都合を出しすぎたりすると、客側も自分をツール扱いしてるなと感じて人間的な部分の係数が0.1だと感じるようになる。

「100×0.1」は10なわけであって、接客レベルが20であっても、人間的な部分が1あれば「20×1」で20になるから前者より後者が良いみたいな話になるんだよな。

でも経営者的に見れば、一見はやり手のスタッフだったとしてもリピート率が低いという結果をみたりすると、気づいたりもするしね。

多分、最強なのはリピーターのリピート率を上げれるスタッフなんだろうな。

集客数やそのリピート率は言葉以上に結果で物語るし。

それは俺の営業としても同じなんだけれども。

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