座間でランチ焼きあごラーメンとびうお

営業マン飯2021年
ご挨拶

こんにちわ、地下鉄吉野町駅最寄りのカラオケBARキャビーヌの中島です。

 

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こんにちわ。

地下鉄吉野町駅近くのカラオケスナック「ミュージックパブキャビーヌ」の中島です

さて、今日は雨の中だが座間で仕事

IT補助金の採択がおりたので納品スケジュールの打ち合わせに行ってきた。

その帰りなので当然今日も食を楽しまなければと、半ば楽しむことに追われている楽しもうとすることの奴隷となっていて、実は矛盾があるんじゃないかという疑問が一瞬湧いたが、美味しいものを食べないよりは食べたほうがいいに変わりはないと思い直した。

バランスだな、きっと。

そこまでしたくないが勝ったらそうすればいいだけであって、美味いものが食べたいがその面倒だなに勝ったらそちらにすればいいだけの話。

そんなわけで焼きあご煮干しラーメンの店「とびうお」という中央林間の近くのラーメン屋に行ってきた。

雨のせいもあり、並ばずには済んだが、客足が完全に途切れることはなく人気店なんだなと再認識させられた。

注文したのは特製焼きあご煮干し塩らあめんとお茶漬け

ラーメンの方は煮干し出汁よりあご出汁のが個人的に好きだなと感じた。

普通にラーメンは美味しかったのだけれども、特筆すべきはここのお茶漬けだ。

ラーメンのスープをお茶漬けにするんだけど、薬味のバランスが良いのとご飯がスープを吸うと、これがかなり美味い。

お茶漬け一本でいいんじゃないかと思えるレベル。

このお茶漬けはリピートしたいと思わされた。

そんな中、通勤中にヤフーニュースを見ていたら一つ刺さった記事があった。

それが外見差別と戦った藤井輝明さんという方の記事で、この方海綿状血管腫と呼ばれる紫色のコブが顔にあり、一昔前の整形をしすぎて顔面崩壊したと言われていた扇風機おばさんのような状態に2歳の時になってしまったらしい。

いわゆるアルビノ等と同じでユニークフェイスと呼ばれている方々とのこと。

この方が心不全で亡くなったという記事だったのだけれども、「バケモノ」と罵倒された過去を乗り越えた方で、その差別を受けていた中でも常にニコニコと笑っていた強い心の持ち主

そのエピソードを一つ引用させてもらうと・・・

あるとき、藤井さんが『友人のYさんが、アザのことで僕のことをバカにしている』と怒ったことがあった。

ああ、藤井さんも普通の人なんだと思いました。

笑顔は、彼なりのカモフラージュだったのかもしれない。

『笑顔で生きると決めたんだ』と僕に言ってくれたことがありました。

ここを読んだときに、やはり受け止め方は人それぞれ違うんだなと思ったと同時に、この藤井さんは決めた人なんだなと思った部分が刺さったのだ。

多分、このエピソードトークをした人は強く何かを決めた事がないんじゃないだろうか。

そもそも決める必要がなかったのかもしれないが。

俺も自分にはラッキーしか起きないと決めた人間なので、決めるの概念が共感できて、メンタルを鍛え続けることでこの藤井さんは生き残ってきたんだなと思ったんだよな。

決める事は結構重要だと思っていて、個人が自分の力で変えられる範囲なんてものは結構小さい

たまに自分ではなく他人を変えようとする人を見ることがあるが、自分の可変できる範囲じゃないので人を変えようとするのはそもそも間違っている。

自分が変えられるとしたら自分の事だけだ。

習慣とか受け止め方は選べるし、自分自身で変えられる範囲だ。

俺にはラッキーしか起きないと決めているので、起きた事象を不快に感じたとしても、ラッキーな理由があるはずと決めた結果に準ずるように変換して、自分にとって都合の良いように受け止めている。

そして、変換が間に合わないくらい立て続けに変換が必要な一見不快なことが起きたときには、過去の自分に都合の良いところだけを切り取って書いたスマホのメモアプリを見て、やはり過去にはラッキーしか起きていないからこれもまだ気づいていないだけで何らかのラッキーなんだろうなと思い直すのだ。

何気に、過去の良かったことだけを記載するって結構良いと思っている。

人と話していると、良くなかった事の方がはっきりと覚えているという人もそれなりにいる。

けど、日常生活で都合の良いところだけを切り取ることを無意識でしていたりするのに、何故記憶に応用しないんだろうなと思うんだよな。

例えばなんだけど、ゆで卵、みかん、バナナこれらのどれでもいいけど・・・・

厳密に言えば殻も皮も食べれると思うんだよね。

美味しいかそうでないかは別として。

でもさ、普通は皮剥いて可食部と呼ばれる中身の美味しいとされる部分だけ食べて、皮とか殻とか捨てると思うんだけど・・・

これってさ、言い換えれば食品の都合の良い部分だけを切り取ってない?

記憶も同じで、都合の良い良かったところだけを切り取って残して、都合の悪かったことは捨てておけば、結構ハッピーなんじゃないのと思うんだけど、何故食品のバナナの皮は捨てるのに、記憶ではバナナの中身を捨てて皮だけ食べようとするんだろうか

わざわざ記憶のみかんの皮だけ齧るような真似なんかやめて、記憶のみかんの中身だけ食べればいいのにと

食品では無意識にやっているのに、記憶もそうしないことによるメリットってなんかあるんだろうか。

ちょっと前に記載した前の会社の、優秀だけど40年間、360度どこから見てもおじさんの言葉がリフレインされる。

明日死ぬかもしれないんだから、今日の楽しみを明日に先送りするのは間違っていると。

毎日楽しければ結果的に死ぬとき楽しかったと言える。

同様に、都合の良い楽しかった事、良かったことだけの記憶を記載して集めて、見返していれば思い出すのは良かったことと楽しかったことだけ。

そうすれば死ぬとき楽しくて良かったラッキー人生だったねってなるんじゃないのと思うんだけど。

そんなわけで、決めたんだという言葉の記事にちょっと反応してしまった。

俺も決めた人間だしな、何が起きても超ラッキーと。

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