こんにちわ。
地下鉄吉野町駅近くのカラオケスナック「ミュージックパブキャビーヌ」の中島です。
今日は12月30日のため、毎年買っている花びしの大将のおせちを購入
本当は年明けに食べるべきなんだろうけれども、寝かせておくのが鮮度が落ちるのがもったいないのと年末年始もずっと自宅にいるわけではないので食べる暇がなくなりそうですぐに食べる事にしている。
今年も美味そうで格闘見ながら食べるのが好きなんだよな。
まあ今日、早速帰宅後に食べるんだけどね。
いくらが多分、米と食べるとたまらないやつだな
そしてカニ味噌絶品なんだよね、毎年
珍しくとびっこが入ってるんだけど、これどうやって食べるのがいいんだろう
やはり、白米の上にかけるのが良いんだろうか。
そして年末なんで、炭水化物を解禁し、鳥浜のアウトレットでローストビーフチャーハン食べてきた。
年末年始は多少リバウンドしてもビール飲みながら好きな物を食べたい。
ナイシトールは飲むけどね。
さて、先日一発訪問で受注した新潟の案件、納品に1月に行ってくる
日帰りに一度行くのと一日宿泊があるので、店の開閉店をどうにか調整しなければならない。
けれども柏崎市なんだが、現地で何を食べたら美味いか今から調べるのが楽しみ
宿も温泉がいいよなあ
源泉掛け流しを探したい
近くに飲み屋があるとこが良いなあ
さて、俺は営業なんだが、その受注した新潟の案件で、現地で説明を行うインストラクターの担当が必要になる
元々そういった誰が担当するかをまとめている後輩の社員がいるのだが、もう30代なのに、まだ新卒みたいに腰が引けた仕事をするんだよな
口を開けば、無理だとかできないだとか。
20代前半ならまだ分からなくはないけれども、マインドというか仕事に対する意識が温すぎて、そう遠くない未来に彼は仕事で苦労することになるだろうなと思うのだ。
通常時の仕事中から、取引先も自社内の人間もその人の仕事のクオリティやスタンスを見ている事を分かっていない。
そしてそれがどんな意味があるかも。
昔のように終身雇用が約束されていればいいが、トヨタでさえ終身雇用は維持ができないと言われている。
そんななか、大手企業でもないのに今の俺のいる会社に仕事がいつまでもあるとは信じない方がいいと思うのだよな。
万が一なんかあった際に、30代にもなれば書類で通る事も減ってきて、40代にもなればどれだけ優秀でも求人票を使った書類提出ではバシバシと落とされる。
40代になれば、それまでの仕事の実績で、周囲から声かかるようでなければまともな仕事なんかない。
その何かあった時のセーフティーネットとして普段の仕事があるわけで、某牙が抜け落ち、入れ歯が必要になってしまったカリスマ営業もそうだけれども、普段から質の高い仕事をしていて、取引先等にもそれを知らしめているから同じ業界の次の職場に同等の条件で行けるのであって、腰の引けた仕事をしている人には声をかけようとは誰も思わない。
だから、普段からちゃんと人が流石と思うような仕事をしていないと有事の際のセーフティーネットがなくなり、昨日までちゃんとしていた会社員だった人がある日突然ニートやバイトになってしまい次が見つからないことだって全然あり得るのだ。
普通に生きれるって実は奇跡の連続だと俺は思っている。
でも当たり前の普通が実は当たり前ではないと言う事を、その当たり前を失うまでは大体気づかない。
家族と過ごす時間や、健康の当たり前もそうだけど。
当たり前の普通って、たまたまラッキーの連続で維持できている奇跡だよなと思うもんな。
だから新潟の担当を決める話をしたら即答で無理っすとか言われて、俺じゃないからいいかと思ったものの、彼の10年後が明るくは見えないよなと感じたものな。
上杉鷹山の有名な言葉に
為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり
という言葉がある。
これは結構真実だと俺は思っていて、できないは嘘で、本当はやる気がないからやらないんだよと思うのだ。
上杉鷹山も出来ないのはやらないからだと言い切っているけれども、できないって言葉って完結なんだよな。
思考停止というか、できないという結論を決めてしまっている。
これも俺のラッキーしか起きないと決めた事と一緒で、できないと決めているんで、過程や条件がどうあれ、結論は変わらず、変える気もない。
勿論、オリンピックで金メダル獲るとか年齢による物理的な不可能は存在するが、じゃあ代わりにどうやっら金メダリストに携わって、金メダル獲得のチーム入りするかとかはできる可能性がある。
けどできないと決めてしまえば、できないという結論を変える気ないので、できない理由ばかりを探し続け、それをより決定的な不可能にしてしまう。
ラッキーしか起きないと決めて、それがどうラッキーなのか理由を探すのと似ている。
けれども、前者は非建設的で後者はまだ建設的だと思うのだ。
どうやればできるかを考える事で閃きや学習や応用の利く知恵を得られる。
だから、できないとかそう簡単に言うなよと思うんだよな。
できないじゃなくてやるんだよと。
できるかできないかじゃなくて、やるかもっとやるかの二択なんだよと思うんだよな。
無論、すべきと思った事に対してはだけど。
本当に好きな事なら苦も無くどうやったらやれるかを考えると思う。
だとしたら、すぐにできないとか言いたくなる好きでもない仕事なら辞めりゃいいのにと思うし、辞める気ないなら最低限はやれよとも思うんだよな。
とはいうものの、俺も会社から来るノルマの営業の数値を見ると、それを達成するほどは貰ってないしなと必達しようとはまるで思わないけれども。
要求が高すぎるのも搾取のように感じてテイカーに見えてしまうんだよな。
誰も通常時で達成した事ない数字をノルマにするのも良くないよなと思うのだ。
せめて誰かが達成した事あるレベルをMAXくらいにしないと。
他の営業ができていたら、自分にもできなきゃならない事になるしな。
まあそれでもマインドの問題だよな、そうしたいと本気で俺自身が思えるようならどうすればできるかを考えると思うんだけど。
まあ、そんなんだからいつ辞めろと言われても大丈夫なように、仕事のクオリティは守っているし、有事の際のセーフティーネットのために横のつながりも開拓し大事にしている。
ある意味いつ退職してもいいと言う覚悟があるから自分が正しいと思う仕事ができるのもあるしな。
まあ、社内の受注結果を相対的に見れば、俺に辞めろという順番はかなり後ろの方だと思うけれども。
ただ、ただ飯喰らいのペットみたいな社員が多いよなと見ていて思うもんな。
ペットを飼えるほど、余裕がある状況でもないにもかかわらず。
それも質の高い社員とそうじゃない社員を、後者をベースに同列に扱った結果なのかもしれないが。
人のクオリティの劣化が酷い、おかげで俺が楽をできるのだけれども。
馬鹿があればこそ利口が引き立つとか、下手があるので上手が知れるとか、諺もあるけれども、本来ならすぐにできないとか言っちゃう人のおかげで相手が弱い業界とか職場に難なく俺が居れるのだから感謝の対象なのかもしれないよな、そういう社員も。
俺が経営者だったら、すぐにできないとかいう社員が居たら死ぬほど嫌だけど。
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