知らぬが仏の真実

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こんにちわ、地下鉄吉野町駅最寄りのカラオケBARキャビーヌの中島です。

 

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こんにちわ。

地下鉄吉野町駅近くのカラオケスナック「ミュージックパブキャビーヌ」の店長中島です。

さて、知らぬが仏って言葉があるんだけれども、これって考えれば考えるほど奥が深くないかと思ったんだよな。

人間の事実ってのは本人の主観が事実だと決めた事、つまり本人の解釈が事実になるんだから、知らぬが仏でいるうちは常にハッピーなんじゃなかろうかと思ったのだ。

一生知らぬが仏でいれば生涯ハッピーかもしれないと。

ただずっと知らぬが仏でいても、いつか現実が目を逸らすなと結果で突き付けてくるので、どこかのタイミングでは幻覚を解かれて知らされてしまう。

その瞬間知るが地獄になるんだけれども、ただ、その知ったが地獄からの残余時間が短ければ、ある意味知らぬが仏期間が長かった分幸福だったといえるんじゃないかとかふと思ったのだ。

でも知ってしまったらその時から過去の自分に遡って全部否定してしまうのだろうか。

そうなると、なんて無駄な事をしたんだと後悔することになる。

知らなかった期間が長くて、ずっと気づかずラッキーだったなとはならないんだろうな。

そう考えた方が良いとは個人的には思うんだけれども。

でもそれも本人の解釈次第ですべて変わるか。

結局はすべては受け止め方と考え方がどうかという事に帰結しちゃうんだろうな。

そう言えば、20代の頃今よりフリー雀荘に行くことがあったんだが、その時に、60代から麻雀を始めたというおじいさんがいた。

このおじいさんは、こんなにも面白い物を知らなくて損した、もっと早く麻雀をやればよかったと後悔していた。

一方で同じくらいの年齢のおじいさんで、10代の頃からずっと麻雀をやっていたと言っていた。

このおじいさんは麻雀なんか覚えなければよかった、時間をずっと無駄にしてきたと嘆きながらその日も麻雀を打っていた。

一方は麻雀を楽しむ時間が残り少ないと嘆いていて、もう一方は他にもっと楽しい事ができたはずと嘆いていた。

どちらが正しいかは本人次第だが、やってしまったことを後悔しても仕方がない。

なので考え方としてはまだ、もっと早く覚えればよかったの方が個人的には良い気もするが、知らぬが仏も俺は知らないよりも知って適応していった方がいいと思うんだけれども、確定してしまった過去を後悔しても仕方がないんだよな。

1秒前の事は確定してしまうことなのでそれをどう解釈するか。

変える事はできないのだから、だとしたら常に今どうか

「今でしょ」の林先生は正しいなと思わされる。

知らぬが仏も、知ってしまったらそこから合わせていくしかなく、知らないで済み、生きて来れたそれまでをラッキーだったと幸運を確定させてしまった方が、考え方としてはいいんじゃないかとふと思ったのだ。

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