こんにちわ。
地下鉄吉野町駅近くのカラオケスナック「ミュージックパブキャビーヌ」の中島です。
さて、本日は水道橋で仕事してから相模原の方に行ったのだけれども、ちょっと仕事バタバタしてて、しばらくネタ書けてなかったら友人からネタ更新のリクエストが届いた。
結構俺の個人的な発信とか見てくれたりするのね。
なんで、合間を見つけてどうにかネタ更新
今日のご飯ネタは糖質カットしながらガッツリとなると、やはりスープカレーしかないよなと、目についた水道橋のモツ焼き屋さんのスープカレーにした。
このお店、昼時で忙しいのもあるんだろうが、接客はあまり褒められたものではなかったと一瞬思わされた。
ライス無しのスープカレーで、別料金でいいのでサイズアップできますか?
と聞いたところ、にべもなく強くできませんの一言。
サイズアップが難しいにしても、可能かどうか聞いてんだから言い方とかあるよなとか思いながら、ちょっと前のドコモのCM、「キャッシュレスの時代に現金のキャラクターなんて売れませんよ」と言われたゼニクレージーを思わされた。
ところが、まさかの大逆転
スープカレーを出すときになってサイズアップは難しかったですけれども、野菜多めにしておきましたとか言われて、なかなかやるじゃないかと思い直させられた。
こういうただできないの一点張りじゃなくて、代わりにどうするという発想ってサービス業に限らず必要だよなと思うんだよ。
できないって発言聞くたびに、本当にできないんじゃなくて、「私はやる気がありません」という発言の間違いだろっていつも思うもんな。
まあそんなわけで一瞬の違和感も吹っ飛び、良い店なんじゃないのと思い気分よく高楊枝していたら、同じ車種の車が同じコインパーキングに止まっており、間違えてそちらを精算するという不注意はまずいよと言う天からのアドバイスを頂戴することになったのだけれども。
確かに、明日大雪の中新潟に車で仕事に行って1泊だからなあ。
運転気を付けよう。
でもって、スープカレーは普通に美味しかった。
けどやはり専門店とかの方がスパイスが効いていたりしていいんだろうね。
また伊勢佐木町のスープカレーのラマイ行きたくなってきたし。
さて、俺は一人でBARハシゴとかよく行くのだけれども、もう7、8年前に通ってたBARで、一人飲み方が神みたいに綺麗な人がいた。
俺自身も自称プロの酔っ払いなので、そんなに飲み方下手じゃないと思っているんだけど、このお方には敵わんなと思うほどの見事な綺麗な飲み方。
もはやアートと言ってもいいかもしれない。
酒席アーティストと呼ぼうかと思っている。
このお方、当時もたまに話をしていたんだけれども、俺の出身中学校の隣の中学校、蒔田中学校の1つ下の年齢の方で元暴走族をやっていた感じだ。
ボブ・サップとも格闘したらいい勝負するんじゃないかと思えるような明らかな強面だし、体も大きい。
だが、現在は会社を二つほど持っている役員で経済的にはもう十分満たされていて、毎晩深夜まで飲み歩いている様子なのだよな。
俺の理想とするライフスタイルを実践しており、違いは何かと考えさせられた。
一応、俺なりの回答は見つけたけれども。
丁度先週の日曜日、3連休の中日だというのにたまたま行きつけの店が22時に閉まっていたので、そういえばこの方の妹が働いている店があったなと寄ってみると偶然この方がいたのを発見したので、迷わずその店に入り、迷わずその方のカウンターの横の席に座った。
俺はこのお方の飲み方をかなりリスペクトしているため、どこで飲み方を覚えたのか聞いたところ、もともとはとんでもない酒乱で、飲む友人、飲む友人すべてにもうお前とは二度と飲まないと言われていたらしい。
そこで複数の人に言われるという事はそういう事なんだろうなと認識し、それからは気を張って飲むようにし、酒乱を直したというのだ。
なかなか面白い話だなと思いながら、でも酒乱が直るのと綺麗な飲み方ができるようになるのはまるで別の話だと思い、再度質問したところ。
酒乱を直した後に一人で迷惑かけずに飲むようになって、一人自分がリスペクトするような飲み方をする旦那と呼ばれる方を見つけて、その方の飲み方を観察し、真似るようにしたというのだよな。
なんでもこの旦那はご縁があるようにと5千円札を何枚も用意して飲みに行き、1~2杯飲んで5千円札渡してお釣りはいいよとやるらしい。
で、いらないと言われればお釣りを受け取ってまた来ますとやるらしいのだ。
心理的な負担にならないように、店の人に飲ませてあげればいいんじゃないですかと聞いたところ、お店の人も飲めと客に言われたら断りづらいし、そんな1000円とかで体壊したら意味がないから、金を使うつもりなら無理に飲めとやるのは綺麗じゃないと言われた。
なるほどなと思い、この方がやはり結果が出ているのが視点が常に相手を見ているんだよな。
俺が俺が、私が私が、自分が自分がじゃない。
相手がどうか。
それが主体となっている。
ついでにもう一つ聞いてみた。
酒の所為にして本当は覚えているのに飲みすぎて免罪符にしている人とか結構いるから、酒乱だとしても躱せるじゃないですかと聞いてみたら、それは逃げているだけで、やってしまったのは飲んでようと飲んでまいと本人の責任だよと言われた。
さんざん同じことやられたので、いざとなれば酒の所為にして覚えていないと免罪符にしているズルイ大人を模倣してようとしていた自分を恥じる結果になってしまったけれども。
ただ、この方と俺との結果の差は何かを考えたんだが、多分行動量だなと思わされた。
俺は今更になって何でもやるをしているが、この方は多分暴走族を含め、中学生の頃からいろいろなことをやってきたんだよな。
傲慢な言い方になってしまうかもしれないが、多分、元来のスペック自体は俺の方が高い。
でも結果的には、今はこのお方の方が社会人としては俺よりも何合も先を行っている。
そしてその差は行動の量だなと。
百聞は一見に如かずという言葉がある。
有名な話だが、この言葉の続きは百見は一考に如かず、百考は一行に如かず、そして百行は一果に如かずだ。
要約すれば、100回聞くより1回見たほうがはるかに理解できるし、100回見ても考えなければ意味がないし、考えても行動しなければ意味がなく、行動して結果を出さなきゃならない。
一応、百果の続きもあるんだけれども、それはネタ的にやりすぎなので割愛する。
いくらスペックがあろうが、聞いて、見て、考えているだけでは、1回の行動に及ばないんだよな。
この方は10代の時から行動し続けてきた結果、俺が出したいと思うような結果を出している。
いろんな人に会い、海外のパスポートで爵位とかある人でキングというのを持っている人と会ったとか言っていたしな。
飲み方が芸術的に綺麗というのも一つの結果だと思うし。
そう考えると、会社員という道は安定しているようでルーティーンになり新しいことへの行動を制限するものになっている。
同じルーティンのメンバーとルーティンで会っていても何も行動した事にはならないよなと思うのだ。
そう考えると、一人でBARに行くとかビジネス交流会とかルーティンにならない他人と会う場に行くって大事だと思うんだよな。
そんな事をこないだ飲みながら思わされた。
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